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「さつきっ、おいさつきっ!何やってんだ、開けろよっ…おいってば!」

ハジメの拳が何度となくドア枠を叩きつける。建て付けの悪い古びたドアは、その度にガシャガシャと硝子を震わせながら派手な音をたてるが、その硝子越しに見える少女の顔は、手を伸ばせば届きそうな距離にありながら、その音にも、ハジメの存在にすらも気付く様子が無かった。

 「ねぇ…みんなどこに行っちゃったの?」

 「本当…今まで居たのに…!?」

扉一枚隔てた、天の川○学校旧校舎の昇降口で、宮ノ下さつきと弟の敬一郎は、ガラス越しの景色をあっけにとられた目で見つめていた。今の今まで、すぐ後ろを歩いていたはずの、さつきのクラスメート青山ハジメと柿ノ木レオ、それに一つ年上の恋ヶ窪桃子の3人が忽然と消えてしまったのだ。さつき達の目に映るのは、扉の外から今自分達がやって来た新校舎の立地に至るまで、全く人影の無い閑散とした校庭の広がりだけである。扉のすぐ外で、懸命に呼びかけるハジメたち3人の姿と声はさつきと敬一郎の目と耳には入らない。

 「ねぇ、みんなはどこ?おねぇちゃん…」

 「う、うん…」

さつきは胸の内に急速に膨れ上がる不安を抑えながら、弟の問いに僅かな呟きで応えるのが精一杯だった。

さつきや敬一郎の母・佳耶子の三回忌を間近に控えたこの日。大量のカラスの死骸を目にするなど、不穏な空気の中を登校して来たさつき達5人は、奇妙な赤い霧に誘われるように旧校舎へと入っていく担任教師やクラスメート達の姿を見て、旧校舎まで彼らを追ってきた。だが先頭を歩いていたさつきと敬一郎が昇降口へと脚を踏み入れた瞬間、それまで解放されていた扉は、後に続くハジメらを締め出すかのように勝手に閉じてしまったのだ。 

「さつき、おい、敬一郎、おいっ、分からないのかっ、開けろってんだよ!」

 「おかしいですよっ、これ…。さつきさん、僕らをまるで見てませんよ!?」

 「さつきちゃんっ、さつきちゃんっ、どうしたの、さつきちゃん開けてっ」 

ささくれだった木製の枠とくすんだ硝子。子供の力でも叩けばすぐ壊れてしまいそうな古臭い扉は、しかしガンとしてハジメの力を受け付けない。どんなに音を立てて叩こうと、大声で呼びかけようと、まるでマジックミラーの向こう側にでも居るかのように、さつきはハジメたちの存在に気付かないでいる。

 『…さつきちゃ〜ん…』

 『…お〜い…宮ノ下ぁ〜…』

 暗い校舎の奥から、さつきを呼ぶ声が聞こえてきた。

 「…あ…クラスのみんなだわ…」

さつきはハジメたちの姿を探すのを諦めて校舎内に向き直った。魑魅魍魎が跋扈する旧校舎。これまでも何度か生命を脅かされるほどの目に遭っているだけに、弟の敬一郎と2人きりで奥に歩を進めるのは躊躇われたが、それだけにクラスメートたちを放っておく訳にもいかない。

 (坂田先生もいたし…)

奥へ行けば、教師もクラスの仲間もいる。それに今、自分を呼ぶ声に危機感は感じられない。その事に勇気付けられて、さつきは決心した。

 「行ってみよう、敬一郎。ここにいても仕方ないし」

 「う、うん…」

敬一郎はさつきの腕をギュっと捕まえて答えた。そろそろと歩み出す2人。一方、外のハジメたちは、何とか校舎の中に入ろうと力を尽くしていたが、どうにもならない。周囲の全ての窓も閉めきられ、道具を使って叩き壊そうにも昇降口と同様、まったく打撃を受けつけないのだ。

 「くそっ、どうなってんだ、こりゃぁ!?」

 「…逢魔の怨霊…」

 「え?」

低く呟く声に反応して、ハジメとレオは桃子の方をみた。旧校舎の壁を見上げる桃子はしかし、彼らが知っている、今さっきまでの桃子とはだいぶ違って見えた。鋭く刺すような視線。表情には強い意志が感じられる。それはいつもの、優しく鷹揚で、ふんわりと人当たりの柔らかい彼女のイメージとはまるで別人である。

 「も、桃子さん、いま、なんて?」

レオが尋ねた。厳しい瞳で校舎を見上げたまま、桃子は言葉を続ける。 

「神山の血を引く者にとって最大の試練…。逢魔の怨霊が霊眠から覚め、よみがえったのよ。この旧校舎は今、逢魔の結界に包み込まれている!」

 「…ハァ…!?」

レオもハジメも、あっけに取られて桃子の横顔を見つめた。桃子の言葉の意味もそうだが、彼女自身の様子も彼らには不可解だった。ハジメもレオも、物静かな年上の美少女である桃子に対しては、ひとかどならぬ憧憬の念を抱いているが、その突然の変貌ぶりに二の句が次げない。

「逢魔は代々、この地に住む神山一族が封印してきた強大な怨霊。ヤツは霊眠させても、やがて力を蓄えて自ら復活してしまう。この前、私に霊眠させられた恨みを、さつきと敬一郎で晴らすつもりだわ…!」

「霊眠させたって…桃子さん…。え…?なにを言ってるんです!?」

ハジメとレオは顔を見合わせた。神山というのは既に鬼籍に入っているさつきの母・佳耶子の旧姓だ。佳耶子が強い霊能力を持ち、この天の川○学校に在籍していた少女時代に数々の妖怪を霊眠させていた事は、さつきが持つ形見の「お化け日記」を通して知っている。これまでにも何度もその日記に助けられて、霊眠から覚めた妖怪たちを再度封じてきたのだ。しかし、その佳耶子の霊が何度となく桃子に憑依して、さつき達の危機に助け舟を出していた事には、ハジメたちも、桃子自身でさえも気づいていない。東京の病院に共に入院中だった頃に佳耶子と親しかった桃子は、その霊感の強さと受霊体質もあり、佳耶子が自分の意志と力をこの世で発現させるには格好の存在だった。今もまた、最大の仇敵の復活を察知した佳耶子の霊は、娘たちの危機を救うべく桃子の身体を借りて現れたのである。 

(いけない、早すぎる。この結界の強力さ…。すでに逢魔が完全復活したなら、いまのさつきでは太刀打ちできない。さつきも敬一郎も殺されるか、あるいは…)

逢魔を霊眠させた過去の「ある記憶」に戦慄する佳耶子…ハジメたちの見る桃子の顔に激しい焦燥が浮かぶ。その桃子の目が素早く校舎の壁を見渡すと、中二階くらいの高さに有る破れた小窓で止まった。ストーブの排煙と空気穴として使われていたであろうその小さな開口部は、その教室の分だけ木のめくら蓋が破れて、何とか人が潜り込める程度の大きさがあった。

 「あそこから入れるわ!行きましょう」

 「よ、よしっ。僕、新校舎へ戻ってロープ持ってきます。あとハシゴか脚立を探してこないと」

 「俺は旧校舎の裏を探してみる。時間がない、このさいロープだけでもいい。この高さなら1人は人間梯子で何とか登れる」

ハジメとレオが駆け出す。

(さつき、敬一郎…私が行くまで頑張ってて。逢魔―。もしさつきに、あの時のような辱めを受けさせようとしているなら…おまえを絶対許さない!)

佳耶子は壁面に唯一、ぽっかり開いた穴を見つめながら、結界の中の気配を探ろうとしていた。その小窓の奥の暗闇が、佳耶子にとっても二度と引き返せぬ地獄への入り口になる事を、今は想像している余裕も無い。 

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