「景子、負けたのか?」嘲笑交じりの声。
新しい傷を作って帰ってきたアタシを見て、クソオヤジが声をかけてきたのだ。
コイツは社会のゴミの集まりの一つである滝谷組の組長滝谷醍醐(たきたにだいご)。アタシが一番嫌いなクソヤロウだ。相手をするのも嫌だったが、負けたなんて思われているのはもっと嫌だったから「うっせ、相手が多かったから少し手こずっただけだ」吐き捨てるように言った。
「はっはっは、敵が多いと大変だな」
心配した様子なんてなく、小バカにしたような言い方にまた腹が立つ。別に心配なんてしてほしくもないが、アタシはバカにされるのが大嫌いなんだ!
「テメエには関係ねーだろっ」
クソオヤジを睨みつける。だけど、腐ったゴミ溜めのような世界で生きてきたこいつにはこんな程度の威圧は通用しなかった。平然とニヤついた顔を維持している。
「・・・ちっ」
家に帰ってくるといつもこうだ。こいつにおちょくられ苛立つことしかない。いっそのこと帰ってこないほうがいいんじゃないか?・・・そこまで考えて気づいた。そうだよ、こんなクソヤロウのツラを見にいちいち家に帰る必要がどこにある。アイツが出ていかねーならアタシの方が出てってやればいいんだ。
「おい、何処に行く?」
家を出ようとするアタシの背中にアイツの声がぶつけられる。
「アタシが何処に行こうと勝手だ」
「逃げるのか?」
「っ!」瞬間、頭に血が上りそうになった。振り返りヤツを殴ってやりたくなるが寸でのところで耐える。ここで挑発に乗ったらそれこそヤツの掌で踊らされてるのと同じだ。それに今はまだアイツに勝てない。
1ヶ月くらい前に一度だけアイツに殴りかかったことがある。そのときは気付けば床に這いつくばっていた。アイツはアタシを殴ることもせずに組み伏せ、そしてアタシの頭に足を乗せやがった。殴られるよりも悔しくてむかついた。
今はまだその差を覆せる自信がなかった。だから実質逃げるように家を出ることしかアタシには出来なかった。
「お嬢!」
玄関を出たアタシを呼び止める声に少し気持ちが和らいだ。
「そうかっかしないで家に戻りましょうよ」
アタシをなだめるように声をかけてきたのは、組員の矢沢憲次(やざわけんじ)。ゴミの集団の中で唯一アタシが仲間だと思える奴だ。奴、なんて言ってるがアタシよりも5つ以上年上だ。
なだめるなんてことを他のヤツにされたらムカついてただろうけど、矢沢に言われると、何だか怒る気にはなれないんだ。こいつはなんで組員なんてやってるんだってくらい良い奴なのさ。
それでもクソオヤジを振り切ってきた以上おいそれと戻る気はなかった。「今日は帰らない」
「お嬢・・・」
「アイツが土下座してきたら帰ってもいいけどね」
ありえないアタシの言葉に「・・・ぷっ」矢沢のやろう笑いやがった!
小突いてやろうと思ったが自分の言葉を思い返して、その状況を想像してみたら「はははっ」自分でも笑えてきてしまった。
そして二人で声を揃えて言った。「「ありえない」」
「とまあ、それは冗談としてだ、その内ちゃんと帰るから心配しなくていいよ」
「そうですか。それならいいんですが・・・」
ホッとしたような表情の後、矢沢が表情を少し曇らせた。
「?、どうしたんだ?」
「いや、最近ちょっと雲行きが怪しくて・・・」険しい顔になって矢沢が話した内容はこうだった。
昔から滝谷組と仲の悪かった双肩会というもう一つのゴミの集まり。最近はさして衝突することもなかったが、最近また揉め事が起きたことで、ひと悶着ありそうな予感がするとのことだった。
「う〜ん、まあ確かにきな臭いことになるのかもしんないけど・・・、それはクソオヤジの問題だからな、アタシには関係ないよ」
「まあ・・・そうではあるんですが・・・」
今だ不安が拭えない矢沢の股間に軽く蹴りを放った。
「ふぐぉおお!?な・・・何するんすか、お嬢」
「あっははは、まあもし何かあっても、男の倒し方は分かってるから安心しなって、そんじゃな」
股間を押さえて悶える矢沢に軽く手を振って街に繰り出した。
「い、いってらっしゃい、ほ、本当に気を付けてくださいよ〜」
後ろから聞こえた見送りの言葉、その重要度をアタシはまだ理解していなかった。
毒々しいネオンに照らされ始めた街路を歩いていく。決してこの場所が好きなわけじゃない。淫らで邪で穢れたこの雰囲気は、どこかクソオヤジと似通っていて大嫌いだ。だからこそアタシはここをぶらつくというか・・・。アイツの放つ嫌な雰囲気をもろともしない精神力が欲しくて、そのトレーニングというか・・・そんな感じだ。
・・・始めはこんなに嫌ってはいなかった。というのもただアイツの正体を理解していなかっただけだが。
物心ついてアイツのしていることをなんとなく理解しだしてからは、アイツはアタシ中でクズの象徴になった。人を騙し、蹴落とし、時には命を奪う・・・。アタシ自信愛だの友情だのなんてたいして信じちゃいないけど、アイツが汚い人間だってことくらいは分かった。
皮肉というかなんというか、アイツの血を受け継いでいるせいもあってアタシも喧嘩ばかりの毎日だけど、弱者を貶めるようなことはしたことはない。だけどアイツはそれを平気で、笑いながらやりやがる・・・・・・
「っ!」足元に転がっていた空き缶を怒りに任せて踏み潰した。潰れた缶を見て少し怒りが収まった。
気を取り直してゲーセンにでも行こうかと視線を巡らしたとき、「ちょっと来な」後ろから声をかけられた男に手を引かれた。
「お、おい、なにし」言いかけたところで逆の手の自由も利かなくなった。男がもう一人、反対側から手を掴んでいた。
「は、はな」次は口を塞がれる。
不意のことに身体が動かず路地裏に連れ込まれてしまった。
「俺たちと一緒に来てもらうぜ」
状況が理解できないが、こいつら二人がクソヤロウで容赦がいらないことだけは分かった。だからアタシは、
「いでっ!」右手を掴んでいた男の足を思い切り踏んでやった。
右手と口の拘束が外れた。
「てめっ」もう一人の男がアタシを逃すまいと掴んでいた手に力を込めたが、それよりも先にやるべきことがあった。
その前にアタシを殴るなりなんなりするべきだったな。だから、
「ぐうぅ!」あたしに先に殴られるんだ!
これで全身が開放された。素早く体を入れ替え二人と距離を取って対峙する。
二人が同時に掴みかかってくるが、遅い!そこらの喧嘩慣れした男子よりも弱いことがすぐに分かった。
タバコの吸い過ぎなんだよ!二人を同時に交わすようにサイドステップをし、手近な男の後頭部に鉄槌を落とす。向きを変え終わったばかりのもう一人の顎に右ストレートを打ち込んだ。
地面に倒れ伏した男どもの股間を一発ずつ蹴っておく。用心のためだ。
「雑魚が、アタシに喧嘩をうるんじゃないよ」
我ながら決まった!カッコイイキメ台詞を残し颯爽と去ろうとしたときだった。
ガツン!
右耳に衝撃と鈍い音が響いた。視覚が霞みながら斜めに揺らいでいく。脳が揺れているのか思考が追いつかない。何が起きたんだ・・・何でアタシが地面に倒れてる?横目でさっきまでアタシの立っていた場所を見ると、そこには二人いた男とは別の男が立っていた。
クソッタレ!顔を覚えてやるから見せやがれ!目を凝らしてみるが視界が定まる様子はない。ああ・・・だめだ、意しきが・・・とおの・・・く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・