だまってないで 2005年6月12日

 出迎えに現れた彼女の姿を見た途端、祐巳はどう反応を返していいのかわからず、間抜けに絶句するしかなかった。
「ごきげんよう、祐巳さま」
 彼女は折り目正しいお辞儀と共に、リリアンの生徒に相応しい挨拶を投げかけてくれたけれど、祐巳はそれに返すことも忘れ、ただ彼女の服装を見つめ続けた。
 そんな祐巳の態度に、顔を上げた彼女は、途端にむっとした表情になる。
「祐巳さま、どうなさったんですか? ぼんやりと大口を開けて……」
「えっ、大口開けてた?」
 その言葉にハッと我に返して祐巳がたずね返すと、彼女――松平瞳子は、あからさまにうんざりした表情で大げさに首を横に振って答えた。
「そんなこともご自分でわからないくらいぼんやりしてらしたんですか……はぁ」
「うっ……だっ、だって……」
 チクチクと嫌味をぶつけてくる瞳子に、祐巳は改めて瞳子の姿を見つめる。
 それは、ヒラヒラと可愛らしい、そのままステージに上がれば、すぐに『若草物語』のエイミーを演じることが出来るような衣装だった。
 演劇部から持ち出したのだろうか? ……いや、演劇部の練習のときに見た衣装とは微妙に違っているし……ということは、自前の衣装なのだろうか。一体、どこで売っているのだろう。
 祐巳の視線に気づき、瞳子は不思議そうに首を傾げた。
「私の服に何かおかしなところでも?」
「えーっと……」
 そう尋ねられると、突っ込みどころがあまりに多すぎて、どう言えばいいのか悩み、祐巳はすぐに言葉が出てこなかった。
 と、その反応を『おかしなところなんて見当たらない』と言う無言の回答だと解釈したのか、瞳子は祐巳にお構いなしで言葉を続けた。
「まあ、いつもより『多少』派手な服ですけれど、せっかくのパーティですもの、この程度のお洒落は、淑女の嗜みというものですわ」
 『多少』……『多少』なの?
 言い返したい気持ちでいっぱいの祐巳だったが、何を言っても泥沼化していくだけになりそうだと、喉まで出掛かった言葉を全て飲み込むことにした。
 ホームパーティと言うものに呼ばれたのは今日がはじめてだけれど、もしかしたらこれくらい……何と言うか、派手といか、非日常的というか……そんな服装で来るのが当たり前なのだろうか? そうだとしたら、ごく普通のありふれたワンピースで来た自分が場違いになってしまうかもしれない。今更悔やんでみてもどうにもならないとわかっているけど、それでも祐巳は慌ててしまった。
 そんな祐巳を見て、瞳子がまた呆れたように言った。
「祐巳さま、今日は本当にいつにもまして落ち着きがないですわね。一体、今度はどうなさったんですか?」
「えっと、あの……」
 そこで言葉を止め、祐巳は自らの白いワンピースを軽く摘んでアピールしながら、伺うような眼差しで尋ねた。
「服……場違いだったかな?」
 一瞬、祐巳が何を気にしているのかわからずにきょとんとなった瞳子だったが、すぐにその言葉の真意を飲み込み、『ああ』と小さく頷き、ジロジロと祐巳の全身を見ながら答えた。
「まあ、確かに華やかさにはかけるかもしれませんけど……でも、人には分相応の格好というものがありますから。祐巳さまにはそれくらいの大人し目の服の方がいいのではないでしょうか?」
「そうかな?」
 暗に、『地味な人には地味な服で充分』と言う嫌味を言われたような気がしないでもなかったが、祐巳は瞳子の指摘を素直に受け入れて頷くだけにした。
 と、そんな祐巳に、瞳子は少し顔を赤らめ、視線をそらしながら一言付け足した。
「それに……そのワンピース、祐巳さまに良くお似合いで……その、とても素敵だと思いますし」
「本当、ありがとう、瞳子ちゃん!」
 誉め言葉を素直に喜んだ祐巳は、瞳子の背中に、飛びつくように抱きついた。
「ちょ、ちょっと祐巳さま! 恥ずかしいですわ!」
 赤らめた顔をますます真っ赤にしながら抗議する瞳子にお構いなく、祐巳は自らの喜びと親愛の情を包み隠さず表し終えるまで、瞳子をその腕の中から開放しなかった。
「もう、祐巳さまってば!」
「あははっ、照れない、照れない」
「てっ、照れているわけではありません! もうっ、知りません!」
 せめてもの抵抗とばかりに拗ねてみせる瞳子だったが、それ以上、無理に祐巳を引き離そうとしなかった。

 松平家の中庭に、白いテーブルと椅子をいくつか並べて作られたパーティ会場は、既にかなりの人で賑わっていた。
 祐巳を会場の一番隅のテーブルに案内してすぐに、『飲み物をお持ちしますね』と、瞳子は屋敷の中へ行ってしまった。
 一人残された祐巳は、人込みの中に他の知り合いの姿も見つけられず、仕方なく、微妙な居心地の悪さを感じながら、じっと座って待つしかなかった。
 目前まで迫った学園祭の準備に追われる日々の中、まるで台風の目のように、一日だけぽっかり空いた休日。
 瞳子から『よろしければ息抜きがてら』にと、このホームパーティに誘われたのは、昨日の夕方、芝居の稽古が終わり、解散になった直後のことだった。
 久し振りの完全休養日、一日家でのんびり寝ていようと思っていた祐巳だったが、折角の誘いを断るのも悪いし、やはり一日ぐうたら過ごすというのは、乙女としていささか情けないと、こうして生まれて初めての『ホームパーティ』参加を決めたのだが、『知り合いだけの、気さくなものですから』と瞳子が言っていたのとは違い、どうも思っていたよりきっちりしたパーティのようだった。
 学園祭準備の疲れを少しでも紛らわせることが出来ればいいなと思っていたけれど、これは逆に気疲れしてしまうかもしれない。
 まあ、今更言ってもしょうがないことだと、祐巳はため息一つで腹を括ることにした。
 それにしても。飲み物を片手に歓談する人々――祐巳の危惧していたのとは違い、幸いにもその多くは、瞳子よりはずっと日常的な正装だった――をぼんやり見ながら、祐巳はその数の多さに驚いていた。
 美しい花が咲き乱れる花壇、レンガ造りのアーチや緑の木々に彩られた、祐巳の家の何倍もある広い庭に集まった人数は、ざっと数えただけで両手両足の指の数以上。これが、特に何かあったわけでもない、松平家で定期的にやっている気軽なホームパーティだというのだから、もし、何かお祝い事があったときの正式なパーティとなると、一体どれだけの規模になるのだろう。骨の髄から庶民な祐巳には、まるで想像もつかなかった。
 自らの姉である小笠原祥子さま同様、瞳子もまた、文字通り『お嬢さま』なんだということを、祐巳は改めて感じていた。
 と、人ごみの中、オレンジジュースであろう、空に輝く太陽に良く似た色の液体で満たされたタンブラーを手にした瞳子が、こちらにやって来るのが見えた。
「やあ、瞳子ちゃん、元気そうだね」
「はい、小父様もお変わりなく」
「まあ、瞳子ちゃん、今日はまた一段と可愛いらしい格好ねえ」
「ありがとうございます。小母様のドレスも素敵ですわ」
 パーティのホスト役ということで、瞳子はすれ違う人々から次々声をかけられていた。
 それを面倒くさがることなく、瞳子は一人一人に律儀に会釈と微笑みで答えながら歩いていた。
 その立派なホスト役としての瞳子の姿が、祐巳には何だかとても新鮮に思えた。
 リリアン内では、もうちょっと子供っぽく我侭な感じなのに……『女優』らしく、その場その場に合わせて、自らのキャラを演じ分けているのだろうか。
 本人に言ったら、『私はいつでもこんな風にしっかりしていますわ!』なんて、怒られること間違いなしのことを考えていると、多くの挨拶に全て答えた瞳子が、ようやく祐巳の下に戻って来た。
「ありがとう」
 祐巳は差し出されたタンブラーを受け取り、氷が溶けてちょっと薄くなってしまっている冷えたオレンジジュースを乾いた咽喉に流し込みながら、チラチラと瞳子を見つめた。
 向かいに座り、同じように挨拶を返し続けてすっかり乾いてしまった咽喉をオレンジジュースで潤し始めた瞳子は、すぐにそんな祐巳の視線に気づいた。
「どうなさったんですの、祐巳さま。今日はなんだか、随分見られている気がしますけれど」
「あっ、うん、ちょっと……」
 瞳子の指摘に、祐巳はちょっと慌てたように言葉を濁した。
 そんな反応に、ちょっと悪戯心を擽られた瞳子は、クスリと笑みを浮かべて、祐巳に問い掛けてみた。
「ふふっ、私に見蕩れてらっしゃいましたか?」
 きっと、祐巳は驚き、真っ赤になって言葉を失うだろう。そんな予想を胸に反応を待つ瞳子の耳に飛び込んできたのは、全く違う言葉だった。
「うん、ちょっと」
「……っ!?」
 不意打ちをまともに受けて、瞳子はすぐに顔を真っ赤に染め上げてしまう。
「だって、凄くしっかりしてて、立派なパーティホストって感じで格好良かったんだもん」
「うっ……そっ、そっ、それくらいは……その、とっ、当然ですわ、おほほほっ!」
 慌てふためきを隠すように、瞳子は口に手を当てて高笑いしてみせる。しかし、そんな余裕を装ってみても、震える声と顔の火照りは押さえ切れなかった。
「やっぱり、瞳子ちゃんは立派な『お嬢さま』だよねえ」
 幸い……というべきなのか、小憎らしいくらい鈍感な祐巳は、瞳子のそんなボロボロの芝居に何の違和感も持たず、純粋に関心しているようだった。
 凍りついた余裕の笑みを浮かべながら、瞳子はそんな祐巳に呟く。
(本当に……あなたはずるい、ずる過ぎますわ、祐巳さま!)
 いつもそう。何気ない顔で、何気ない声で、こんなにも容易く私の心を揺さぶるなんて。
 なんでだろう? 両親の前でも、大好きな祥子お姉さまの前でも、したたかな優お兄さまの前だって、この天才女優松平瞳子は、いつだって完璧な演技をこなすことが出来るのに、なんでこの方の前でだけは、こうも私は取り乱してしまうのか。
(まったくもう……)
 火照る顔と心を冷まそうとオレンジジュースを飲みながら、瞳子は理不尽だとわかっていながらも、胸に湧き上がる怒り露に浮かべた眼差しで、祐巳を睨みつける。
 だが、祐巳はそんな視線にもまるで気付かず、まだニコニコと無邪気に瞳子の立派なホスト振りを賞賛し続けていた。
「本当に立派だったね。ふふっ、瞳子ちゃんもしっかり『大人』出来るんだ」
「……瞳子はいつだって大人の淑女ですわ」
 失礼な!とすぐ反論した瞳子に、祐巳は悪戯っぽく微笑んで返した。
「演劇部……」
「っ……あっ、あれはその……」
 演劇部の先輩と些細な口論をきっかけに対立し、退部寸前までこじれていたところを、祐巳の『お節介』で元鞘に戻った一件はつい先日の話。
 痛いところを一刺しされた瞳子は、さすがに口をパクパクさせるだけで、何も言い返すことが出来なかった。
「まあ、あれはあれで、きっと瞳子ちゃんは『女優魂』を貫いたからっていうのもあるだろうし、子供って言っちゃ悪いよね」
 祐巳はそんな風に優しくフォローの言葉を口にしながら、まるで子供をあやすように、瞳子の頭をそっと撫でるのだった。
 むくれ顔の瞳子だったが、伝わる温もりを振り払う気にはどうしてもならず、そっぽを向いたまま、なすがままになるのだった。
 まったく……あまりに予定と違う展開に、瞳子は心の中でため息を着いた。
 先日の演劇部の一件や他のことで、どうも最近、祐巳の前でみっともない姿をさらしてばかりいることを気にしていた瞳子は、ここら辺りでその印象を拭うしっかりした姿を見せておきたいと、わざわざ彼女をこのパーティに呼んだのだった。
 パーティで、見事な淑女として振舞っている自分の姿を見せれば、きっと祐巳の中の自分への認識も変わるはず……そう思っていたし、実際、その通り、淑女としての自分の姿を見せることには成功したわけだけれど、ストレートに褒められ、見事に取り乱し、結局また、こうして手の平の上で踊らされるように情けない姿を見せてしまった。
(まったく……このままじゃ、絶対に済まさないんですから!)
 瞳子は祐巳を上目遣いで見ると、笑顔を取り繕って告げる。
「祐巳さま、また皆様に少しご挨拶をしてこなけいといけませんので」
「あっ、うん、わかった」
 祐巳は少し残念そうな表情で、瞳子の頭を撫で続けていた右手を離す。
 瞳子はぜんまい仕掛けの人形のように、ぴょんっと勢い良く立ち上がると、小首を傾げて可愛らしく微笑み、会場内で雑談する賓客の下へと駆け寄っていった。
 折角来て貰ったのだから、子供っぽい私のイメージを上書きするくらい、うんと淑女な私の姿を目に焼き付けてもらわないと。
 そんな想いを胸に――

<FIN>