キハ58系・キハ65形
キハ58系は、急行列車の無煙化(蒸気機関車の廃止)と
気動車
化によるスピードアップのために、1961(昭和36)年に登場しました。
キハ58系には2基エンジンのキハ58形とキロ58形、1基エンジンのキハ28形とキロ28形が(便宜上)含まれますが、1両単位での運用を前提としているので、通常系列を組みません。しかし、同じ設計思想で設計され、同じ編成に組み込んで使うことを前提としているので、便宜上上記の4車種をまとめて『キハ58系』と言います。
キハ58系に先駆けて、北海道仕様で二重窓を装備したキハ56系(2基エンジンのキハ56形、1基エンジンのキロ26形とキハ27形)と、碓氷峠のアプト式に対応したキハ57系(2基エンジンのキハ57形と、1基エンジンのキロ27形)が登場し、スピードと快適性が向上して多くの乗客から好評を得ました。
キハ58系の車内は、普通車は4人がけのボックスシート。グリーン車はリクライニングシートですが、従来の気動車よりも車体の幅が広がったので、座席の幅も広がりました。
さらにエンジンもDMH17H形という横型のエンジンが採用されて、室内にエンジンの点検蓋を設ける必要がなくなり、車内を静かに保つことが出来るようになりました。
キハ58系はローカル線向けの短い編成も組めるよう、グリーン車のキロ28・キロ58形以外は運転台が付いています。しかも普通列車用の気動車なら、他の気動車とも連結することが出来ます。そのため急行だけではなく、普通列車にも使用されました。
普通車だけなら2両から編成を組めるので、異なる行き先の列車を多数併結して運転する『多層建て列車』によく使用されました。また、中央本線の急行『アルプス』ではグリーン車を2両組み込み、最大15両編成で運転されました。
私鉄の富士急行も国鉄と相互乗り入れをするために、キハ58形を3両導入しており、その中のキハ58003は単行運転も可能な両運転台車でした。これは国鉄のキハ58系にはないスタイルで、他のキハ58が定期点検に入ったときでも、車輌の向きを変えることなく常に2両編成を組めるようにするための工夫です。晩年は有田鉄道で余生を過ごし、現在は同鉄道が廃止されて、使われないままになっています。
また、非電化区間の沿線に住む修学旅行生を輸送するために、特別仕様にした800番台も用意されました。
各ボックス席には着脱可能な大型のテーブルが装備され、デッキには補助いす、客室内には速度計も用意されました。端の座席は、引き出すと、急病人の簡易ベッドになりました。
塗装も『修学旅行色』と呼ばれる、黄色と朱色を組み合わせた特別なデザインとされました(塗り分け方は一般のキハ58と同じです)。
■冷房化と、それに伴う編成出力の低下■
キハ58系が登場した時は、扇風機すらついていない旅客列車がたくさんありました。
しかし好景気や高度経済成長で国民の生活が向上すると、エアコンが一般家庭にも普及していくようになります。
キハ58系は特別料金を必要とする急行列車に使用しますから、冷房装置の搭載が必須になってきました。そこでまず、グリーン車が冷房化されました。
気動車は架線から電気を取らないので、必要な電気は自分で発電しなければなりません。キハ58系にも発電装置はついていますが、室内の照明や運転台などへの給電など、小さい容量の物しかありませんでした。そのため、冷房装置を動かせるような大電流を得る場合には、専用の大型発電機が必要でした。キロ28形には、自車のみに給電可能なディーゼル発電機が搭載されました。
続いて普通車にも冷房装置が搭載されることになりましたが、キハ58形はエンジンを2台搭載しているので、床下に発電機を乗せるスペースがありません。トイレと洗面所で使う水をためておくタンクですら、屋上に積んでいるほどです。
そこで1基エンジンのキハ28形に、自車を含め3両分のディーゼル発電機が搭載されました。この車輌は他のキハ28形と区別するために、2000番台になりました。
後にグリーン車も、キハ28形と同じ発電機に交換された車輌もいます。
ところがキハ28形はエンジンが1基しかなく、馬力はキハ58形の半分しかありません。
冷房化をする前ならば、勾配の多い路線は強力なキハ58形だけで編成を組めましたが、冷房化した後は電源車となるキハ28形の連結が必須になりました。しかも3両に1両の割合で。そうでなければ冷房が作動しません。
平地だけを走る編成ならば、燃料節約も兼ねてキハ28形だけで編成を組むこともありますが、勾配区間でのキハ28形の存在は、足手まといにしかなりません。
ですから21世紀に入った後も、例えば33‰の竜ヶ森峠を抱える花輪線では、キハ28形が連結されませんでした(そのため盛岡のキハ58形は、多くが冷房化されることなく引退しました)。
■救世主、キハ65形登場!■
そこで登場したのが、キハ65形です。キハ65形も1エンジン車ですが、キハ28形よりもずっと強力なエンジンを搭載したので、勾配のある路線でも強力な戦力になりました。
キハ65形もキハ28形と同様の片運転台車ですが、窓が当時最新鋭の急行形電車と同じ2段式になってサイズが大きくなり、戸袋を作らないようにするために、扉はブルートレインのような折戸になりました。さらに定員を増やすために、トイレ・洗面所は付けられませんでした(キハ58形と一緒に連結するので、トイレなしでも問題なしとされました)。
キハ65形の発電能力はキハ28形と同様で、自車を含め3両分です。
ところが、キハ65形は豪雪地帯では使用できない車輌となってしまいました。なぜなら折戸は構造上、凍りやすいからです。そのため扉にヒーターを備えた寒地向けの500番台も用意されましたが、それでも東北地方では使われませんでした。
■活躍の場の減少■
非電化区間に快適な急行サービスを提供したキハ58系。しかし、新幹線の延伸や特急列車に対するニーズの高まり、そして何より電化区間の延伸で、次第に活躍の場を失っていくことになります。特にグリーン車は、早くも1970年代の後半には余剰が出始めています。
さらに1980年以降になると、急行列車そのものが急速に減少していきます。キハ58系は急行列車の全盛期でも、希に普通列車用の気動車と連結して普通列車に使用される事がありましたが、今度は本格的に普通列車に進出していきます。
当時、キハ40系を除けば、普通列車用の気動車の多くは老朽化が進んでいました。もちろん冷房装置はありません。そこで赤字にあえいでいた国鉄は、キハ58系で普通列車のサービス向上を図ることにしたのです。
しかし、デッキつき・オールボックスシートという急行仕様のままでは、乗客の乗り降りが頻繁な列車に使うのには不向きです。そこでデッキを外し、端の座席をロングシートにする『近郊形化改造』をされる車輌が現れました。極端な例では、JRになった後、播但線用にオールロングシート化された5000番台が登場します。
他に、1両でも走れるようにと、両運転台にしてキハ53形の仲間入りを果たす車輌もいました。
一方、急行用に残った車輌の中には、座席をリクライニングシートに交換する車輌もいました。さらに、臨時・団体列車用に、ジョイフルトレインに改造された車輌もいます。
■国鉄色を脱ぎ捨てて・・・・・・・・・■
JRになった後はイメージアップのために、それぞれの地域独自の塗装に変えられていく仲間が続出しました。急行に使い続ける車輌も、塗装を変えられていきました。JR東海の車輌では、エンジンを交換し、最高110km/hで走れるようにした車輌まで現れました(ノーマルのキハ58系は95km/h)。
一方で、JR西日本のキハ65形の一部は特急仕様(エーデル)に改造の上、特急列車に使われました。
しかし彼らの活躍は、次世代の新形気動車の相次ぐ投入で、年を追うごとに狭められていきました。
急行列車からは、2007(平成19)年7月1日のダイヤ改正での急行『みよし』の廃止をもって撤退。現在は臨時列車や観光列車など、限られた場所で見られるだけとなりました。ごく少数ながら定期の普通列車にも使われていますが、後継車輌への置き換えが急務とされているので、定期列車から完全に撤退する日もそう遠くはないでしょう。
↑国鉄色のキハ58形とキハ28形による快速。2000(平成12)年8月7日、宍道にて撮影。
写真は後の方に製造された
パノラミックウインドウ
の車輌。
現在は、山陰本線からはキハ58系は撤退しています。
↑四国色のキハ58形・キハ65形の編成。
↑キハ58・キハ28形の非冷房車の車内(写真は盛岡の車輌の車内)。
冷房車には通常、扇風機はありません。
↑修学旅行色が再現されたキハ58・キハ28。
(2008年4月5日、鳴子温泉にて撮影。手前がキハ58、奥がキハ28)
修学旅行仕様車の800番台が1987年に全廃されたので、一般仕様のキハ58 414とキハ28 2174を使用して再現されました。
ただし、車内は急行『月山』、快速『南三陸』に使用された当時のままなので、リクライニングシートが完備されています。
キハ58 414は1963年6月6日に新潟鐵工所で製造され、松本に配置された後、名古屋、美濃、長野、小海、新庄、小牛田と渡り歩きました。急行『アルプス』で新宿駅に乗り入れたこともあります。
キハ28 2174は1963年2月18日に東急車輛で製造され、秋田に配置された後、山形、新庄、小牛田と渡り歩きました。急行『おが』として、上野駅に乗り入れたこともあります。
2両とも、最後は急行『月山』 快速『南三陸』に使用され、その時に座席がリクライニングシートに変わりました。
↑座席がリクライニングシートに交換されたキハ28形の車内(キハ28 2174の車内にて撮影)。
↑国鉄色が再現された唯一のキハ65形。宇和島にて2008年1月4日撮影。
2008年11月2日の臨時運転を最後に、四国のキハ58系の運転は終了しました。
それによって、国鉄色のキハ65形が再び営業運転から退きました。
写真の車輌は、相方のキハ58と共に、四国鉄道記念館での保存が予定されています。
↑上のキハ65形の車内。バケットシート化されたボックスシートが並んでいます。