プ ロ ロ ー グ
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「はぁ……見つからないわね」
 ゆったりとした服に身体を包んだ髪の長い少女が、大きな椅子に腰掛けて憂鬱そうに溜息をついている。
 ここは幻想郷の中でも異質な外観を持った、悪魔の棲む家『紅魔館』。その地下にある大図書館の最奥、魔女の居室だ。
 難しい顔で本を読んでいる姿は一見すると普通の少女のように見えるが、百年以上の時を生き多彩な魔術を操る恐ろしい魔法使いなのだ。
 そんな少女の書斎に男が一人訪ねてきた。一声掛けてから半開きになっていた扉をくぐる。
 緊張しながら返答を待つ男はこれと言った特徴の無いただの人間だ。
 少女は男に気付くことなく分厚い本に視線を落としたまま深刻そうな表情で何事かブツブツと呟いている。どうやら男が掛けた声は聞こえていなかったらしい。
 少し気分を害して表情を歪めながらも自分から魔女に声を掛ける勇気はなく、手に荷物を持ったまま気付かれるのを待って立ち尽くす。
 臆病と嗤うなかれ。近年は人間が妖怪に襲われる心配も少なくなったが、一昔前は人外の者と出会った途端に頭から丸かじりにされたり、血や生気を吸い尽くされて干涸らびる等という事も少なくなかったのだから。
 この魔女も下手に機嫌を損ねれば一瞬で首を消し飛ばす程度の事はしかねないだろう。
 見た目こそ少女より年上に見えるものの、男は人間の里からやってきた何の力も持たないただの人間だ。
 吸血鬼が主を務めるこの紅魔館の中に居るのも、決して門番を倒して侵入したわけではない。メイド長の許可を得て物資の搬入をしているだけなのだ。
 男は運び屋を営んでいて、依頼された品物を仕入れては幻想郷の様々な所に届けている。
 紅魔館はお得意様の一つで、最近は頻繁に物資を納入している。
 門番の少女とはもう顔馴染みで、メイド長が忙しい時(忙しくない時はあまり無いが)にはこうして屋敷の中へ入って直接荷物を届ける事も多い。
 大図書館からほとんど動く事がないというこの魔女、パチュリーにも何度か荷物を届けに来ている。
「どうしようかしらね……」
 相変わらず本とにらめっこしたままの顔を上げないパチュリー。そんな彼女の小さな呟き声に気になる単語を聞き取った男は、意を決して声を掛ける。
「あの、パチュリーさん。どうしました?」
「無いのよ。そもそも魔術の下準備を魔術で行おうというのがいけないのかしら……」
「はぁ、魔術ですか。一体どんな魔術の準備をするんです?」
「フランを抑えられる程の強い感情……いえ、感覚?」
「えっ、妹様を抑える……んですか?」
「そんな物、魔術で植え付けても簡単な切っ掛けで解けてしまうでしょうね。そもそもあの子に効くのかしら……?」
 男の言葉に反応しているようでいて、会話として噛み合っていない。
 まるで二人それぞれが独り言を呟いているようだ。
 特に存在感も無いただの人間などは意識に入らないのかもしれない。
 男の方もパチュリー自身にはそれ程興味が無いのだが、彼女の言葉には大きく興味を惹かれている。
 フランとはこの館の主である吸血鬼・レミリア=スカーレットの妹、フランドール=スカーレットの事だ。
 男は以前、一度だけお屋敷の中を歩いている彼女の姿を見かけた事がある。
 金色の髪と真っ赤な瞳を持った華奢な身体の少女。その背中からは七色に輝く異形の翼が生えていた。
 可憐で妖しく儚く揺らぐ。そんな少女の姿を一目見た瞬間、男は彼女の虜になってしまったのだ。
 そのフランドールの事でパチュリーは何やら悩んでいるらしい。
 憧れの少女へ近づく千載一遇のチャンス。存在を認識されていないのを良い事に、男はパチュリーに色々と声を掛けて事の次第を聞き出した。

 会話とは言い難い断片的な話をまとめると以下のようになる。
 近頃お屋敷の中を自由に歩き回るようになったフランドールが頻繁に屋敷のあちこちを破壊している。強過ぎる力を抑える事を知らず、無闇に使ってしまうのだ。
 本人は館の外にも出たいと言っているけど、危なっかしくてとても外になんて出せやしないわ。でも館の中に閉じ込めておいたらおいたで被害は大きくなるばかりだし……何とかして頂戴、とレミリアに相談されたらしい。
 本当はこんな面倒な事はレミィ本人にやって貰いたいんだけれど、この大図書館も何度か破壊されて貴重な魔導書がいくつか消失してしまったのよね……と愚痴るパチュリー。
 図書館の膨大な魔導書の中から相手の力を操って抑える魔術を見つけ出したものの、それは相手の中にある強烈な感情や感覚を元に掛ける術らしい。
 フランドールの中に都合良くそんなものは存在していない。ならば強烈なそれを植え付けてしまえばいいのだが、下手なものを植え付けてしまうと逆に暴走させてしまいかねないので、何か良い方法は無いかと悩んでいたらしい。
 なるほど、やはりこれは男にとって大きなチャンスだろう。
 上手くすれば近づくどころか一気にフランドールを手に入れる事も不可能ではない。
 自分の考えに興奮した男はパチュリーに一歩近づき、少し大きめの声で話し掛ける。
「パチュリーさん、快楽を植え付けるというのはどうでしょう?」
「……え? 貴方、いつからそこに居たの? いえ、それより今なんて?」
「フランドールお嬢様に快楽を植え付けてはどうでしょう、と」
「快楽……? 快楽……か」
 上を向いたり下を向いたりしながら、口の中で小さな声で呟いてその言葉を吟味している。
「……そうね、いいかもしれないわ。間違い無く強い感情と感覚を与えられるだろうし、魔術の発動時にも反発を招く可能性が低い」
 何度も頷きながら自分の言葉を確認している。
「でもどんな快感を植え付ければいいのかしら。一口に快感と言っても色々な物があるでしょうし……」
 椅子から立ち上がり、腕を組んで足元に視線を落としたまま書斎の中をうろつき回る。また男の存在を忘れ去ったように独り言を呟き始める。
「そもそもそれを誰がどうやってする……?」
 うろつく彼女の前に一歩出て注意を惹く。
「その役目、任せて頂けませんか」
「貴方に……?」
「はい、快楽に関してなら知識も技術も自信があります」
「そうなの? そうね……私は魔術の準備をしないといけないし、他に手の空いている適任者も思い付かないし……いいわ。貴方にお願いしましょう」
 男の提案は拍子抜けな程にあっさりと承認されてしまった。交渉がこじれる事を予測して身構えていた彼は鳩が豆鉄砲を食ったような表情で目の前の魔女を見つめる。
「はぁ。それで、あの……方法は」
「方法は貴方に任せるわ。自信があるんでしょう?」
「あ、はい! 任せて下さい。妹様に必ず強い快感を植え付けてみせます!」
「お願いするわね。私は魔術の準備をするわ」
 そう言うと男から興味を失ったのか、椅子に座ってまた魔導書を読み始めてしまった。
 魔術の準備が整い、やっかい事が片づけば詳細は気にしないのだろう。
 彼は一礼してその場を後にした。
 里に戻るとさっそく準備に取り掛かる。計画を練り、香霖堂から様々な道具や薬を仕入れる。
 恋い焦がれていたフランドールを好きに出来る――想像するだけで抑え切れない興奮が男の内に湧き上がり、身も心も滾るのだった。


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