死ねるまであと少し(体験版) 著作・制作「すみわ」
<一、四月十日>
生きているのはもう嫌だ。我慢の限界だ。死のう。
そう思いながら夜道を徘徊するのは、今日で何日目になるだろう。
毎日毎日、死のう。死のう。と考えながらも、俺に死ぬ根性なんか無いのではないかと思えてきた。毎晩、いい死に場所は無いかと探し歩いているつもりだが、結局、ただブラブラ歩き回って帰るだけ。そんな日々が続いている。
今日こそはどうにかして死ねるだろうか?
そんな事を考えながら、今夜は近所にある林道を徘徊していた。
「……ん?」
前方数メートルほど先、道の右端に金属が放つような反射光が見えた。
「なんだろう?」
ひょっとしたらカネでも落ちてるのかもしれない。俺は反射光の正体を確かめるべく、それに近づいて、体をかがめた。
「これは……」
そこに落ちていたのはモデルガンだった。よく映画なんかでロシアンルーレットに使うような、弾が六発入ってるやつだ。
「……よくできてるな」
俺はそのオモチャの銃を拾い上げた。ずっしりとした重量感と、金属特有のスベスベした手触りを感じた。
適当にいじって弾を込める部分を開けてみた。弾は六発入っているのが見えた。その弾にはリアルに金メッキが施されてあり、まるで本物のようだ。
単なる飾り物の銃と思うが、ひょっとしたらプラスチックの弾でも出るかもしれない。
試しに撃ってみようか。
プラスチックの弾を入れる部分は見つからなかったが、最近のオモチャの事はよくわからないので、どこかしらにあるのだと思う。だが弾が出るか出ないかは、引き金を引いてみればわかる事だ。なにか狙って引き金を引いてみよう。偶然にもここは林道だ。周囲には木が腐るほどある。
俺は銃を両手で構え、周辺に茂る木々の中から、数メートルほど前にある一本の木に狙いを定めた。この周辺を照らす街灯は俺の少し後ろに設置されている一つしかなく、辺りは少し暗かったが、さほど気にしなかった。ただ、弾が出るのかを確認したいだけだ。
俺は銃の引き金を引き……あれ?引き金が動かない。
不思議に思い、銃を調べてみた。すると、銃の一部分の金具が動いた。どうやら、安全装置がかかっていたようだ。こんなところまでリアルに作ってあるとは、芸が細かい。
安全装置も外した事だし、これで引き金が引けるようになったと思う。よし……。
俺は銃を構え直し、もう一度、正面の木に狙いを定めた。そして引き金を……。
「!」
炸裂音が周辺に響いた。その音はオモチャの銃に相応しくない大音量で林の静寂を引き裂き、同時に閃光が発せられた。不意の出来事に俺は目がくらみ、視界が定まらない中、異臭を感じた。そして何が起きたのか理解する間もなく、手から肩にかけて棒で殴られたような強い衝撃が走り、耳の奥がポーンという時報の音で占領された。
「あつっ!」
ワンテンポ遅れて手の平に高熱を感じ、思わず両手を開いて縦に振った。持っていた物が手から離れ、コンクリートの上に金属の塊が落ちる音がした……が、それよりも目だ。目がチカチカしてなにも見えない。俺はその場に両手両膝をついて四つん這いにかがみ、視力が回復するのを待った。何が起こったのかわからない状況に、心臓がドクドクと激しく脈打ち、呼吸が荒くなった。
しばらくすると視力が戻ってきた。辺りを見回して、暗闇の中に茂る木々と上空の月が確認できた。激しかった動悸と呼吸も落ち着いてきた。
先程急な高熱を手の平に感じたので、もしかすると火傷をしているのではないかと思い、俺は手の平を見たが、少し赤くなっているだけで大した事はなさそうだった。
落ち着きを取り戻した俺は、コンクリートに落としてしまった銃を捜した。銃は俺の足元から数十センチほど離れた場所に落ちていた。
「これは……」
俺はしばらくその銃を見続けていたが、ふと、先程銃の的にした木が気になり、木の方に目を向けた。
「……嘘だろ……」
木の枝が折れていた。正確には、かろうじて皮一枚でつながった枝がゆらゆらと揺れていた。無風状態にもかかわらず揺れる枝は、首吊り死体を連想させるようで不気味だった。
「……もしかして……本物……?」
俺は再び地面にある銃に目を向け、その銃にゆっくりと手を伸ばした。先程は突然熱くなって驚いてしまったので、軽く触れて熱が冷めているかを確かめた。
……大丈夫だ。熱は冷めている。
銃が熱くないのを確認すると、拾い上げて弾が込められている部分を開けた。弾は六発入っているのが見える。
手の平の上で銃を傾けて振り、手の平に弾を落とした。個々を確認すると、弾の一つは中の弾丸が抜けた空の薬莢だけだった。
銃を撃つと弾が発射されるが、弾丸の入れ物である薬莢は残る。それは知っていた。
……これは今、俺が撃ったから……?いや、始めから一発は空の薬莢が入ってたのかもしれない。でも、そうだとしたら引き金を引いた時に起こったあの現象は……やっぱり……本物なのか?
俺は悩んだ。この銃がオモチャだと信じたい。そうじゃないと、俺はとんでもない事をしでかした事になる。
それを確かめる方法が一つある。もう一度引き金を引いてみればいい……のだが、先程の現象が再び起こったら……と思うと、恐ろしくてできない。
……認めたくは無いが、本物のようだ。
そうだ、不可抗力とはいえ、数分前に銃声を響かせてしまった。ひょっとして誰かが聞いたんじゃないだろうか。もしそうならここにいるのはまずい。早く移動した方がいい。
俺はその場から移動しながら、この銃をどうすればいいのかを考えた。警察に持っていくのも色々面倒だ。
……そうだ、いい事を思いついた。この銃で頭を撃ち抜いて自殺しよう。多分楽に死ねると思う。よし、そうと決まれば早速……。
俺は立ち止まり、銃口を自分に向けようとしたところで、ふと思った。もし、俺がここでドタマぶち抜いて自殺したとして、第一発見者は何を思うだろう?当然ながら、嫌な思いをするに違いない。脳味噌やら頭蓋骨やら飛び散って、排泄物垂れ流しながら死人特有の化け物のような形相をし、死臭の漂う俺を見て一生モノのトラウマになるかもしれない。
嫌だ。
俺は今まで散々人様に迷惑かけて生きてきた。死んでからも人様に迷惑はかけたくない。
俺は再び考えた結果、近くに流れる川へ向かった。
しばらく歩いて、川に到着した。
俺の考えはこうだ。この川に架かる橋の中央付近で欄干から身を乗り出し、体を川に落ちない程度に川の方へ傾けて、ドタマをぶち抜く。すると、死んだ俺の体はそのまま川に落ちて、うまくいけばそのまま海まで流れ着くはずだ。仮に海まで流れなかったとしても、脳味噌やらなにやらは川に流されて、わりと綺麗な死体ができ上がると思う。うまくいかなかった場合は、第一発見者にはちょっとだけ嫌な思いをしてもらおう。川にある死体を発見するくらいなら、大したショックは受けないと思う。
そうだ。ちょうどいい。ロシアンルーレットをしよう。弾が出る確率は、なんと六分の五。弾が出ない方がおかしい。
俺は弾が込められているシリンダーに手を添え、勢いよく回した。シリンダーはガリガリと金属同士が噛み合う音を立てながら数秒間回転したのち、止まった。
「……よし」
体を橋からギリギリまで乗り出す。この体勢で死ねば、死体は下の川に落ちるだろう。
「………」
俺は銃口を右のこめかみにあてた。後は引き金を引けば、六分の五の確率で死ねる。
「………」
後は引き金を引くだけ、引くだけなのだが、どんなに力を込めても指が動かない。呼吸が荒くなり、動悸が激しくなってきた。
手が震えている事に気づいた。
気温は低いにもかかわらず、額に汗が流れた。
今だ!死ぬなら今しかないんだ!さあ!引き金を引け!
自分の指に強く命令した。心臓が力強く脈打つ音が聞こえた。
俺は強く目を閉じ、全身の力を込めて引き金を……。
金属同士が激しくぶつかる音が右耳の上で聞こえた。その瞬間、心臓が止まったかと思うほどの激痛が胸に走り、息が止まった。
俺は死んだと思った。
……だが、しばらくすると息が苦しくてたまらなくなったので、俺は口を開けて大きく息を吸った。肺に空気が勢いよく流れ込んできた。肺が一杯になり、息の吸いすぎで苦しくなったので、今度はその空気を吐き出す。それを何度か繰り返し、やっと息苦しさは収まった。
息苦しさからは解放されたものの、体の感覚はなにも変わらないように思える。俺は目を閉じたまま、どうしたらいいかわからなかった。もしかして、死んでも体の感覚は変わらないのだろうか?
確認の為に目を開けて辺りを見回した。周囲の風景は目を閉じる前と変わらない。俺は銃を右のこめかみにあてて橋の欄干から少し身を乗り出し、体を川側に向けて傾けている。
もしかして魂は橋の上に残っていて、死体は下に落ちてるかもしれない。
そう思い、下の川を覗き込んだが、数メートル下にある穏やかな流れの川には、死体らしきものは確認できなかった。
銃の弾を確認した。
空の薬莢は一つだけだった。
つまり。
俺は生きているようだ。
「……はあ……」
俺は深く息をはき、冷たいアスファルトに座り込んだ。まだ心臓がバクバクする。まったく、自殺ってのは心臓によくない。
今日は疲れた。もう死ぬ気も失せた。帰ろう。別に今日じゃなくても、この銃があればいつでも死ねる。今度はロシアンルーレットなんて変な事しないで一発で決めればいい。
俺は銃の安全装置をかけて、ズボンのポケットにしまった。
今の棲家にしているアパートに戻る道中、明日の事を考えると憂鬱になった。
「……はあ……明日からまた学校かぁ……嫌だなぁ……」
今日は日曜。休日の最終日だ。今日こそ適当に死のうかと思ったが、運良く銃を手に入れたにもかかわらず、結局死ねなかった。明日から高校に通う生活が再開してしまう。
「……はあ……」
俺は今日何十回目かわからないため息をついた。
とぼとぼ歩いていると、実家を追い出された時の記憶が頭に浮かんできた。
俺はここ数年、なにもする気力が起こらずに家でゴロゴロしていた。それを見かねた父親にケツを叩かれて、某高校へ通うハメになった。高校には口を利いてやるから二度と帰ってくるな。と言う父親の怒鳴り声と共に俺は家を追い出された。どのみち、この歳で弱音を吐いて家に戻るなんて、恥ずかしくてできっこない。結局、新しい生活は最初から乗り気では無かったが、一人暮らしを始め、高校に通い始めてからもそれは変わらず、この有様だ。なので、高校に通うのが耐えられなくなった今、俺は死ぬしかない。
今、銃をくわえて引き金を引いたらどんなに楽かと思ったが、しなかった。ここは閑静な住宅街だ。就寝中の老若男女の皆様に迷惑だ。
そんな事を考えながら歩いているうちに、今の根城にしているアパートに着いた。一階が駐車場で二階が住居になっている。二階に上がり、部屋の鍵を開けて室内に入った。喉がカラカラに渇いていた。入り口のすぐ左にある台所に向かうと水道の蛇口をひねり、腰を曲げて水道水をむさぼるように飲んだ。そのあと風呂に入り、服を着替えて部屋の隅にたたんである布団を敷き、中に潜り込んだ。明日の心配が頭の中でぐるぐる回り、不安で眠れなかった。
<二、四月十一日>
朝。ケイタイの目覚ましを念の為にセットしてあるが、今の生活で目覚ましのお世話になった事は無い。毎晩、寝た気がしないからだ。ウトウトしかけたところで、なぜかはっと目が覚める。そんな状態を繰り返している。夜がしらじら明けてきた頃、もう寝るのは諦めようと起きる。寝た気がしないので、一日中、体がだるい。とりあえず、もし寝てしまった時の事を考えてケイタイのアラームをセットしている。だが結局今日も役目を果たせなかったケイタイの目覚まし機能のタイマーを切り、学校へ行く準備をする。
ああ、朝から憂鬱だ。この憂鬱さからは一生解放されないのだろう。俺は毎朝、いや、二十四時間、永遠にこの憂鬱な気分で一生を過ごすのだ。はあ。死にたい。
第一、この服装が嫌だ。ただでさえ窮屈なワイシャツに、わざわざネクタイを締めるのが嫌でたまらない。息が詰まりそうだ。こんな大昔のお守りが、なぜ現在の義務になっているのか、誰か教えてほしい。
だが、どんなに文句を言ったところで時間は待ってくれない。済ませたくない準備を済ませた俺は、アパートの鍵をかけると学校へ向かう決意を固めた。学校は徒歩で二十分ほどの距離にある。乗り物が大の苦手な俺には唯一の救いだ。だからといって、学校へ通う苦痛が大して軽減される訳では無いが。
学校に近づくにつれて心臓の鼓動は激しさを増し、息苦しくなってきた。意識がもうろうとしてきて、吐き気がする。同じ学校に通う学生を見ると逃げ出したい衝動に駆られる。
それでも俺は学校へ向かう。それが俺の生きてる間の『義務』だからだ。
学校に着いた。校舎へ入る俺の足は震えていた。
今日も苦痛なだけの授業が始まった。授業中、何度も時計を見ては「あと何時間で帰れる」と、自分を励ましながら深いため息をついた。
数時間後、待ちに待った本日最後のチャイムが校内に響いた。やっと終わった。ゆっくりと息をはく。
今日の俺に課せられた義務は終わりだ。少し気分がすっきりしたが、それもほんの一瞬だった。今日が終わっても明日が待っている。明日が終わっても明後日が待っている。そして来週も、来月も、来年も待っている。俺は生きている限り、この苦痛なだけの終わらない日々をいつまでも過ごさなければならないのだ。
死のう。
今日こそは死のう。
その日の夜。俺は今日こそ自殺をすべく、銃をズボンのポケットに入れ、外をブラブラと歩いていた。
死ぬのに最適な場所は無いだろうか。例えば自殺の名所とか……いや、近所にそんな場所は無かったと思う。
とっさに死にたくなった時にいつでも死ねるよう、人目を避けて歩いているうちに、いつの間にか、ちょっとまずい場所を歩いている事に気づいた。
この辺りはビル街になっていて昼間は賑わうが、夜は人がまったく寄り付かなくなる。不良の溜まり場として知られていて、ヤクザの事務所がこの辺りにあるという噂もあり、朝に死体が転がっていた事もあったとか無かったとか……。まあ、あくまで噂だけど。
今日は財布を持ってないけど、あまりこの辺を歩かない方がいいな。痛い事されると嫌だし。何より、この銃が荒くれ者の手に渡ってしまったらどうなるか、想像しただけで恐ろしい。
俺はとりあえず人通りの多い道に出ようと、向きを変えた。
「!」
かすかだが、女性の悲鳴のような声が、どこからか聞こえた。
気のせい?いや、まさか……まさかとは思うが……。
俺は女性の悲鳴から連想される、とある犯罪の光景を頭に思い浮かべた。だがすぐさま頭を激しく左右に振り、そのくだらない妄想を脳裏から振り払った。
気のせいだ。
空耳に違いない。
帰るんだ。
今日は帰って寝よう。
死ぬ場所を探すのは明日にしよう。
でも、もし、空耳じゃなかったら……。
俺の、くだらない思考ばかりを繰り返す脳ミソが引き起こす妄想が、再び脳裏に浮かんだ。俺は再び頭を左右に振って、それを払った。
嫌だ。そんな事、この世にあってほしくない……あってほしくはないが、事実としてある事だ。この平和と言われている日本で、毎日のように、必ず起こっている犯罪だ。
俺は数十秒ほど、その場を動けないでいた。
「………」
……ダメだ。気になってしかたがない。少し周囲を探索してよう。
なにも無ければそれでいい。俺の空耳だ。そうだ。なにもある訳が無い。
寒さのせいか震えてきた足を、一歩、また一歩。声の聞こえたと思われる方向へ進めた。
気のせいだ。きっと気のせいだ。
そう思いながら俺は足を進めた。
曲がり角に差しかかると、そこを慎重に覗き込んで、誰もいない事を確認しながら適当に道を歩いた。
だが、そんな事を何度か繰り返しているうちに、自分の行動がバカバカしく思えてきた。
そうだ、こんな近所でそんな犯罪が起きる訳無い。俺の誇大妄想もいい加減にした方がいい。疲れるだけだ。
俺は帰ろうとしたが、結構入り組んだ道に入ってしまったので、自分がどこにいるのかわからなくなっていた。まあ、適当に歩けば見覚えのある通りに出るだろう。幸運な事に日本は島国だ。知らないうちに国境を越えて射殺される心配はない。
俺は、おそらくアパートがあるだろうと思われる方角に目星をつけ、その向きの路地に入った。
するとそこには、それまでとは違った光景が見えた。俺は思わず、来た道を戻って身を隠した。
今のは……。
恐怖を感じ、動悸が激しくなってきた。
俺は息を殺して通りを覗き込んだ。
曲がり角から二十メートルほど離れた街灯の近く。
街灯の明かりでは見えづらかったが、四人の人物がいるのを確認した。とっさに身を隠した俺には誰も気付いていないようだった。
四人のうち、三人は若い男だ。三人とも見るからにガラが悪い。残り一人の人物を取り囲み、押さえつけようとしているように見えた。
三人に囲まれている人物は男達の陰に隠れてよく見えなかったが、少し観察を続けていると、男達の間から細い素足とスカートのようなものが見えた。
女性が……!なんて事だ!早く助けないと!
俺の動悸は激しさを増した。
……だが、非力な俺がどうすればいいのか、わからない。手足は震え、歯を食い縛ろうとしても、ガチガチと耳障りな音を立てるだけでまったく噛み合わない。
恐怖のあまり、身動きが取れない事実に気づいた。
女性は三人の男に抵抗しているように見えるが、相手は男だ。かなう訳が無い。その上、多勢に無勢だ。
女性のかすかな声が聞こえたが、男に口を押さえられているようで、俺の耳には小さな「ん」の声しか聞こえてこない。
男達は卑猥な言葉を口にしながら女性の服を乱暴に引っ張っているようだった。
一瞬、男たちの隙間から女性の服が見えた。
それは俺が通う高校の制服だった。
俺は血の気が引くのを感じた。
ど、どうしよう。助けたい気持ちはこの上なくあるのだが、体が全然動いてくれない。
それならどうする?
逃げるか?
それともコトの成り行きを見守るか?
……嫌だ!
そんな事をしたら一生目覚めが悪くなる。ここはどうにかしてあの女性を助けるべきだ。
……だが俺の気はあせるばかりで、助ける手段を思いつく事ができない。普通なら電話で警察を呼ぶのだろうが、俺は普段ケイタイを持ち歩いてないので、当然今も持っていない。人を呼ぼうにも、周辺は明かりの消えたビルが立ち並ぶばかりで、人が居そうな建物は見当たらない。表通りに出て助けを呼ぼうにも、俺はここの正確な場所を説明できない。それに俺が手間取っている間に状況が悪化してしまったら、元も子もない。
……そうだ!俺は今、銃を持っているんだった。これで男達を脅して追い払えばいい。
……しかし、うまくいくだろうか。人に威圧的な態度を取った事の無い俺に、人を脅して追い払うなんて……もし、あいつらの反撃にあったら……。
いや、そんな事考えている場合じゃない。ここは俺がやるしかない。でないとあの女性が……。
俺は歯が砕けるかと思うほど歯を食い縛った。震える足をコブシで三度ほど殴りつけて、なんとか歩ける程度に震えを落ち着かせた。その足でゆっくり、曲がり角から通りに出た。
幸か不幸か、男達は通りに出た俺に気付かなかった。だが俺が近づけば必ず気付く事になる。そう考えると俺の恐怖は増したが、一歩一歩、連中に向かって歩いた。悪い夢なら覚めてほしい。頭がどうにかなりそうだった。
十歩ほど歩いたところで、男の一人がこちらを向いた。当然ながら、目が合った。
恐怖で足が止まってしまったが、歯を食いしばって、震える足を再び動かした。
男は慌てた様子で俺を指差して他の二人に知らせた。知らせ受けた二人は俺に顔を向け、一瞬驚いた表情をしたが、俺の姿を見ると三人で会話を交わし、そして全員が笑った。
多分、俺が大した脅威では無いと見ているんだろう。畜生……!確かに俺は力も根性も無いし、身長も低くて見た目は弱そうに見えて実際に弱いけど、今はコレがある!
俺は恐怖をやわらげる為に、ズボンの上から銃を強く握った。だが、恐怖は少しも軽減されなかった。
一人の男が薄笑いを浮かべながら近づいてきた。思ったより近くに来たので、俺は思わず足が止まり、さらに数歩ほど後ずさってしまった。男は俺が後退するのを見ると、その場で立ち止まった。後ろの二人は女性が動かないように羽交い絞めにしながらも、俺を見てニヤニヤしている。くそっ!何が面白いんだ!俺は恐怖で気が狂いそうだってのに!
「なんか用かぁ?ボウヤ」
近づいて来た一人が馬鹿にしたような口調で聞いてきた。
俺は日頃から声が小さいと人に言われる。だが今は声を張って、少しは相手を威圧する必要があると思う。俺は腹に力を込めて叫んだ。
「そ、その人を放せ!」
俺の声は予想に反して、甲高く裏返ってしまった。普段慣れない事をしたからだろうか。変な声を出してしまった自分が恥ずかしくなった。
「あーははははっ!おもしれえ!」
俺の前にいる男は笑いながら手をパンパン叩いた。
後ろにいる二人も大笑いしている。
「ボウヤ。お前もヤりたいだろ?俺達が終わったらあの女を好きにしていいぜ。だから、そこら辺に隠れて大人しく待ってな」
男はそう言うと俺に背を向けて歩き出した。後ろの二人は笑いながら女性の服を激しく引っ張り始めた。
視界がにじんだ。
俺は涙を流しているようだ。悲しみなのか。悔しさなのか。怒りなのか。わからない。自分にも理解できない感情が渦巻いている。
「動くな!」
激しい感情に後押しされて、俺は叫んだ。それと同時にズボンのポケットから銃を取り出し、震える手で安全装置を外した。そして銃を両手で構え、手前にいる男の背中に向けた。怖くて、引き金には指を掛けられなかった。
三人の男は俺の叫び声に反応してこちらを向いたが、再び大声で笑い出した。
「あーボウヤ。泣いちゃってるじゃねえか、ムリすっから。なんだ?それ。暗くてよく見えねえが、そんなオモチャまで出しちゃってよ。ほら、怖いんなら優しい俺達が怒らねえうちにとっとと帰んな。ボウヤ」
先程、俺と会話を交わした男はそう言うと、手をヒラヒラさせて、再び女性へ向かった。俺の事など意に介さないようだ。
上等だ!やってやる!
俺は男達から少し離れた場所にある、街路樹の植え込みに銃の狙いを定めると、引き金に指を掛けた。銃声に驚いたあいつらが逃げればそれでいい。
あとは引き金を引くだけ、ただそれだけなのだが、なぜか指に力が入ってくれない。
くそっ!引け!引くんだよ!
大丈夫だ。あいつらをビビらせるだけだ。誰も傷つける訳じゃない。だから動いてくれ。
俺は歯を食い縛り、肩から指先にかけて、これ以上無いほどの力を込めた。
閃光が周囲の建物を暗闇から一瞬浮かび上がらせた。それと同時に炸裂音が周辺に響く。
銃が熱くなるのを感じたが、振り落としてしまった前回とは違い、今回はしっかりと銃を握り締めた。銃が熱くなるのを予想していれば、我慢できないような熱ではなかった。
俺がこの音を聞くのは人生で二度目になる。だが、男達には始めてだったようだ。女性を羽交い絞めにしている二人は銃声に反応し、同時に俺を見た。その表情は恐怖に満ちていた。
「ホ、ホンモノの銃?うわあぁぁぁぁぁ!」
一人の男は一目散に逃げて行った。
「お、おい!ニセモンに決まってんだろ!」
もう一人の男はそう言いながらも、先に逃げた男を走って追いかけていった。足をもつれさせて何度も転倒しながら、暗闇に消えた。
俺に一番近かった男は、俺が銃を撃った瞬間から転倒し、アスファルトに這いつくばっていた。
「あ……あ……やめて……死ぬ……」
男は立ち上がろうとしているようだが、それができそうに無い。どうやら腰が抜けているようだ。結局、起き上がりかけては地面に転がる動作を繰り返しながら、フラフラとビルの間に逃げて行った。
「はあ……はあ……」
息が苦しかった。
数回呼吸を繰り返しても、息苦しさは収まらない。
俺は三人の男がいなくなったのを確認したあとも、その場を動く事ができなかった。
だが、いつまでも立ち尽くしている訳にもいかない。女性の様子を確認しないと……。
俺は女性を見た。女性は俺が始めに見た場所から移動する事無く、その場にうずくまっていた。
俺は女性の元へゆっくりと歩み寄った。
大丈夫だろうか?間違いなく、うちの学校の生徒だ。どうすればいい?このような事態で俺はどのような行動をとればいい?
「………」
女性から数歩ほど離れた場所で俺は立ち止まった。女性は膝をハの字に曲げて、冷たいアスファルトに力なく座り込み、両手で肩を抱え込んでいる。長い黒髪がうつむいた顔を覆い隠しているので表情はうかがえない。制服は所々破れて痛々しい。肌が露出している部分もある。
女性の口からは小さな嗚咽が漏れると共に、わずかに肩が震えていた。
とにかく、そのままにしてはおけないだろう。俺は周囲を見回して誰もいない事を確認すると、女性の隣に移動した。次にゆっくりと地面に左膝をつけて、右膝を立てる体勢で腰を下ろした。手に持っている銃に安全装置をかけて、そっと地面に置いた。そして自分が着ている安物の上着を脱いた。
「あの……大丈夫ですか……?」
大丈夫な訳無いよな。と思いながらも、それ以外にかける言葉が思いつかない。できるだけ優しく声をかけながら、俺は脱いだ上着を女性の肩にそっと羽織らせた。
俺の上着が女性の肩に触れた瞬間、女性は一瞬びくっと体をこわばらせたが、抵抗はしなかった。
「………」
女性は、なにも言わなかった。
「………」
なので俺も、なにも言わない。
女性も俺もなにも言わず、動かない。時間だけが動いた。
俺は、これからどう行動すればいいのかを考えていた。
この女性はこれからどうするのだろうか?とりあえず警察に被害届けを出すように薦めた方がいいのだろうか?恥ずかしいから出さないと言ったらどうしようか。いや、そんな事より強いショックを受けてるだろう。しかし、このような状況では男の俺が慰めの言葉をかけても意味は無いと思う。この女性にとって、自分をこのような目にあわせた奴らも、俺も、同じ『男』だ。おそらく、俺がなにを言っても女性の感情を乱すだけだろう。
「あの……」
女性の声が聞こえたので、地面に視線を落として考え事をしていた俺は女性に顔を向けた。艶のある黒髪が数本額に張り付き、目を赤くして、ほほに涙のあとが残る女性は……美人だった。
「!」
女性が驚いた表情をしたと思った瞬間、左の耳元でパンと乾いた音がした。頭がくらっとすると同時に、周囲の景色が一瞬歪んだ。そして再び景色が認識できるようになったと思ったら、正面を向いていたはずの俺の顔はいつの間にか右に向いている事に気付いた。何が起きたのか理解できず、そのまま右を向いていると、顔の左ほほがジンジンと痺れてきた。
とりあえず、顔をゆっくり正面に戻した。すると、先程まで俺の正面にいた女性が、俺の上着を羽織り、俺から逃げるように前方へ走っていた。そして前方五十メートルほど先の十字路を右へ曲がって姿を消した。
「………」
俺はその場に一人残された。なぜかわらないがそうなってしまった。
このほほの痛みは、おそらく、先程の女性にほほをはたかれたものだと思われる。しかし、なぜそうなったか、その理由はわからない。
……まあ、女性はとりあえず無事のようだし、いいか。一張羅の上着を失ったのは悲しいけど。ボロなりに気に入ってたのに。
納得しがたい思いをくすぶらせながらも、俺は置いた銃を拾って帰る事にした。
「……あれ?」
帰る前に、先程地面に置いた銃を拾おうとしたのだが、なぜか見当たらない。上着を脱ぐ前に、たしかにここに置いたはずだ。辺りは暗いが、ここは街灯の下だ。見失う訳無い。
周辺をしばらく捜してみたが、結局見つからなかった。
……考えられる事は一つしかない……あの女性が持って行ったのだ。
ああ。なんて事だ。銃が無くなったら、俺はどうやって死ねばいいのだ。
ショックで死にたくなったが、銃は無い。おまけに寒くなってきた。そういえば上着を持って行かれたんだった。一張羅なのに、どうしようか。
いや、それどころじゃない。死ぬ事ばかりに執着して気が回らなかったが、あの女性が銃を警察に届けたら俺は大変な事になるのではないか?ど、どうしよう。
……だがしばらくして、この場にとどまっていくら考えても結論は出ない事に気付いた。俺はとりあえず、アパートに帰る事にした。途中、この辺りは治安が悪い事を思い出し、少し走った。
アパートに着くと、十二時を過ぎて日が変わっていた。もうこんな時間か、早く寝ないと明日……いや、今日に響く。風呂に入って冷えた体を温め、着替えて寝た。今日は色々あったせいか、眠れなかった。いや、眠れないのはいつもの事だ。
<三、四月十二日>
朝になった。今日も死にそうなほど苦痛にまみれた一日が始まる。憂鬱だ。死にたい。だが、頼みの綱である銃は昨日紛失してしまった。
学校では苦痛なだけの授業が待っている。俺はこんなにも苦痛で人生に飽き飽きしているのに、季節はまだ四月だ。この調子じゃ俺の細い神経は五月まで持ちそうにない。早く死ぬ方法を探さなければ俺はおかしくなってしまう。
……授業が終了した。この日もなんとか一日持ちこたえた。帰りのホームルームも終わり、クラスの生徒が帰り支度をする中、一人の男子生徒が俺に近付いてきた。
「なあ、田中。生徒会長が生徒会室に来いって言ってたぜ。お前、なんか生徒会長の気にさわる事でもしたのか?」
……はて、生徒会長が俺に何の用だろうか?いや、そもそも、生徒会長って誰だ?
俺は首をかしげて少し考えてみたが、思い当たるフシが無い。だが呼ばれているからには、行く必要があるだろう。
「わかりました。行ってみます」
「おう。あまり遅くなんなよ。俺の連絡ミスだと思われるからな」
俺は早速生徒会室に向かおうとしたが、それがどこにあるか知らない事実に気付いた。
しかたない、あそこに行こう。
数分後、俺は学校の玄関にある校内施設案内板の前に立っていた。案内板には、生徒会室は三階にあると表示されている。俺のクラスでもある一年の教室は一階なので、二階以上に上がる事は滅多にない。
俺は早速案内板の横にある階段を上り、案内板を見た記憶を頼りに生徒会室を目指した。生徒会室のある三階の廊下に着いたが、人を見かけなかった。おそらく生徒は帰宅したか、部活に励んでいるのだろう。
よかった。普段歩かない場所で人とすれ違うのは、不審に思われるのではないかと緊張してしまう。
そして俺は周囲よりひときわ目立つ、校長室にも匹敵するほどの立派な両開きの扉の前で止まった。扉の上についている木彫りのプレートを確認すると『生徒会室』と表示されている。
……ここだ。
俺は緊張を覚えた。
一呼吸置いて、ドアをノックした。
「田中ですが」
「どうぞ」
あれ?
厚い扉に吸収され、こもり気味に小さく聞こえてきた声は、女性のようだった。
生徒会長って女性だっけ?
俺は扉をゆっくり開け、
「失礼します」
と言いながら室内に入り、後ろ手に扉を閉めた。
始めて入る部屋に興味を覚えた俺は、室内をざっと見回した。生徒会室の中は他の教室と同じくらいのスペースに見えた。大きな違いといえば、廊下側に窓が無いのと、黒板が無い代わりにホワイトボードが置かれているくらいだろうか。室内は、なぜか照明が消されていて薄暗い。唯一の明かりは、外に面する窓からの淡い太陽光だけだ。
入り口から正面の奥、窓の手前には値が張りそうなデスクが置かれていた。そのデスクを左右から軽く挟むように長テーブルが配置されて、コの字になっていた。
そして室内にいる人物は一人だけ。長い黒髪の女生徒が高級そうなデスクと窓の間に立ち、窓の方を向いていた。つまり、俺には彼女の背中しか見えない。
彼女が生徒会長だろうか。
俺が部屋を一通り見終え、彼女の背中に目を向けたのとほぼ同時に、彼女が振り向いた。顔を確認しようと思ったが、逆光で見えなかった。次に彼女は、テーブルを右に迂回して俺に近づいて来た。うつむき加減で、相変わらず表情はうかがえなかった。そして俺から数歩離れた距離まで彼女が近づくと、彼女の背が結構高い事に気付いた。
いや、俺が低すぎるだけか……。
そんな悲しい事を考えていると、彼女は俺との距離を更に縮めてきた。
え?ちょ……ちょっと?なに?
彼女は無言で俺と後ろの扉との間、数十センチの隙間に手を伸ばした。危うく体が接触しそうだったので、俺は慌てて左に飛び退き、距離を離した。彼女は扉のノブの下にある、回して開閉する鍵に手をかけると、鍵を閉めた。
な、なんだ?このただならぬ雰囲気は。俺が彼女になにかしたのか?自慢じゃないが、生まれてこのかた、女性にまったく縁が無い。もしかして、人違いをしているのではないだろうか?でも入室時に名前を言ったし……まさか、前に酒を飲んでなにかあったあとに記憶が飛んで……って、俺は酒を飲まないし……うーん……わからない。
「こっちに来て」
彼女はこちらの顔を見ずに、来た方向を戻るように歩き始めた。俺はとりあえず、その指示に無言で従った。
彼女は俺が部屋に入って来た時に立っていた場所まで歩き、そこで止まった。俺は彼女の少し後ろで止まった。
そのまま数十秒ほど待ってみたが彼女は無言で立ち尽くしている。これは、こちらから話しかけろと言う意思表示なのだろうか。このまま立っていてもしかたがないので、俺は用件を聞いてみる事にした。
「あの……」
「昨日の事、誰かに話した?」
俺の言葉を遮り、彼女が突然聞いてきた。不意の出来事だったので、質問の内容が理解できなかった。
「あの……『昨日の事』とは、具体的にどのような内容でしょうか?」
「とぼける気なの!」
俺が聞き返すと、彼女は声を張り上げて勢いよく振り向いた。深刻な顔をして、怒っているようだ。やっと顔が見えた彼女は美人だった……が、見覚えがない。以前、どこかで会ったのだろうか。俺は人の顔と名前を覚えるのが苦手なのだ。だが、彼女は昨日の事と言っている。昨日の事と言えば、死のうとして外をブラブラしていた事と、あの思い出すのも恐ろしい、この学校の生徒らしき女性を暴漢から助けて銃を無くしてしまった事しか……あ、もしかして……。
「それならこれでどう?」
彼女は右手で制服の右胸元をつかみ、布地を持ち上げて下に着ているシャツとの隙間をつくると、その隙間に左手を差し込んだ。そして数秒後、左手が制服の隙間から出てくると、その手には俺が昨日無くして激しく後悔した物。つまり銃が握られていた。
「そ……それ……あ……」
俺は彼女の手に握られた銃に、人差し指を向けた。
死ねるまでもう少し(体験版) おわり。