03-殺戮      <<Back  Index  Next>>

前略 ――


 イタカの街へ嫁した彼女の元へ故郷タニアの母親から手紙が届いたのは、今朝、夫を仕事に送り出して間もない頃だった。
 大怪我を負った父親が医者からあと数日の命だと宣告されたという。死に目には会えないかもしれないが、次にタニアへ向かう隊商に同行すれば葬式には間に合うかもしれない、とそれだけが書かれた手紙。父親が怪我を負った経緯も、母親の悲しみや不安も、何ひとつ書かれてはいない。
 小国が乱立し、常にどこかでいくさが起こっている東の大陸。傷つき疲れた人々の心は、兵士に踏みにじられた農地のように荒れ、疲弊した国は治安を維持できずにいる。セシリアナの住むシュタイン王国も現在戦火にさらされてはいないものの、比較的安心して暮らせるのは兵士や自警団に守られた街の中だけで、大勢の護衛なしに街道を行き来するのは脱走兵や傭兵崩れといった荒くれ者の集まりである盗賊団に襲われに行くようなものだ。
 だから母は裏街道を通れば馬で一日ちょっとしか離れていない場所に住んでいるセシリアナに、すぐ来て欲しいとは言えない。
(独りで心細いはずなのに……、悲しくてどうにかなってしまいそうなはずなのに……)
 半年前、一人娘であるセシリアナを嫁に出したばかりだというのに、生涯の伴侶を失おうとしている。最期に愛娘の顔を見せてやる事すらできずに。
 そう思うと、いてもたってもいられなかった。
 夫宛ての書き置きをテーブルに残すと、僅かばかりの持参金と針仕事の内職で貯めた小銭を床下から取り出した。腰帯サッシュさやに入れたナイフを挟み、根菜類を保存しておく麻袋に着替えとパンやチーズ、水を入れた革袋などを突っ込んでいく。
 四半時後には納屋から出した馬車に麻袋と数枚の毛布を積み込んで御者台にのぼっていた。
 それでも、さすがにまっすぐ街の外へ出て行くほど無謀にはなれなくて、傭兵達がたむろしている界隈へ向かう。彼女の所持金では二、三人雇うのが精一杯だろうが、剣を持つ者が同行してくれていれば盗賊達も少しは躊躇してくれるかもしれないと考えて。
 だが、涙ながらに事情を説明しても、セシリアナの依頼を受けてくれる者は見つからなかった。危険の大きさに多くはただ首を横に振り、数人からは「十日もすればタニアを通る隊商がイタカに立ち寄るはずだから、それまで待った方が良い」と、親身になってさとされた。でなければ「冗談はよせ」と笑いとばされただけだ。三日も遠回りになる表街道を通るなら三人でも、という提案もあったが、彼女にそこまでの日当を支払う余力はない。それに、一刻も早く父母の元へ行きたかった。
 途方に暮れて立ち尽くしていた彼女に、一人の男が声をかけてきた。何の前置きもなく、「俺に命を預ける気はあるか?」と。
「命を……預ける?」
 突然目の前に現れた男の、場違いなほど美しい顔立ちに見惚れ、とっさに意味をはかりかねたセシリアナが呆けたように問い返す。
「ちゃんとした紹介者もなしに数人の傭兵を雇って、女が一人で旅しようなんて無謀だ。盗賊に行き会わずとも護衛に襲われて、身ぐるみ剥がれた死体になって暗い森に転がる可能性もある。もちろん、きっちり犯された後だ。いや、舌を抜かれて奴隷に売られる方がありそうか」
 言われて、セシリアナは自分が無意識にその事実から目を背けていたのに気づく。
 傭兵は信用商売。腕がたって信頼できると評判になれば黙っていても割増料金での仕事が転がり込んでくるかわり、少しでも妙な噂がたてば雇ってもらえなくなる。だからそう簡単に雇い主を裏切ったりはしないが、バレる恐れがなければそういう事も簡単にやってのけるだろうというのは頷ける。戦の時には敵側の女子供を手にかけたり、陵辱したりというのは当たり前のように行われるのだから。十人の傭兵が僅かな旅の期間に一致団結して悪事に走る事はまずないだろうが、一人二人なら……。
 だが、当の傭兵の口からそんな話を聞かされるとは思いもしなかった。それとも、彼は傭兵ではないのだろうか? 徽章きしょうひとつつけない剣と短剣をいた動きやすそうな服装は流れの剣士のそれだが、彼には周りの男達とは違う雰囲気がある。
 戸外で過ごす事が多い傭兵の肌は大抵褐色に焼けている。中には生涯脱皮し続けているかのような無惨なピンクの肌を嘆いている者もいるが、彼ほど色白の者は他に見当たらない。白いだけではなくいかにも肌理が細かそうで、つるつるした頬に髭がはえているところなど想像できない。背丈はどちらかといえば高い方だが、スラリとした体つきはごつい男達に囲まれていると華奢にさえ見えた。項で束ねたまっすぐな黒髪は艶々と光り、汚れひとつなく形を整えられた爪同様、手入れの良さをうかがわせる。歳は、十代の終わりから三十前までのいくつといっても通りそうだった。外見と表情や所作の落ち着きが一致していないせいなのだが、セシリアナにはそこまでの観察力はない。
 言葉遣いもぶっきらぼうだが汚くはなかったし、身ごなしにどことない優雅さがあるようにも思える。もし傭兵だとしても、元は貴族か、王や有力な寺社などに忠誠を誓うちゃんとした兵士だったのではないだろうか。戦乱のご時世、没落した貴族は珍しくない。滅びた王家の末裔、という事だってあり得ないとはいえない。
 そんなセシリアナの物思いをさえぎって、男はついさっき己が無謀と言い切った行動を勧めるような科白を吐いた。
「俺の名はシェン。俺と二人きりで一晩過ごす度胸があるなら、すぐに出発できるが、どうする?」


 セシリアナは本街道や町中の道では経験した事のないひどい揺れに耐えながら、手綱を握っているシェンの背中を見つめていた。
 荷車に木の座席をつけただけというセシリアナの馬車は、狭い旧街道をのんびりと進んでゆく。手入れされていない道のあちこちに車輪を捉えかねない生い茂った草の茂みや陥没、突き出た木の根などがあり、馬車をいているのが鈍重な農耕馬でなくとも速いペースで進むのは無理だった。セシリアナが馬車の後ろに繋がれている黒雷こくらいという大きくて立派なシェンの乗馬に牽かせてくれたなら、もう少しは速く進めるのではないかと思っていたとしても。馬車馬としての調教を受けていない黒雷には無理だという説明は受けていなかった。
 シェンは無口な男だ。自分から口を開くのは本当に必要な時だけだし、セシリアナが話しかけても相槌ひとつ打つでもない。はっきりとした質問をぶつけてみても、「そうだ」とか「いや」、でなければ「答える必要はない」といった言葉が返ってくるだけで一向に会話が成り立たなかった。
 彼女が持ってきたパンとチーズと水だけの昼餉ひるげを終え、午後も半ばを過ぎてセシリアナの緊張が薄れてきた、そんな時だ。左右に広がる深い森から男達が飛び出してきたのは ―― 。

 彼らが盗賊ではないという事はあり得なかった。大勢すぎてすぐには人数を数えられない。服装はまちまちで年齢も動きもバラバラだったが、手に手に抜身を持ち、凶暴な顔つきをしているのは共通している。圧倒的な人数の差に、逃がす事も自分達が危害を受ける事もないと安心しきっているのか、馬車の前後を挟んだだけですぐには手出ししてこなかった。
 シェンも動かない。ただその血管の中で生得の物ではない血がたぎり始め、白い肌が微かな桃色を帯びてきていた。薄い唇にも艶がのり、妖しい雰囲気を醸し出している。
「こりゃまた……」
 言いさしたまま、馬車の前に立ちふさがっていたひときわ大柄な男が一人、両手使いの大剣を肩に担いで吸い寄せられるように近づいてきた。シェンの全身に舐めるような視線を這わせる。
こえェくれーキレイなあんちゃんだなァ」
 のんびりした胴間声。ガタガタと震えながらサッシュの中のナイフをつかみ、陵辱され、奴隷に売られるくらいなら……と自決を覚悟しかけていたセシリアナは、男の呑気な口調に力が抜けた。
「後ろのネエちゃんよりよっぽどそそられるじゃねェか。性奴として高く売れそうだ」
 むさ苦しい髭面をニタリと歪めたのは、淫らな想像をしたせいか。
「だが、女と二人きりでこんな所を通るなんざイカレてんのか? それとも心中でもしにきたか?」
「邪魔だ。道をあけろ」
 髭男の問いを無視して放たれた深い響きを持つ中低音の声は、張りあげられた訳ではないのによく通った。
「今なんて言った?」
 変わらずのんびりとしてはいるが、いくらか険を含んだ声音が返ってくる。
「道をあけろ、と言った」
 シェンは躊躇なく言葉を投げ返した。唇に嘲笑を、冴えた青い瞳に蔑みの色を浮かべ、王侯が乞食を追い払おうとするかのように傲慢に。髭男のおもてが朱に染まる。
「体に教えてやらなきゃ、自分の立場が飲み込めねェか? 俺達をなんだと思ってんだ、ああ?」
 髭男の大剣がブンッと唸る。それでも態度にはまだ余裕があり、殺気は感じられなかった。できれば脅しつけて、労せず無傷で手に入れたいと思っているのだろう。
「自ら法の保護下を抜け出した盗賊……」
 剣の柄に手をかけながら立ちあがったシェンの眼がすうっと細められ、チロリと覗いた舌が形の良い唇を濡らす。色めいたその仕草に、男達の体の中心が熱をもった。
「解禁された獲物だ」
 微笑み、とそれを呼んでいいものかどうか。唇の両端を微かにあげたシェンの表情は確かにそう形容されるべきものなのだが、男達に投げかけられた視線にはやさしさも穏やかさもない。冷静に獲物の力量を値踏みしながらも、欲望にぎらつく飢えた獣の眼。だが、凄味を湛えたその表情かおにさえ、恐怖だけではない何かに背筋をゾクゾクさせられるような魅力があった。
 流れるような動作で剣が抜き放たれた刹那、周囲に動揺が広がる。黒い柄とつばを持つその剣は、剣身までもが黒かった。はがねなどではあり得ない。いや、黒い光を放つその物質はこの世の物とは思えなかった。漆器や磨きあげた黒大理石が光を反射するのとは違う。美しく、妖しく、みずから耀かがやくく黒い刃。その禍々まがまがしい輝きに気圧されたように多くの盗賊が半歩退いた。
 左手の中指と人差し指を揃え、軽く剣の平面に当てたシェンの脳裏に他者には聞こえぬ黒耀の思惟こえが響く。
『すべて魔法で片づけてしまうつもりではあるまいな?』
『いけないか?』
 シェンも黒耀だけに読み取れる思考を放った。
『女を守る為か? 素早く決着をつけたいと?』
魔力わざびつかせたくないだけだ。だが、そうだな。半分はすすらせてやる』
 瞬きの半分ほどの時で交わされた会話。そして ――
風刃ふうじん
 ぽつりと呟いたシェンの指先が、切っ先へ向かって一指尺ばかり滑る。
 シェンの右腕がしなり、黒い刃が閃いた。が、それが切り裂いたのは何もない空間。いや、鋭い音と共に大気を裂き、鎌風を生む。
 声をあげる暇もなく、髭男を含む七人の盗賊が胴を真っぷたつにされていた。噴きあげる血。シェンを除くすべての者の眼が見開かれ、何が起きたのか理解できずにいた。御者台から飛び降りたシェンは電光石火の早業で風の刃の餌食となった盗賊達の横を駆け抜け、呆然と立ちすくんでいる金髪男に向かって刃を繰り出す。
 八体のかばねが地面に倒れ込んだのはほぼ同時。
 そのドスンという音が消えやらぬうちに、身を沈めて斬りかかったシェンと刃を合わせる事もなく、新たな犠牲者が腹を割かれる。
「うわァあ ―― っ!」
 誰かがあげた悲鳴が気付け薬になったのか……我を忘れていた盗賊達の反撃が始まった。
 赤毛の大男が泣き声とも雄叫びともつかぬ唸りをあげて突進し、シェンに向かって大剣が振りおろされる。シェンは黒耀けんでその刃を受けはしたものの無理に弾き返そうとも持ち堪えようともせず、刃の下から身をかわす一瞬の間を作るとすぐさま剣を引いた。勢い余った相手がのめるように切っ先を地面に突き立てると、片膝を着いたシェンは空中で柄を逆手に持ち替え、がら空きになった腹をぐ。そのまま左手を柄頭に添え、振り返りもしないで背後から斬りかかろうとした敵の腎臓を突いた。
 キン、キン、と二度剣が打ち合わされる音が響いたと思ったら、もう次の犠牲者が胸を貫かれている。
 両の手首を切り落とされた男がクルクルと踊るように悶えながら、血しぶきを振りまく。
「きゃあっ!」
 高い悲鳴。馬車の床にうずくまっていたセシリアナの、震える手に握られていたナイフが弾け飛んで、地に落ちる。後方をふさいでいた左頬に刀傷のある男が馬車に飛び乗ってセシリアナの首に左腕を回し、立ちあがらせた彼女を背後から拘束していた。息を詰まらせたセシリアナが太い腕に爪をたてて抵抗しているが、なんの成果もあげていない。
「得物を捨てろ! でねェとこの女の命は……」
 シェンの視線を捉えた傷男が言い切らぬうちに、二本の指が黒耀の上を滑り、シェンの唇がことばを紡ぐ。
鳴縛めいばく
 低い囁きを聞いた者はいなかったかもしれない。が、近くにいた盗賊の剣に無造作に打ちつけられた黒耀が響かせた音は幾重もの谺を伴って、高く低くうねり走り、無数の見えない蛇となって盗賊共とセシリアナにからみついた。
 己の剣を魔術の道具として使われた男の頸動脈に黒い刃が当てられ、赤い液体が噴き出す。シェンと馬車の間に入り込んでいた男の肋骨の間に剣先が滑り込み、入った時と同じ素早さで引き抜かれる。
 誰も、ピクリとも動かない。シェンの他は。葉むらは風に揺れ、雲は青い空を流れているというのに。鼓膜を揺すり続ける音叉を打ったような音が、鳥のさえずりや木々のざわめきを閉め出していたとしても。
 馬車に駆けのぼったシェンがセシリアナをつかまえている男の脇腹に深々と黒耀を差し入れた。そのまま、グリリと剣をひねる。動けぬ男の全身から苦悶の汗が噴き出した。男に背中を押しつけられているセシリアナの体を生暖かいものが伝い落ちてゆく。
 シェンの両足が再び地面を踏み、馬車の後ろにいた者達が無抵抗のまま黒耀に血を啜られていった。
 呪縛の響きが消える ――
 いくつもの死体がいっせいに倒れかかる。セシリアナの喉から押し込められていた悲鳴がほとばしる。何度も、何度も。残った盗賊達が泡を食って木立の奥へ逃げ込もうとする。
 馬車の前方へ走り戻りながら、シェンはまた左手指を黒耀に触れる。
風渦ふうか
 足下の空気をすくいあげるように黒耀を振ると小型の竜巻が弾き出され、逃げていく盗賊達を襲った。全員が悲鳴をあげながら巨大な手につかまれたように高々と宙を舞い、風の消失と共に大地に投げ出される。
 シェンが走る。まともに立ちあがる事すら出来ないうちに四人が絶命していた。ようやく立ちあがった一人の男が、剣を構える暇もなく串刺しになる。ヤケクソでシェンに突きかかった男は素早く抜かれた短剣で剣を受け止められ、心臓に黒耀を突き刺された。抜き返された黒耀が後ろから迫っていた盗賊の腹を横一線に切り裂き、同時攻撃をしかけようとしていた男の喉に宙を飛んだ短剣が突き立つ。
 重い剣を放り出して走り始めた男は、数歩木立の中へ入った所で背中を袈裟懸けさがけにされた。
 残った盗賊は九人。皆バラバラな方向に散りかけていた。
『息があがっているようだな』
 暗にこのまま逃がすつもりかと問う黒耀の思惟こえ。その見下したような思念よくようあおられた訳でもないのだが、シェンは袖で顔の返り血を拭い、ニヤリと笑う。
『とっておきを見せてやる』
 魔力をのせた二本の指を黒耀に添わせ、その内部の魔力と絡ませる。魔力を与え、与えられる。その行為の熱さは性交のそれにも似てシェンと黒耀を酔わせ、たかぶらせる。
炎舞えんぶ
 黒耀の周りに炎が渦巻いた。右手に握った柄から意志を注ぎ込むと、剣身に絡みついていた火炎が宙に飛ぶ。ふくれあがり、くねる炎が獲物を追った。木々の間を縫って龍をかたどった炎が舞う。美しく、敏捷に、容赦なく。まき散らしてゆく火の粉は金の花吹雪のよう。
 ガッと開かれた巨大な口に呑み込まれ、男が一人、瞬時に、跡形もなく姿を消す。また一人、また一人、そしてまた……。最後の獲物は足をもつれさせて倒れ込み、ズボンの股を濡らしてひきつった顔に涙を流して命乞いをしていた。



後略

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