プ ロ ロ ー グ
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 私にはフィアという年の離れた妹が居る。
 たった一人この世に残された、私の愛する肉親だ。
 早くに両親を亡くした私達は他に身寄りもなく、母の旧友であった教会のシスターに引き取られた。厳しくも優しい彼女の元で育った私は神学校へと進み、何の疑問も持たずに神父を志し、そして成った。
 教会に留まった私はシスターを補佐し、妹と三人でささやかだが幸せな日々を送っていた。
 だが先日シスターが事故に遭い、そして間も無く亡くなられた。
 シスターに可愛がられていたフィアは嘆き悲しんだが、私は彼女の為にも涙を堪えてやるべき事を成した。教会本部からシスターの後継として認められ、三人で暮らしたこの教会を護る立場を得られた。
 突然の事故だった為にシスターからの引き継ぎを受けておらず、数ヶ月の間は教会の運営管理に東奔西走していた。
 その間、妹の様子がおかしくなっていた事にも気づかずに。

 その連絡は突然だった。
 フィアが教室の窓から落ちて病院に運ばれたという。
 予定をなげうって駆け付けると、彼女はベッドの上で目を閉じて眠っていた。
 医者の話によると幸い頭を打ったり骨を折るような事もなく、命に別状はないらしい。
 父母やシスターのようにまた家族を失う所だった。妹を助けて下さった事を感謝し神に祈りを捧げる。
 しかし、何故こんな事に……。その理由は数日後に知らされた。
 フィアはクラスで苛めを受けていたのだ。
 教えてくれたのは彼女のクラスメイトで、私が指導している聖歌隊のメンバーだった。同じく聖歌隊に所属しているフィアとは仲良くしてくれていた子だ。
 彼女はフィアへの苛めを止める事が出来なかった事をとても悔いていた。大人しい子だから、彼女もフィアと共に苛めを受けていたのかもしれない。君が気に病む事は無い、よく話してくれたと感謝の言葉を伝えた。
 その子は苛めを苦にして自殺を図ったのではないかと考えているようだったが、敬虔な信徒であるフィアは神の教えに反する自殺などは決してしないだろう。
 ふざけてか本気でかは分からないが、フィアを窓から突き落としたのだ。
 大事にこそ至らなかったものの、立派な殺人未遂だ。
 その事を学校や教師へ訴えたが取り合っては貰えなかった。学校と教会上層部には繋がりがあるらしく、逆に隠蔽するよう圧力を掛けられる始末だ。
 学校側が完全否定している上にフィアが大きな怪我をしていなかった事もあり、警察も取り合ってはくれなかった。
 憤怒の感情が沸き上がって来たが、神へ祈りを捧げることでどうにか収めた。
 フィアももう大丈夫だからと私を宥め、納得は出来ないながらも彼女にこれ以上の苦難が訪れないならばと振り上げ掛けた拳を降ろした。
 しかし、フィアへの苛めは止まらなかった。
 彼女の怪我が小さかった事で調子に乗った奴等は、陰湿さを増して苛めをエスカレートさせていった。
 制服をズタズタに切り裂かれたり、服に隠れる部分を叩いたり蹴ったり。母を真似て伸ばしていた長い髪を切られもしたらしい。フィアは私に一切告げなかったが、最初に苛めの事実を教えてくれたあの子がまた教えてくれたのだ。
 それでもフィアは大丈夫だからと私に微笑んだ。
 解決方法を何も見つけられずに焦れた私はせめて見守ろうと学校へ侵入し、フィアの教室を遠くから覗き見た。すると思いも寄らない事実を目の当たりにしてしまった。

 苛めの事実を私に告げ、フィアを助けてあげて欲しいと言ってきた少女。あの子が普段見たこともない陰湿で愉しげな表情を浮かべてフィアを足蹴にしていたのだ。
 他のクラスメイト達はその様子を遠巻きに見ている。
 私は目の前が真っ暗になる程の衝撃を受けた。
 苛めの内容について奇妙な程に詳しかったのは、彼女がそれを行っていた当人だったからなのだ。
 調べてみると彼女の父親は教会の有力者で、私に掛けられた圧力はそこが発生源だった。苛めの事実を私にわざわざ教えたのは、父がもみ消してくれると知っていて私達の反応を楽しむ為だったのだろう。
 私の前では大人しく気が弱いフリをして、フィアと仲が良いのだと騙していた。フィアは心根の優しすぎる子だから、私が心配しないようにとその事実を黙っていたのだ。
 そうとも知らずに私は奴の言葉を信じ、余計にフィアを苦しめていたのだ。
 教室に怒鳴り込む事も出来ず、私はフラフラとした足取りで教会へと戻った。
 十字架の前に跪き懸命に祈りを捧げ神に問うた。何故助けてくれないのか、どうしてこんな試練を与え続けるのか。
 しかし当然ながら神はただ見守るだけで、何も答えてはくれなかった。
 心が弱りきった私は助けを求め、今は亡きシスターの部屋を訪れる。忙しさにかまけ、ここはほとんど手付かずの状態だった。
 うっすらと埃を被った机に懐かしさを感じ、いつもシスターが座っていた椅子に腰掛ける。少しだけ心が落ち着いた。
 こんな埃だらけのままでほったらかしにして申し訳ありませんと謝り、せめて机の上だけでもと脇に置いてあった布巾で埃を拭う。
 気力が衰え意識が散漫になっていた為かペン立てに手をぶつけて倒してしまう。慌てて拾い集めていると、その中に一本の鍵を発見する。
 何処の鍵だろうかと見回して、ふと机の引き出しが目に入る。そこにあった鍵穴にそっと鍵を挿し込んで捻ると、カチリと小さな音が鳴った。
 どうにも好奇心が抑えられず、シスターへの謝罪の言葉を口にしてから引き出しを開いた。
 中に入っていたのは一冊の本、いや古びた手記だろうか。
 故人のプライベートに触れてしまう罪を懺悔しながら、私はページを捲ってしまった。
 そこに書かれていたのは、驚くべき内容だった。
 とても信じがたく、嘘だと叫びたくなる程の本日二度目の衝撃を私に与えた。
 私の父と母は実の兄妹だったというのだ。
 シスターは母の幼馴染みで、母の兄ともとても親しく過ごしていた。彼女はいつしか母の兄に想いを寄せるようになるが、兄はそれに応えてはくれなかった。
 その理由を問い詰めた結果、母とその兄はお互いを異性として愛し合っていた事を知ってしまう。
 それが公になってしまう前に、二人は駆け落ちをしたという。
 そして数年後、子供が生まれた事を知らせる手紙が届いたらしい。
 手記に挟まっていた手紙の文字は紛れもなく母の筆跡で、入っていた写真には父と母そして赤ん坊の私が写っていた。
 母の手紙はシスターの手記を裏付ける内容で、手記に書かれている事が真実であると示していた。
 つまりそれは、私とフィアが兄妹間の近親相姦によって生まれた子供であるという事だ。
 私達は存在自体が神の教えに背いている……。私の口から乾いた笑いが漏れた。
 二人に起こった数々の不幸な出来事は試練などではなく、自分の意に沿わない私達を神が排斥しようと苛めていたのだ。
 それだけでももう私の心はボロボロになっていたのに、更に追い打ちを掛ける事が手記には書かれていた。
 シスターは父を心から愛していて、彼を奪った母を憎んでいたらしい。その憎しみは両親の死によって終わるはずだったが、十年以上もの間溜め込まれていた憎悪の感情は違う相手へと向けられてしまった。
 フィアだ。
 成長するに従って母に似てくる彼女の事を憎むまいと想いながらも、憎まずにはいられなかった。躾の名を借りた虐待を行っていたとも書かれていた。
 その事に私は全く気づきもしなかった。
 時折身体に出来ていた痣。どこそこにぶつけたと言っていたが、シスターの手によって付けられたものだったのだろう。
 そういえばシスターから稀に奇妙な愛情を感じる事があった。あれは私を通して父へと向けられていたのかもしれない。
 もう乾いた笑いさえも出ては来なかった。
 慕っていたシスターさえもが私達を裏切っていたのだ。
 もう誰も、神さえも信じられない。……いや、神は敵だ。俺の敵だ。
 そう考えると心が据わる。心に刺さっていた棘が取れたような気分だ。
 目障りな神学書が収められた書棚を思い切り蹴飛ばしてやる。しかし書棚は揺れて中の本を数冊零しただけで全く動じていなかった。壁にガッチリと固定されているらしい。蹴った俺の足の方が痛いくらいだ。
 忌々しいこの本棚を何が何でも倒してやりたくなる。
 道具箱を持って来ると、棚を壁に固定している金具を叩き壊してやった。
 無防備になったその棚を両手で掴むと思い切り引き倒す。ざまあ見ろ。
 神へのささやかな復讐を果たした俺の目の前に一枚の扉が現われていた。どうやら書棚に隠されていたらしい。
 何だこの扉は。シスターから聞いてないぞ。
 錆の浮いた古い扉で、最近開かれた形跡はない。棚を固定していた金具も同じくらい古かった事を考えると、彼女もこの扉の存在を知らなかった可能性が高い。
 鍵が掛けられていて開かないが、探した所で見つかりはしないだろう。
 ドアの隙間にバールを挿し込むと、無理矢理に押し開いてやった。
 真っ暗な空間が下へ向かっている。扉の向こうがすぐ階段になっており、どうやら地下へと繋がっているらしい。
 ライトを手に降りて行くと、再び目の前に扉が現われた。こちらにも鍵が掛かっていたのでバールを使ってこじ開ける。
 扉の中には部屋があった。
 コンクリート打ちっ放しの壁が四方を囲むちょっとした広さの部屋。かび臭い匂いが鼻を突く。
 しかしその中にはほとんど何も無く、隅に古びたパイプベッドが一台あるだけだ。
 ……いや、良く見るとそれだけではない。
 壁や天井のあちらこちらに長い鎖が垂れ下がっている。
 何だろう、この部屋は。ただの地下室ではない。牢獄という言葉が最も近いだろうか。戦時中は軍に協力していたというから、そういう施設があったとしても不思議ではない。
 だがこの部屋に入ってから頭の隅にずっと浮かんでいる言葉がある――魔女裁判の拷問部屋。
 人が人の手で人を狩り、裁いた。それこそが今の俺のやるべき事だ。
 妹を苛め死の淵へと追いやろうとする魔女。神も法も奴を裁かないというのなら、俺が裁きを与えてやる。

 そう思い立った次の日、俺はあの少女を拉致した。
 そして徹底的な裁きを与え、自らの罪を懺悔させてやった。
 法と神に逆らった行為はこの上もなく俺を昂ぶらせ悦びの絶頂へと導いたのだった。


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