1日目
その日、鞄の中からノートを取り出そうとした時、春日駿一は日常の違和感に気付く。正確には、以前からも『何かがおかしい』という疑問を覚えていた。
――例えばそれは、机と椅子の少ない教室。どこか活気のない学内。
この学園に入学して数カ月が経った頃、駿一は周囲の異変を感じ取っていた。しかしその正体が何のか、どのような理屈で『おかしい』と感じるのか、違和感の細部までは把握していない。それが今日、この時になってようやく形を見せ始める。
学生鞄の中に、数学のノートが入っていない。
それ自体は何ら不思議なことではなかった。昨日、昼休みのうちに済ませた宿題を、クラスメイトの一人に貸したのだ。彼――仮に友人Aとしよう――は「悪いな、明日ちゃんと持ってくるから」と言って頭を下げていた。だから、駿一の鞄にノートが入っていないのは当然だ。何も訝しがる必要はないし、違和感うんぬんとは関係のない事柄だ――と、切って捨てる前に気付く。
宿題を済ませたノートは、一体誰に貸したのだろう?
これが、どうにも思い出せなかった。クラスメイトの男子、というところまでは分かるのだが、その友人Aがどんな名前で、どのくらいの背格好か、髪型や声に至るまでの情報がぽっかりと抜け落ちていた。
「……おかしい」
友人Aが黒い影となって、頭の中でゆらゆら揺れ動く。
そもそも、本当にそんな男子生徒がいたのか、彼の存在までもが怪しくなってきた。
……いや、さすがにそんなわけないか。うん、あり得るはずがない。現実逃避しかけた駿一は、どうにかまともな思考回路に立ち直るが……やっぱり自信が持てない。
明らかにまともではない事態が起こっているからだ。見慣れた教室の中を一度、ぐるりと見渡してみる。
机の数が、明らかに少なかった。男女合わせて二十三脚。教室内にいる男女の姿は、女子の割合が高いようだ。
……まさか、と突拍子もない考えが浮かぶ。友人Aを含めた生徒たちの一部は、跡形もなく消えてしまったのではないか、と。まるで、見えない何かに喰われるみたいに。
(……そんなわけない、か)
自分の考えを否定する。これ以上、一人であれこれと思考を巡らせるのは無意味だ。
誰かに訊いてみるのが手っ取り早い。正確な答えを得られなくても、自分と同じ違和感を共有していることが分かれば救われる。
少なくとも、春日駿一の頭がおかしくなった――と、最悪の結論を出さずに済む。
そうと決まれば席を立ち、やや気後れしながらも机の間を進んで、友人に囲まれて賑やかな笑い声を響かせている――見知った女子の肩を軽く叩いた。
「ごめん、今ちょっと良いか?」
「ん――あっ、春日くん!」
明るい笑顔で振り返った彼女は、女子数人に「ちょっと行ってくるね」と言い置いて、輪の中から抜けてきた。
「なになに? もしかしてこんな朝早くに告白? うっそ、どうしよ!」何やら一人で騒ぎ始めたこの子は、高梨澪。
仲の良いクラスメイトで、その独特なテンションには場の空気を変える力がある。加えて見た目も可愛いので、同性だけでなく男子からの人気も高い。
愛想の良い丸顔に、快活さを示すミディアムヘア。そこに彩りを加えるのが真紅のカチューシャで、きっちりと女の子らしさも演出しているのだが……、
「って、何黙ってるの? 早く突っ込んでよ~」
「あ、ああ……」
高梨の一番女の子らしい部分、それは小さな体躯に不釣り合いな膨らみ、つまるところ胸の大きさだ。
愛らしい子犬を思わせる無邪気さの傍ら、その豊かな双丘が弾むことも多々あり、男子連中は良く体育の時間などに高梨を目で追っている……体操着を盛り上げる胸部、一点狙いで。
思わず脱線しかけた思考を立て直し、駿一は強引に胸の膨らみから視線を剥がした。
「ちょっと訊きたいことがあるんだけどさ」
「胸のサイズは秘密だよん」
「ち、違う!」
「さっき胸見てたくせにー」
「――うっ」
にやりと笑みをこぼす高梨に、反論できない。
「今度、学食奢りね」
胸の鑑賞料は意外と安かった。溜息をついて頷き、仕切り直すために空咳を落とす。冗談だと思われぬよう、なるべく真剣な表情を作って切り出した。
「生徒の数、少なくないか? こう、減っているような……」
「? 何言ってるのー、春日くん」
「いや、冗談とかじゃなくて。減っているんだよ、明らかに。男子とか少ないだろう?」
「……うーん」
高梨は教室内を見回してから、考え込むように押し黙った。小さな顎に右手を添えて唸ったあと「じゃあさ」と返す。
「私には良く分からないんだけど。誰が、消えちゃったの?」
「誰がって、そりゃ……」
駿一も同じく教室内を眺め渡して、しかし返す言葉がなかった。一体誰が消えたのか、それは自分も知りたい情報だ。高梨の顔が憐憫の情を湛えていくので、これ以上の質問は打ち切らざるをえない。頭のおかしくなった奴という烙印を押され、問答無用で黄色い救急車を呼ばれかねない。
そんな風に考えていた駿一だったが、高梨の反応は違った。
「……大丈夫? もしかして、疲れてるとか……」
「あ、いや……大丈夫。急にヘンな質問して、ごめん」
心配そうに顔を歪める高梨から離れて、そそくさと立ち去る。目論んでいた違和感の共有は叶わず、かといって諦めのつかない駿一は、自席に向かう足を方向転換して別の輪へと近づいた。
「ごめん、その……ちょっと話を聞いてもらっていいかな」
高梨に話しかけるよりも、若干弱々しい口調になるのは否めない。なぜなら輪の中心にいるのは四宮沙奈、どこかのお嬢様という噂もあるクラスメイト。ほとんどの同級生にとっては高嶺の花だ。それは家柄のせいもあるが、一番の理由は容姿だった。
艶と光沢を伴ったロングヘアは、綺麗な栗色。
優美な髪の流れに縁取られた細面は、きちんと整いながらも柔和な印象を残している。
「何ですの?」
彼女はシュシュによって束ねた髪を揺らし、輪の中心からゆっくりと進み出た。その落ち着いた挙措は元気印のミオとは異なり、駿一の背筋が緊張によって強張る。やっぱり自分なんかとは立場が違う。決して手の届かない存在……しかし、だからこそ訊いてみる必要があった。
(高梨は……こう言っちゃ悪いけど、あんまり頭が良いとはいえない。けど、四宮は成績優秀だし、あらゆる部分において優れている。そんな彼女の答えは、俺に納得を与えてくれるかもしれない。もしくは、諦めがつくかも……おかしいのは、他でもない自分自身だって)
そんな思惑のため、緊張によって震える口をどうにか開く。喉の奥から言葉を絞り出し、単刀直入、四宮に質問を投げかけた。
「四宮は、この学園が何かおかしいとは思わないか? 具体的には、生徒の数が減っている、とか。存在が消えるみたいな感じ、で……」
口に出してから、早くも駿一は後悔していた。彼女の瞳が怪訝なモノを見るように眇められていく。やってしまった、と思う。
「春日くん……あなた、大丈夫ですの? 何か悩み事があるのなら、遠慮せず私に――」
「いやその! すみません気のせいでしたっ、失礼します!」
居た堪れない気持ちになった駿一は逃走を選択、素早く敬語で謝りながら回れ右。心配そうに首を傾げる四宮の前から走り去った。そのままノリと勢いで自席を突っ切り、廊下に出てから立ち止まる。
はぁと重い溜息をついて、呟いた。
やっぱり、間違っているのは俺なのか。
数学のノートを貸した気になっていたが、全ては春日駿一の記憶違いによるものであり、友人Aなどという曖昧模糊な存在も最初からいない。件のノートは家に忘れたか、どこかで神隠しのように消失してしまった。
――という結論に達していたが、どうにも納得できない。昼食を摂る気にもなれず、駿一はあてどなく二階の廊下を彷徨っていた。
(……昼休みなのに、静かすぎないか?)
普段賑わいを見せている学内は、扉の向こうから話し声が聞こえるだけ。活気があるはずの食堂も生徒こそいるが、空席の方が目立っていた。いつも食堂を利用しているはずの高梨もいなく、会話よりも食器の擦れる音が響いていた。
こんな場所で食事をする気になれない。駿一は一階へ下りると玄関口に向かった。外の新鮮な空気を吸いたい。違和感の問題は解決しないだろうが、幾分か楽な気持ちになれる気がした。そうして、全ては自分の勘違いだったと片付けてもいい。
「――っ」
その時。下足箱に向かっていた駿一と、何気なく肩を掠めた男子生徒がいた。文句の一つでも言ってやろうかと振り返る。
「ごめんの一言くらいあっても――あ、おい」
男子生徒は駿一の言葉を黙殺して、というよりも聞こえていないような足取りで、ふらふらと進んでいく。その覚束ない足先は階段へ向いていた。
ただし、二階へ繋がる段差ではなくその隣――何もない壁、だった。途中で進路を変える様子もなく、垂れ下がる左右の腕を揺らして、行き止まりの壁に吸い込まれていく。
「待てって! ちょっと、そこのお前!」
一目で尋常ではない様子だと分かった駿一は、慌てて男子生徒の後を追う。ときおり前につんのめりながらも、相変わらず幽鬼のような歩調で進んでいき――その身体が大きく傾いで壁と激突した。
……かに見えた。男子生徒の身体は、ずぶずぶと『壁の向こう側』へ消えていった。
「…………え?」
あり得ない現象が起きていた。せめて隠し扉でもあれば納得できるが、男子生徒は頭から壁の向こうへ呑まれていったのだ。壁は抵抗を感じさせることもなく、人間一人分の体積を吸い込んだ。……いや、目を凝らしてみると、壁のすぐ前に不可解な空間の揺らぎが見て取れた。
(……何かの、化学反応か?)
もしくは、あれが噂のトンネル効果というものだろうか。限りなくゼロに近い確率ではあるものの、量子学的なミクロの世界において『壁抜け』はあり得る――と、そんな話を聞いたことがある。人や動物などのあらゆる物体を形作る原子が、物理障壁を越えてしまう現象。
好奇心に引き寄せられるまま、恐る恐る『空間の揺らぎ』に接近していった駿一の肩を、何者かが掴んだ。
引き止められるような力を右肩に強く感じながら、駿一が振り返る。
「止めておいた方がいいわよ。あなたも喰われる」
「……っ!」
駿一の背後に立っていたのは、二人組の女子生徒だ。一人は高梨よりも小柄だが、駿一の肩に食い込ませている指先から凄まじい圧を感じた。万力に締め上げられているような圧迫感。鋭い痛みが肩を貫き、思わず声を上げてしまう。
「行かないッ、もう行かないから――ッ!」
「なら良いわ」
ぱっと手を離す。痛みが鈍く残っている肩を擦りながら、目の前の女子生徒を睨む。彼女は傲然とその視線を受け止め「ふん」と鼻を鳴らした。長い黒髪を翻して、歩き出す。 その後ろを、もう一人の影みたいな女子生徒が追いかけた。
と、そのショートカットがこちらを振り向き、無感動な目で付け足す。
「……付いてきて。話がある」
それきり口を結んで、再び黙々と足を動かす。
……何がどうなっているか分からない。だからこそ、混乱の極致にある駿一は付いていかなければならない。
違和感の正体、男子生徒が壁の向こうに消えていった現象。
――全ての真実を知るために。
「この学園は淫魔(サキュバス)によって支配されているの」
人気のない校舎裏。口を開いた小柄な女子生徒の言葉に、駿一は当然ながら困惑した。大きな疑問符を背負いながら、ひょっとしたら盛大な詐欺にでも遭っているのではないかと思いつつ、彼女の台詞をどうにか理解しようと努めた。努めて、諦めた。
サキュバス。
キリスト教や古代ローマ神話をルーツとした、想像上の悪魔である。ゲームや漫画などでその存在は知っていた。蝙蝠に変じたり、睡眠中の人を襲うのが元ネタだが、派生したサブカルチャーでは現実にその姿を現し、煽情的な誘惑によって精を搾り取る――そんな認識が駿一の中にあった。
普段であれば「あり得ない」と一蹴して踵を返しているが、どうにもあり得ない現象を目の当たりにしてしまった境遇としては、口ごもって続きを促すしかない。
「サキュバスによって喰われた人間は、その存在を失うわ。存在とは、この世に生きていた痕跡全てを指す。身の回りの物から、他人の中に残る記憶までね。けど、あなたの場合は違うようね」
サキュバスに喰われることで『存在』を失う――それは駿一が求めていた答えそのものだった。……けれど、自分にだけサキュバスに喰われた他人の痕跡が、違和感の残滓として残っている。
「私たちは、そんなサキュバス共を退治するためにここへ来たの。潜入、と言った方が適切かしら。わざわざ派遣されて来たのよ」
そう言って、小柄な女子生徒が手を差し向けた。
「自己紹介が遅れたわね。私は幸本瑠璃、エージェントよ。そしてこっちが――」
「道具屋、流矢香織。……よろしくね」
「というわけ」
一応、自分も名乗っておいた方が良いかと思い「俺は」と言いかけたところで、幸本に「知っているわ。春日駿一くんでしょ?」と先んじられた。どうして名前を知っている? と疑問が湧き上がるも、訊きたいことは他に山ほどあり、優先度としては低いのでスルーする。
二人とそれぞれ握手を交わしたのち、説明の続きを幸本が再開した。
「私とは違って、香織はフリーよ。私がお金で雇っているの。この二人で協力して、淫魔の手に落ちた学園を救うってわけ。とは言っても戦闘で淫魔は倒せない。それほど生命力が凄まじいの。ゴキブリ以上のしぶとさよ、あれは。まあそんなわけで特殊な方法で倒すことになるわ。香織が持つ魔導書(グリモワール)、裁判の書によってね」
滔々とした幸本の説明――というよりも一方的な言葉の奔流を聞いているうち、だんだんと現実味が薄れていくのを感じた。こめかみが片頭痛を患ったようにズキズキ痛み出す。
淫魔?
魔導書?
裁判の書?
少し待ってくれ。こいつらは何を言っているんだ?
「………………」
ファンタジーじみた用語の連発にいよいよ辟易する。話の腰を折って正気かと問い詰めたい衝動にかられるも、どうにか自制する。
奴らの正気を疑うのは、言い分を全て聞き終えてからでも遅くないだろう。駿一は大きく息を吐いてから、一度頷いた。
それを合図と見なしたのか、幸本が先を話す。傍らの道具屋(自称)は唇を縫われたように無言の行を続けている。
「淫魔共は人間の姿に化けているの。けれど裁判の書に、対象がサキュバスである『証拠品』を喰わせることで、魔導書の機能を発動させられる。これが発動したら、サキュバスは手も足も出ないわ。本来の姿を暴かれて消滅する」
追い打ちを掛けるような異次元の説明。もう我慢ならない。
「お前ら、こう言っちゃ悪いけど……正気か?」
駿一は思うところを口にした。ぴくりと、幸本の眉が不愉快そうな線を描く。
「また痛めつけられたいようね。もしかしてマゾなの?」
「違う! こんな話、いきなりされても信じられるわけがない」
「さっき、ここの生徒が壁の向こうに消えていったのを見たでしょう? あれはどう説明するの?」
「それは……っ、でもサキュバスやら魔導書がうんぬんって説明の方が信じられない。口からでまかせって可能性もある。その裁判の書ってものを見せてくれないか。実物がないと納得できないな」
「はぁ……最初からそう言いなさいよ。香織」
「……ん」
名前を呼ばれただけで、幸本の意思を読み取ったらしい。短く首肯した流矢が手を振ると魔法みたいに一冊の本が現れた。闇夜を思わせる味気ない背表紙で、タイトルも何も書かれていない。六法全書じみた分厚さがあり、それだけで鈍器になり得そうな本だった。
流矢は中を開いてみせた。見たこともない奇妙な文字が躍っている。
「――……――……――――…………」
流矢の口が早回しみたいに動いて何事かを唱えた。瞬間、本のページに皺が寄る。その皺は中央に向かって伸び、やがて本全体が淡く輝き始めた。闇色の光は魔方陣みたいな文様を描くと、やがて残光を散らしながら消え去った。
すると信じがたいことに、本のページが巨大な顎(アギト)となって大口を開けていた。 無数の乱杭歯が並ぶ先に、ぬらぬらと濡れ光る舌が蠢く。
その生理的な嫌悪感を催す『変化』に、駿一はうっと息を詰まらせた。
何かの仕込みとは思えぬほど現実離れした光景。
組み立てていた言葉はバラバラに砕け、もはや沈黙を貫くしかない。
満足げに頷いた幸本は「もう良いわ」と言い、流矢は舌を突き出している魔導書のページを閉じた。「グェッ」一瞬、何か苦しげな声が聞こえたような……。
「学園に侵入しているサキュバスは四体。ただ、その詳細は分かっていないわ。調査中よ」
黙りこくっている駿一に告げ、幸本が歩き出す。その後ろに影法師のような流矢が続いた。
「ちょ、どこに行くんだよ」
「これ以上の話は後で」
慌てて追いかけながら言葉を重ねる。
「後でって、いつだよ。そもそもどうしてこんな話をした?」
「いちいち質問が多いわね。まあ、答えてあげるわ」
大股で進んでいく足を止めぬまま、風に舞う木の葉みたいな軽さで、幸本は言った。
「深夜の十二時に、一階のホール。絶対に来ることね。特に、春日くんには関係のある話なんだから」
「え……」
ぎくりとして足を止める。にわかに動悸が高まってきた。
幸本の台詞を反芻する。
まるで、駿一が当事者とでも言いたげな物言いだ。
遠ざかっていく背に言葉を投げようとしたが、口は開いてくれなかった。これ以上質問をしたら、何かとんでもない、核心に迫る答えが返って来そうで、駿一はその場に立ち尽くす。
校舎から伸びる陰影が、形容しがたい不気味な『何か』に見えて、しばらく動けそうになかった。
いくら非日常な出来事が起きたとしても、習慣というのはそう易々と変わるものではなく、いつもと同じように駿一は放課後の文芸部室へ向かった。
目の前の扉をノックして、耳馴染の深い声が返って来るのを確認し、やや古びたドアノブを捻る。
部屋の中では、同じく文芸部に属している高梨澪が、鼻歌混じりにパソコンのキーを打鍵していた。
かたかたと正確なリズムを刻みながらも「ふんふふーん」と鼻歌は調子っぱずれだ。歌唱指導してやった方がいいのか考えあぐねていると、高梨がキーボードから指を離した。
「春日くん、やっほー」
「やっほー……」
対照的な暗い声を返して、隣の席に座る。
「……あれ?」
疑問が口をついていた。
「んー」と首を回す彼女に、駿一はきょときょと周囲を見回しながら答える。
「他の部員はまだ来てないのか」
「? 何言ってるの春日くん」
今度は、高梨が疑問を呈する番だった。
「文芸部の部員は私と春日くん。それ以外には誰もいないでしょ?」
「誰も、って……」
部室にあるノートパソコンは二台。長机に対して、椅子も二脚しか用意されていない。横長の机はがらんとしていて、何だか寂しく思えた。
「いや、でも……」
頭の内で一瞬、閃光が弾けた。
同時に思い浮かんだのは上級生の男子。確か、面長の顔に黒縁眼鏡を掛けていた。そんな名も知れぬ彼の姿が、たちまち暗く染まっていく。やがて意識の底へと呑まれた。
そこに誰かがいたかもしれないという、違和感の残り滓みたいな記憶が、その認識に取って代わる。高梨の言う通り、全ては自分の勘違いかもしれなかった。
「……そういえば、高梨」
「なに?」
彼女の顔を覗き込む。肩に掛かる黒髪、黒目がちの丸い瞳、両頬には愛らしいえくぼが浮かんでいる。何か不思議な感覚を覚えたのは、気のせいだろうか。
視線を外して、ようやく起動したノートパソコンに目を戻す。
「いや、何でもないよ。俺の思い違いみたいなもんだ」
「どうしちゃったの? 今朝のもそうだし、何か隠してない?」
「隠してないよ。うん、たぶん」
「何それー、めっちゃ怪しんだけど」
高梨が顔を寄せて、真正面からこちらの目を凝視する。まるで、その奥に揺れる感情を見透かそうとするように。駿一は胸の高鳴りを覚えながら、ごくりと唾を呑んだ。
何だか、目の前の彼女が、いつもの高梨ではない気がする。
「ねえ。何か、悩んでるんじゃないの?」
心配そうに小首を傾げ、そう問いかけてくる。
「そ、それは……」
今にも吸い込まれそうな瞳。そこに不思議な引力を感じて、駿一はふと、何もかも打ち明けてしまいたい衝動にかられた。胸の内に燻っている焦燥、不安、全てを真摯に伝えたら、この優しい少女は自分の言葉を受け入れてくれるのではないか。
瞳の中に映り込む駿一が、逡巡を伴って口を開く。俺は……、
そう答えると高梨は不思議そうに首を傾げた。
「大切な用事って? それも夜にって……」
駿一はもう躊躇わなかった。胸の中につっかえたモノを全部吐き出してしまうつもりで深呼吸をした。
「なんて言えばいいか……冗談だと思わずに聞いて欲しい。この学校は悪いやつらに占領されてしまっているんだ。だから、そいつらを追い出さないといけないんだ」
一息に言い切ってから、高梨の顔を見た。驚いたように目を丸くしていた。
妄想だと笑い飛ばされるだろうとも、正気を心配されるだろうとも思った。けれど彼女は、「そうなんだ……」と感心したように呟いたから、却って駿一の方で驚く形になった。
「し、信じてくれるのか?」
「冗談のつもりだったの?」
「いや、その……冗談なんかじゃない、マジだ。けど、こんなこと言っても、絶対妄想とか思われるだろうって思ったからさ、ほら、今考えてる小説の話とかって……」
「そんな訳ないじゃない、だって……」
言いながら、彼女は真っすぐに駿一を見つめていた。
「だって、私がその悪者なんだから」
「……へ?」
「へ? じゃないよ。春日君の言う悪者って、サキュバスって言うんでしょ。私がそのサキュバスの一人だって言ってるの」
「え……おい、何言ってんだよ高梨? そんなこと……まさか……」
駿一は驚愕に眼を瞠った。
そんな馬鹿な。そんな馬鹿な事、あっていいはずがない――。
「私は信じたのに、春日くんは私のこと信じてくれないんだ」
信じられないのではなかった。
だが、真実だと理解しているからこそ信じたくなかった。
(高梨がサキュバスだったなら、俺はどうすればいいんだ――?)
彼女を排除するなんて、したくない。いや、そもそも、常識の埒外にいるモノと戦うすべなんて持っていない。頼れるのはあの二人だけだ。とにかくこの場を離れないと!
駿一は多少乱暴にでも不意を突いて彼女から逃げようと考えた。
だが――。
「んあっ……?! なんだ、これ……椅子から立ち上がれない……」
全く動くことが出来なかった。
見えない力で椅子に縛り付けられているみたいだった。
「逃げようなんて甘いよ春日くん。もう拘束させてもらったから」
「拘束って……一体なんだよそりゃ?!」
「簡単なことよ。魔法で動けなくしたの、こんな風にね」
狼狽した駿一の隙をついて、高梨は彼の両手を掴んで後ろで交差するような形にすると、仕上げに小さく指を振った。それだけで、駿一の両手は動かせなくなってしまう。
手と手を引っ張ると奇妙な抵抗感があった。あたかも、見えないロープで後ろ手に縛られたみたいだった。
「これでもう身動きは取れなくなっちゃったね……くすくす」
高梨は勝ち誇ったように微笑を浮かべる。普段の明るい彼女からは考えられない妖艶な表情は、今まで駿一が見たことのないものだった。
いや、見せないように巧妙に隠されていた本性なのだろう。
「くそ……こうなったら……誰か! 誰か助けてくれ! 火事だ! カーテンに火が!」
駿一は喉も枯れろと言わんばかりの大声で叫んだ。火事だと嘘を吐いたのは、男の声で助けを呼んだだけならただの喧嘩だと勘違いされるかもしれないし、何より野次馬根性のある者も呼び寄せられると考えたからだった。
だが、それに答えたのは高梨の冷然とした声だけだ。
「無駄だよ春日くん。防音の魔法を教室にかけておいたから、いくら叫んでも誰にも聞こえないよ。まあ、文芸部に来る人なんて、もう誰もいないけどね。私と、春日くん以外には……ふふふふふ……」
「そんな……」
駿一の顔から血の気が引いていく。魔法なんて信じ難かったが、椅子から立ち上がることさえ出来ない現実がある。そんな不条理な力を使う女に拘束されて、誰の助けも望めないのである。
高梨は椅子を掴んで無理やり後ろに向かせ、駿一の正面に立った。
「高梨。一体俺に何する、つもりだよ……」
「ふふふ……そうね、これは想定外の事態だから……考えてなかったな。春日くんはどうして欲しい」
高梨は肘を掴む形で腕を組み、身をかがめて駿一の顔を覗き込んでくる。
そうすると、発育の良すぎる乳房が寄せてあげる形になって、シャツの前がパツンパツンに張りつめて……駿一はこんな状況にも関わらず、ついついそこに眼が行ってしまう。
「どうって……どうもしないでくれるのが助かるんだけど……」
「そのつもりだったんだけど、春日くんが余計なこというから……って……春日くんってばまた私の胸見てるでしょ」
「うっ……すまん」
普段の調子で咎められ反射的に謝ってしまう。
だが、高梨の反応は普段とは全く異なるものだった。
「ふふふ……相変わらずだね、春日くん。そんなに私の胸、気になっちゃう?」
妖しい笑みを浮かべ、高梨は悩まし気に自分の胸を揉みしだいた。たわわな塊が指の形にへこむのがシャツの上からでもわかった。その煽情的な光景に、駿一は思わず生唾を飲み込んでしまう。
「ん~~胸って言うより、“おっぱい”って言った方が気分でるかな?」
おっぱい、と耳の近くで囁きかけられる。その柔らかい響きが心地よく耳朶をくすぐり、興奮を呼び起こす。
「ね? 春日くんいつもおっぱい見てたよね……このおっぱいで、どんなエッチな妄想しちゃってたの?」
訊ねながら、重たそうな乳房を持ち上げて落としてみせる。
駿一の目の前で豊かなシャツのふくらみが、ぷるん、と勢いよく弾む。
いつもの高梨なら絶対にやらない挑発的な仕草に、駿一は戸惑いを隠せない。
「高梨、何やってんだよ……こんなの、お前らしくない……」
「あっはは♪ そんなこと言ってる割には、こっちは正直に反応しちゃってるみたいだけど?」
駿一の男の部分は充血し、ズボンの前を思いっきり押し上げていた。その、膨らんだ部分を高梨の手がそっと包み込み、撫でさする。痺れるような心地よい刺激が、ペニスの芯を駆け抜け、背筋を上っていく。
「ひあ、ああぁ……やめろって、高梨、くあぁ……」
「私らしくないって、春日くんは私の何を知ってるつもりだったの? 言ったよね、私はサキュバスだって」
言いながら高梨はしゅるりとネクタイを外し、第一ボタンをはずしてシャツの襟を寛げた。Y字になった豊かな胸の谷間が露わになる。その魅惑的な光景を目にした瞬間、駿一の男の部分がピクンとはねた。その不随意の反応を、文字通り手に取るように感知して、高梨は満足げに口元をほころばせた。
「春日くんは本当におっぱい好きなんだね……それじゃあ、ここにこの硬ぁくなった、おちんちん、挟んであげよっか?」
ズボンの膨らみを指先でくにくにと弄りながら、耳元に囁きかけて来る。
「パ・イ・ズ・リ、だよ♡ パイズリ♡ 好きだよね、春日くん♡」
パイズリ、そのいやらしい響きが頭の中で反響する。高梨澪は駿一にとって気安く冗談を言い合える女友達だった。そんな彼女が口にしただけに、その言葉は一層淫らに感じられた。
「ふふふ、おちんちんピクって反応した。こっちで返事するなんて、春日くんってばいやらしいねえ……」
「あ、違う、違う……その……」
「隠さなくっていいよ……だって、ほら……」
高梨は駿一のジッパーを下ろし、パンツの中の強張りを取り出した。
今にも弾けそうなくらい勃起した肉茎が、露出させられた表紙に、勢いよく天井を向いてそそり立つ。
「ビンビンに反り返って、パイズリして欲しいよ~って先っちょ濡れちゃってるじゃない」
ビクビクと脈打つ男性器をフェザータッチでくすぐるように愛撫しながら、高梨はぺろっと舌なめずりをした。そんな彼女の表情は淫らで貪欲で、けれどあまりにも美しい――駿一のイメージにあったサキュバスそのものの貌だった。
(そうだ、彼女がサキュバスだっていうなら、俺は……今から――)
昼休みに見た男子生徒の姿が脳裏をよぎる。サキュバス達がどんな風に男子を喰らっていたのか、ようやく駿一にも呑み込めた。
目の前に差し迫った、生命の危機として。
「それじゃあ、もう待ちきれないみたいだし……」
高梨はシャツの4番目――丁度おっぱいの下側にくるボタンを外した。
「ジャーン♪ おっぱい穴だよ♡」
中途に空いたシャツのアナを指で拡げ、高梨は自慢げに言った。
「今からここで、春日くんのこと食べちゃうね♡ とーっても気持ちいいから覚悟してね♡」
「やめてくれ、お願いだ……高梨……俺、俺……まだ、死にたくない……」
高梨の明るい声とは裏腹に、駿一の声は震えていた。
歯の根はカチカチ鳴って、目から涙が溢れていた。
死ぬのが怖い。生まれて初めて本気でそう思った。だが、今となっては遅すぎたう身動き一つとれない。事の重大さに、もっと早く気が付くべきだった。
「ふふふ、今更怖がってるの? でも、大丈夫だよ。痛かったり苦しかったりはしないから……気持ちよくて気持ちよくて、そのうち怖いってことも、感じないようになっていくから♡」
高梨は嗜虐の笑みを浮かべ、駿一の脚の間に身体を割り込ませた。
重量感たっぷりのおっぱいをペニスに被せるように持ち上げる。
シャツの内側の熱気共に豊かな乳肉が、尖端部にむにゅ、と触れる。
それだけで、駿一の全身に鳥肌が立つ。しっとりと汗で濡れた乳肌の心地よさを触感したことで、そこから先の凄さを確信してしまったのだった。
――こんなの絶対、耐えられるわけがない!
「ああぁ、こ、これむり……い、いやだ……お願い、助け――」
「ダーメ♡」
駿一の懇願も虚しく、高梨はその大きなおっぱいを落としてきた。
ローションや潤滑油なんてまったく使ってないのに抵抗は一切なく、肉竿は一息に根元までおっぱいに飲み込まれた。
しっとりと汗ばんだ肌がペニス全体に密着し、シャツとブラに締め付けられた重量感たっぷりの乳肉が全方位からむにゅむにゅと圧迫を与えて来る。
そのあまりの心地よさに、駿一の口から腑抜けた喘ぎが漏れ出した。
「ふあ、あああぁ……気持ちいい……なんだこれぇ……」
「あっは♡ 一瞬でお顔蕩けちゃったね♡ これが、サキュバスのおっぱいの気持ちよさなんだよ♡ まあ、こっちじゃ十分に力が出せないから、マックスってわけじゃないんだけど……」
全く動かしてもいない。ただ乳房の間に肉棒を挟み込まれただけ。しかし、たったそれだけにも関わらず、甘く痺れるような快感がじわじわと下半身に広がっていく。おっぱいの谷間でペニスが溶けてしまいそうだった。
「それでも、普通の人間のパイズリとは比べ物にならないくらい気持ちいいから、覚悟してね♡ ほーら、いくよー♡」
「あああぁぁ……う、動かしたら……あひいいいっ……!」
挟まれただけで危ういほどに心地が良かったのに、高梨は容赦なくおっぱいを上下に動かし始めた。両手で操られた乳肉が、左右からむにゅむにゅと肉棒を扱き上げる。竿も亀頭もまとめて刺激され、間断なく快感が送り込まれてくる。射精直前の痺れるような感覚が一挙に高まって、そして次の瞬間には放出感に変わっていた。
「ああぁっ、こんなの我慢できなっ――ああああぁぁ……」
絶頂感が弾ける。腰の奥から昇ってきた熱い液体がゾクゾクするような快感と共に尿道を駆け上り、胸の谷間に放出される。
だが、駿一は圧倒的な快感に浸ったり、早すぎることを恥ずかしがったり、友人の胸を汚してしまった罪悪感を覚えたりすることはなかった。
その絶頂が普段とは異なる奇妙な感覚を伴っていたから。
「はやーい、もうイっちゃったんだ……♡ 瞬殺だったね♡」
「な、なんだこれ……これ、なんかいつもと、違う……」
それは今まで感じたことのない、異様な脱力感だった。軽い風邪を引いた時に似ているだろうか。だが、怠さやしんどさはなく、ぬるま湯に浸かったような甘美な恍惚感が全身を満たしていた。
「ふふふ……体中から力が抜けていくみたいでとってもいいでしょ? これが、サキュバスに射精させられる気持ちよさ……生命力を搾取される快感♡ エナジードレインっていうんだよ」
射精と共に生命力を奪い取る。サキュバスはそうやって男を喰らうのである。
駿一はサキュバスに関する予備知識によって、そのことを予想はしていた。だが、実際に吸い取られる心地よさは予想さえしていなかった。
「エナジードレイン……こんな、はあぁ……気持ちいいなんて……」
「あは♡ 一つ賢くなったね、春日くん。お勉強が終わったところで……どんどん吸ってあげるね~♡」
高梨はペロッと舌なめずりすると、おっぱいの上下運動を再開した。
シャツの中につまった柔乳がたっぷんたっぷんと揺れ、出たばかりの精液をローション代わりにペニスを擦り上げる。
イったばかりだというのに、過敏な粘膜を刺激されたときのきつさはまるでなく、乳肌の艶めかしい摩擦はただただ快感だった。
「はあぁ……なんで、こんなに気持ちいい……」
「凄いでしょ? エナジードレインって普通の射精させるのと違ってイった後でも何度でもイかせられるんだよね♡」
直後責めの辛さがないだけではなく、ペニスはイく直前みたいな、じんわりした甘い感覚に包まれていて、射精直後の倦怠や冷めた感じはまるでしない。
まだまだ射精が出来そう、それが恐ろしい。何度でもイけそうだということは、今の状況では、何度でもイかされてしまうということに他ならない。
獲物から能率的にエネルギーを摂取するための、快楽の卑怯な機能――。
「ああ、や、やめて……許して……あああぁ……」
「ダ~メ、手加減なんかしてあげないよ♡ 春日くんの全部、私が吸いつくしてあげるんだから♡」
駿一はどうにか射精を引き伸ばそうと懸命に腰に力を込めた。
だが、そんな努力を嘲笑うように、パイズリは激しさを増していく。
むちむちした乳肉が素早く竿を扱き上げる。きめ細やかな乳肌が亀頭表面を舐め回し、張り出したエラに引っかかり、絶妙な刺激を伝えて来る。
身動きが取れない状態で、ただひたすらに快感を注ぎ込まれ続けて、耐えられるわけがなかった。
あっという間に腰砕けだった。食いしばった歯の根はだらしなく解け、口から切ない喘ぎが溢れ出す。
「あああぁ……ひいいぃ……おっぱい、気持ち良すぎるぅ……」
「どんどんいい顔になっていくね~♡ ずっと、春日くんのそういう顔、みたかったんだ♡ ほうら、ほらほら……どうせ我慢なんて出来ないんだから、素直に快楽に身を任せたらいいんだよ♡」
「だ、ダメなのに……ダメなのにぃ……また、出ちゃう……」
おっぱいに搾り上げられるみたいに、精液がドクドクと溢れ出す。
身も心も蕩けそうな恍惚感と引き換えに、じわじわと力が抜けていく。
「おっぱいの間でおちんちんビクビクしながら、気持ちいいの漏らしちゃってるね……んっふふふ♡ 後何回くらい出せるかな~……?」
高梨は妖艶な笑みを浮かべ、おっぱいを動かす手を止めようとしない。恍惚とした表情を浮かべて男を弄ぶ彼女の姿はまさに淫魔そのものだった。
両乳房でぎゅむぎゅむと肉棒を押しつぶしたり、左右互い違いに動かしたり、変化をつけたパイズリ刺激が駿一の身体に容赦なく快楽を刻み込んでいく。
「春日くんがいっつも見てたおっぱいで一杯イジメられて最高でしょ? ずっと、こんな風にパイズリされたいって思ってたんだよね? 最後まで全部、おっぱいで搾ってあげるからね♡」
「うあ、あああぁ……いやだぁ……くああぁ……」
命がかかっていると理解していても快感には抗えなかった。射精が止まらない。虚脱的な精液の放出が終わると、すぐにまた精液がこみ上げてくる。危険な速さで全身から力が失われていくのが実感できた。
「こんなにイき続けるなんて、初めての体験でしょ? ほら、この世で味わう最後の快感だよ~存分に味わって♡ 私も、春日くんの命、味わって食べてあげるから……あぁ……すっごいおいし……♡」
「ふああぁ……ひああああぁぁ……」
命が吸われていく。死へ近づいていく。
けれどそれに伴ってだんだんと恐怖は薄れていく。
それどころか、駿一の中には“もっと吸われたいと”いう欲求さえ芽生え始めていた。
肉体だけでなく、精神からも力を奪い取られているのかもしれない。
このまま、生命を啜り立てられる絶望的な快楽の中で果ててしまいたい――そんな風にさえ思ってしまう。
そして、そうなっていることを自然に受け入れてしまう。
「あああぁ……気持ちいいよぉ……もっと、もっと吸ってぇ……」
「あ~あ、とうとう心までドロドロに溶けてきちゃったね♡ 可愛いよ、その快楽に染まり切った顔♡ そのまま、何にも考えずに私のおっぱいに全部捧げちゃおうね♡」
高梨はうっとりとした眼差しで駿一を眺めながら、身体ごと上下させるようにしてダイナミックに胸乳を動かしていく。
律動に合わせて、吐き出された液体が空気と混ざり合い湿潤で淫らな音を奏でる。白い乳肉の間で溺れているみたいに亀頭が何度も顔を覗かせる。
会陰の辺りがきゅっきゅっ、とひきつけを繰り返す。絶頂感が間断なく押し寄せる。精液はトロトロと溢れ出し続ける。まるで、射精をコントロールする身体の機能がぶっ壊されたみたいに。
「もうほとんど駄々漏れだね♡ ふふ、こうなると、ここでドレインやめても後遺症で頭が壊れちゃうんだよね~♡」
「ひあああぁ……あああぁ……あ、あぁ……」
弛緩しきった肉体がビクビクと震える。眼は焦点が合わず、不気味な笑みの形になった口元から涎が垂れ落ちる。意味をなさない陶酔に染まった呻き声。
「気持ちいいねえ、おっぱいに搾り取られるの気持ちいいねえ……♡」
「きもひいぃ……ああぁぁ……んいぃ……」
恐怖もない。苦しさもない。
搾精の魔悦が心と頭を汚染し、快楽以外の全ては感じられない。
巨乳の谷間に挟み込まれたまま肉棒はイき続ける。
「もうほとんど命のこってないねぇ……ふふ、あっけない♡ ほら、最後までおっぱいしてあげるから、このまま、イって、イって、逝っちゃえ♡」
「あああぁ……んんんんっ……ほあぁぁ……」
溶けていく。甘美な快楽と引き換えに生命が溶けてトロトロと漏出し、彼女に吸い取られる。危険な速度で生きるための力が搾取されていく。
「ドクドク……ドクドク……♡ ぜーんぶおっぱいに捧げようね~♡」
それでも心地いい。それが心地いい。心地よくて幸せ。
得も言われぬ多幸感に満たされながら、全てを失っていく。
「ああぁ……あ、あ、あぁぁ……ぁ……」
やがて電池が切れかかった玩具みたいに、喘ぎ声も、身体の痙攣も、徐々に小さくなって――とうとう駿一は何の反応も見せなくなってしまった。
「あ、もう空っぽになっちゃったんだね……」
何でもないように呟くと、高梨は谷間からペニスを抜き去った。
大量に搾り取ったはずなのに、胸の谷間はほとんど汚れていなかった。次第に、最後に 搾り出した白濁も皮膚に吸収されるように、消えてしまった。
散々に搾り尽くされた彼の肉体は骨と皮だけのようにやせ細り、皮膚は乾き干物のようになっていた。衣服だけはまるで変化していないのが不釣り合いだった。
「春日くんの命、とってもおいしかったよ♡」
まるでまだ息があるかのように亡骸に語り掛け、高梨澪は乱れていた服装を直して立ち上がると、もう一度彼を見下ろし、ふ、と息を吐いた。
「ごちそうさま♡ そして、さようなら」
-BADEND-
「え、ふふっ、もう急に何さー」
おどけて言う駿一の肩を、高梨がバシバシと叩く。
部室に渦巻いていた妙な空気は、それで塗り替わった。平穏な日常を思わせる、朗らかな雰囲気。駿一は内心で溜息をこぼした。
(まったく、高菜に何を言おうとしていたんだ。朝みたいに不安がられるのがオチだろう。第一、この目で色々と見てしまっても信じられないのに、第三者の高梨がそれを受け入れるはずがない。……馬鹿か、俺は)
心の中で悪態をつき、パソコンに向き直る。立ち上げたソフトの画面は真っ白で、どのような文章で埋め尽くしてやろうかと思案して、そういえば構想すら決めていなかったことを思い出す。意気揚々とパソコンと対面したのは良いが、さっそく暗礁に乗り上げてしまった。
さてどうしたもんかと無言の睨めっこを続けていると、隣の高梨が退屈そうな猫みたいに唸った。目を移すと、彼女も同じく画面に向き合いながら気難しそうな表情を浮かべていた。
「どうした?」
「ええと……うん、春日くんになら、良いか」
何やら一人で納得したらしく、窺うような上目を向けてくる。
「春日くんに悩みがないのなら、私の悩みを聞いてほしいんだけど、いいかな。その、小説関係のことなんだけど」
「小説ね……。俺も目下悩み中なんだけど、まあ良いよ。どうせ自分の作業は進みそうにないし」
「ほんと!? やった!」
にっこり微笑むと同時にガッツポーズを作り、こちらへ身を乗り出してきた。ふわりと良い匂いが鼻を衝く。
「か、顔が近いって」
「あれ、照れちゃったぁ?」
「そんなことない……てか、早く話せよ」
言いながら、ふと違和感の正体に気付いた。高梨の頭にあるカチューシャが、どうにも真新しく見えたのだ。どこかで取り換えたのだろう。女の子らしい拘りに感心しつつも、余計な詮索は止めておく。自ら弱みを見せる必要はない。
高梨はへらへらとした笑みを浮かべ、
「分かったってー。まあ、お察しの通り小説のプロットで悩んでるんだけどー……」
恥ずかしそうに頭の後ろを掻きながら、高梨がプロットの内容を教えてくれる。
恋愛小説で、主人公は鈍感な男の子。
ヒロインが自分の好意に気付かせようと様々なアプローチを仕掛けるのだが、彼は持ち前の鈍さを発揮して、ヒロインの気持ちを受け流す。
どこにでもありそうな、広大なネットの海に掃いて捨てるほど転がっていそうな、良く言えば王道の話。高梨が思い悩んでいるのは、この主人公がどのような過程でヒロインの気持ちを察するか、という部分。アプローチが足りないのなら、積極的に行動し続け、自分の好意をアピールするしかない。
とはいえ、恋愛経験のない自分にはこれが正答なのか分からない。他に冴えたやり方もあるだろうし、恋愛の方法なんて人の数だけある、と思う。
そんなふうに考えたことを伝えると、やはり得心には至らなかったらしく、高梨の唸り声は止まない。仕方なくもう一度だけ思索に戻る。
「……あ」
このままでは役立たずになってしまうと必死に頭を働かせ、一つだけ、思いついた。
むろん正答である保証はないが、先ほどの回答よりは捻った答え。
「押してダメなら引いてみろ、とか」
「なるほど!」
高梨の心に刺さったらしく、それまでの硬い表情を緩め、頬にえくぼを浮かばせる。
良かった、どうやら正解を引いたらしい。
「さっすが春日くん! 『クラスの女子全員に告白した男』の異名に恥じない解決策だね」
「勝手にヘンな異名を付けないでほしいね……。というかそれ、振られまくりじゃないか」
「あははっ」
冗談めかした彼女の言い草に、つられて苦笑が漏れる。
駿一はこの、何気ない高梨との時間が好きだった。静かな夕焼けの差し込む文芸部室で、キーの叩く音に混じって交わされる言葉、ゆっくりとした時間の流れに身を委ねられるこの日常が。
さて、俺も何か書くかとパソコンの画面に向かい、ふと浮かんだのはファンタジー小説だ。ある日、平凡な主人公の許にエージェントと道具屋が……って、影響受けまくりじゃないか。
昼休みに起きた非日常が、否応なく脳裏から浮上してくる。軽く頭を振って思い浮かんだ案の抹消に取り掛かるが、こびり付いた油汚れのようにしつこく頭の内に接着してとれやしない。
――深夜の十二時、一階のホール。
連動して幸本の声も蘇ってきた。眉間をぐりぐり指の腹で揉んでいると、隣から椅子を引く音が聞こえた。
見ると、高梨が立ち上がっている。
「あー、ちょっと用事思い出した。少し待っててね」
律儀にノートパソコンの電源を落とし、何を思い立ったのやら、高梨は慌ただしく文芸部室を出て行った。どういう風の吹き回しだろう。考えても分からないので、駿一は自分の執筆に取り掛かる。
「………………」
その十五分後、高梨が戻って来た。心なしか顔が赤いようにも見える。
「どこ行ってたんだ?」
「もう、乙女の口から言わせる気?」
もじもじとスカートの端を握っている。というか乙女って……と思ったが、当然口には出さない。
「……いや、ならいいよ」
「春日くんの変態」
「何も言ってないだろう!?」
そんないつものやり取りを交わしながら、駿一は執筆の続きに戻る。少し書いては消しての繰り返しで、結局数行たりとも進まなかった。高梨による妨害も理由の一端ではあるが、本質は違う。
胸の内を占めるのは、深夜に知らされるであろう未知への疑問と、自分に迫りくる言いようのない不安感。
その影が大きく広がっていく気がして、駿一は一度、ぶるりと身震いした。
この学園は全寮制であり、就寝時間をとうに過ぎている深夜、無暗に学内を歩き回るのはリスクが伴う。
巡回しているはずの警備員に見つかれば、問答無用で教職員に連絡が回る。「目当ては女子寮じゃないか」と質問攻めにされるのは確定だし、内申点にも響くだろう。
頭を悩ませながらもこっそりと廊下に出て、懐中電灯が必須だったことを思い出す。当然ながらそんな便利グッズは部屋に常備されておらず、スマホのライトに頼るしかないか、と思い直した直後、それらの問題が些末なものであったと気付く。
そもそも、廊下には淡い明かりが点いていた。耳をそばだてても、警備員の足音一つ聞こえない。
(……どういうことだ?)
念のため足音を忍ばせ、こそ泥じみた気分で廊下を端まで歩き、併設された学寮から抜け出す。学園の正面玄関はなぜか鍵が掛かっておらず、あっさりと一階ロビーに辿り着けた。
そこで待っていた幸本瑠璃の不遜な顔と、相変わらず人形みたいに無機質な流矢香織の真顔を認めた時、疑問は氷解した。
昼休みに見せつけられた超常、アレが原因に違いなかった。
「春日くん。あなたには、淫魔の討滅に協力してほしいの」
薄闇に紛れながらも、幸本の唇がはっきりとそう動いた。悪い冗談としか思えない。
「……は? 一体、何を……」
「そのままの意味よ。アレ、見えるでしょ」
幸本の首が後ろに向けられ、その視線を辿った駿一は、階段の横に不可思議な空間の揺らぎを見つけた。
「昼休みにも見たでしょ。アレは淫魔の巣(サーキュゾーン)。異界と、この世界を繋げるゲートよ。普通は深夜にしか開かれないんだけど、誰かが先走ったみたいね、目立つ昼休みに開いた」
「先走ったって……」
「説明したでしょ。淫魔はヒトを喰らう。我慢できずに食事の時間を早めたのね。校内だと見つかる可能性があるから、あの中に連れていった。つまり、何かしらの証拠品が落ちている可能性がある、ということよ」
証拠品。それを魔導書に捧げることで、サキュバス討滅の準備が整うらしい。
(……まさか)
駿一は嫌な予感を覚えた。
「そのサーキュゾーンの中に入って、何か落ちてないか探ってこい、とか言うつもりじゃないよな」
「察しが良いわね。その通りよ」
「冗談じゃない! 何で俺が行かないといけないんだ!」
「しっ、あまり大きな声を出してはダメよ」
「……っ、でも、そういうのは専門家の仕事だろう。俺を駒みたいに使わないでほしいね」
「そうつもりはないわ。ただ、これは仕方のないことなのよ」
幸本は忌々しそうにサーキュゾーンをねめつけ、
「サーキュゾーンには結界が張られているの。その結界には防壁と感知の効果がある。防壁を突破することは可能だけど、私たちが無理やり入ってしまうと、サキュバス達に感知されてしまう。ただ、春日くんは一般人でありながら、魔力への耐性を持っている。\だからこそ、サキュバス達によって歪められた認知の違和感に気づけた。それでいて膨大な魔力を有しているわけではないから、サーキュゾーンの防壁をすり抜けられるの。奴らに気付かれることなく、ね。イメージとしては、猛獣用の巨大な檻を小型犬が潜り抜けるようなものよ。専門家の私たちには出来なくて、春日くんだけが出来ることなの」
「でも、だからって……」
「今回はサキュバス達の侵食が早く、その結界が完成してしまったわ。ゆえに特例として春日くんの協力が必要なの」
「……っ、証拠品なら、そんな危険なとこに入らなくても良いだろ。学校の中になら、私物とか落ちているかもしれないし」
「言ったでしょ? 淫魔は人間に擬態できる。それに、サーキュゾーン内にあって、そこで長時間放置されたものでないと、魔力が付着していない。証拠品としての役割が果たせないわ」
幸本が口を開くたび、駿一は着実に追い詰められている実感を得ていた。このまま喋らせておけば間違いなく危険地帯へ放り込まれる。その後の顛末など想像したくもない。
「……他に、方法は」
半ば諦めの境地に達しつつも、駿一はなおも抗弁を止めない。
すると、首を縦に振るという意外な反応が返ってきた。
「証拠品を直接サキュバスからもぎ取ればいい。例えば角や尻尾、または服の一部ね。ただし、その場合は戦闘になるわ。敵の数は四体、対するこちらは二人よ。加えて春日くんを守らないといけない。戦力差は埋めようもないわ。この方法は現段階では採用できないわね」
台詞の終盤であっさりと希望を砕かれる。
およそ考え得る限りの反論は底をつき、もはや崖っぷちの駿一に出来ることといったら、 それはもう駄々をこねる以外に他ない。きつく目を瞑って左右に首を振るった。断固として頷いてやるものか。
不屈の覚悟を胸に「それでも、俺にはできない」と断じた。
「あっそう」
存外、幸本はあっさり頷いてみせた。「でも、それで良いの?」しかし挑戦的な眼差しがそう問いかけていた。未だ不穏な空気は去っておらず、駿一は黙りこくるしかない。
二の句が継げない駿一に、幸本は懐から取り出した何かを向ける。
それは剣の柄に見えたが、根元から断ち切られたように刀身が無い。
「奴らの最終的な標的、それは春日くん、あなたよ」
言葉と同時。
仄かな紫の燐光をまといながら、無かったはずの刀身が生えた。優に日本刀並の長さに伸長して、剣先が脅すように駿一の顎を指す。
「さっきも言ったけど、春日くんは魔力への耐性を持っている。それは、身体に魔力が宿っているのと同義よ。サキュバスは魔力を持ったあなたの精を喰らいたがっている」
「そん……な」
「ただ、今は味方同士での争いを避けるため、皆静観しているようね。あるいは、そういう命令を受けているのかも。サキュバスだって、退魔組織が介入してくる可能性は承知済みよ。仲間の数が減らされるまで、手を付けない気か。または、このまま順調に生徒の数が減っていき、侵食が進んだ段階で、一斉に春日くんを狙ってサキュバスが殺到する――そんなオチね」
どこか遠く感じていた幸本の言葉が、急速に現実を侵していった。つまり、このまま放っておけば、破滅するのは自分なのだ。
助かるためには、この二人に協力して証拠品を集めるしかない。それが自分の生存率を高める唯一の方法だ。
駿一は首を縦に振るしかなかった。半ば項垂れるような首肯で、
「……分かった。協力、するよ」
「最初からそう言っておけば良いのよ。あーあ、無駄な時間だったわ」
そう言って、刀身の生えた剣をぽいと投げた。何を考えてか前方に。重力に従って、鋭利な刃が駿一の額を切りつける――そう思ったが、軽い音を立てて床に落ちたのは柄だけ。幸本の手を離れた段階で、刀身は最初から生えていなかったかのように霧散した。
「……それは魔具、魔力を応用した道具ね。自分の持っている魔力量に応じて、特殊な刀が生えるの。サーキュゾーンの中には低級の魔物がうろついているわ。護身用ってわけ。持っていきなさい」
「あ、ああ」
言われるがまま、床に落ちた魔具を拾い上げる。
半信半疑だったが、しかし駿一の中に宿っている魔力に反応したらしい。幸本には及ばず短剣ほどの長さだが、確かに刀身が生えた。……とはいえ護身用にしては心許なさすぎる。その不満を視線に込めつつ「もっとこう、拳銃みたいのはないのか」と要求する。
「ある」
それに答えたのは、先ほどから口を結んでいた流矢だ。
「けど、練度が足りてない。初心者には不向き」
「……そう」
かくして。サーキュゾーンに関する説明をいくつか受けたのち、一般人・春日駿一は淫魔の跳梁する巣穴へ。
命の危険を伴う侵入が始まった。
幸本に言われた通り、サーキュゾーンの内部は校舎と同じ構造をしていた。空間の揺らぎを通り抜けると、地下へ続く階段があり、その先は見慣れた校舎の一階だ。実際の学園と違う点は周りに薄靄が掛かっていることだろう。
探し出すべき証拠品は、幸本曰く「何か分からないから、目に付いた女子の私物全部ね」らしい。とはいえサキュバス達も用心しているため、見渡す限り廊下には何も落ちていない。探索範囲を安易に広げることは、あまり推奨されていなかった。下の階層は異界に近いため、瘴気の影響を受けてしまうのだ。それと当たり前だが、サキュバスに遭遇してしまう危険性が高まる。ゆえにこの一階を短時間で歩き回り、何か証拠品を拾わなければならない。
「何でこんなことに……」
不満を呟きながら、なるべく足音を立てぬよう進んで行く。ここは敵の本陣に繋がるゲートであり、いつ淫魔と出くわしてもおかしくない。緊張によって冷や汗が滲み、手中の柄が滑りそうになる。手のひらをズボンで拭ってから、剣を握り直した――その時。
保健室の中から敵が飛び出してきた。遭遇し、また飛び出してくるなど敵以外の何物でもない。というかこの空間に味方など存在しない。
粘液の塊みたいな形状――これが低級の魔物だろうか。そんな思考は後回しに、駿一は無我夢中で剣先を向け、突っ込んできた敵の腹を突く。確かな手応えを感じながら、そのまま横一文字に白刃を滑らせた。ぶよぶよとした身体が両断され、二つに分かれて床へ落ちる。やがて跡形もなくその姿が消失した。
「はあ、はあ……ッ」
荒い息を吐きながら、そうっと保健室の中を覗いてみる。と、今度は羽音を響かせながら蝙蝠が迫ってきた。しかもかなりのスピードで。その物体が蝙蝠であると気付いたのは、黒い影が眼前に肉薄した時だった。しかし動けずにいる駿一の、剣を構えた右手が勝手に跳ね上がるや、向かってくる敵影を縦に切り裂いていた。魔具の効果である。反応が追いつかない場合は、自動的に敵を迎撃してくれるのだ。斬撃が単調になってしまうデメリットもあるが、戦闘の経験など皆無な駿一にとっては有難すぎる機能だった。
「……っ、はぁ……命拾いしたな」
呼吸を整えつつ、何かないかと辺りに視線を走らせる。
何の変哲もない保健室。
しかしベッドの片隅に布切れのような物を見つけた。ただのゴミに違いないが、その正体は暗くて判然としない。ただ、ゴミであったとしても駿一にその真価は分からない。
そのブツを拾い上げようとベッドへ近づく。
「へぇ、キミが噂の春日駿一くんかぁ」
タイミングを見計らっていたように、背後から声が掛かった。振り向くと、そこにいたのは半裸の少女だ。
水着よりも際どい恰好をしている。露出している地肌はその存在感を誇示するみたいに美しく、また豊満さも見事なものだ。だがこの時、駿一が注視していたのは今にもこぼれ落ちそうなバストでも、艶やかな長い金髪でもなかった。
背から大きく広がる薄紫の翼と、それと同色の尻尾。
それは彼女が人外である決定的な証拠であり、駿一が生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされているという、最悪な状況の証明でもあった。
一歩も動けないでいる駿一に、少女は薄く笑ってみせた。
「そんな死にそうな顔しないでよ。アタシはさ、サーキュゾーンの管理をしている小悪魔。一応サキュバスに分類されるけど、まー低級ね。そんなに怖い存在じゃないわ」
とは言っても、まったく安心できない駿一だった。この少女が何者であれ、自分の脅威となるのは間違いない。
「ちょっと、その剣危ないから下ろしなさいよ。アタシはただ、キミと遊びたいだけなんだから」
赤い舌が覗き、下唇を一周した。
小悪魔はゆっくり歩み寄ってくる。釣り目気味の瞳には妖しい光が浮いていた。
駿一は小悪魔の言葉に従わず、逆に剣先を突き出した。
彼女の歩みが止まり、薄闇の中でも映える金髪を片手で払う。さらさらと指の間を滑り落ちる毛先に目を奪われた、その瞬間。小悪魔は一足飛びに駿一の懐へ入り込み、いつの間にか闇色に輝く右手を振り抜いた。
「――ぐっ!?」
自動的に跳ね上がった刀身が敵の攻撃を薙ぐ。しかし小悪魔は怯まず、素早い動きで手刀を叩き込んできた。目で追える速さではあるものの、それに対応できる運動神経を駿一は持ち合わせていない。
「ほらほらどうしたのォ! そんな防戦一方じゃ、すぐ死んじゃうよぉ? きゃはははッ!」
甲高い笑い声を放ち、小悪魔は高速の手刀を繰り出してくる。対する駿一は魔具の機能に頼りっぱなしだ。一応反撃を試みているらしいが、小悪魔の攻撃に押されて後退るばかり。このままでは壁際に追いやられ、致命的な一撃を貰い受けるのは明らかだ。
(……反撃、するしかない。魔具の機能じゃなく、自分自身で!)
覚悟を決めた駿一は、小悪魔が右の手刀を引いた瞬間、初めて自分の意思で斬り掛かった。予期せぬ攻撃に小悪魔の攻勢が途切れる。そのまま勢いを殺さぬよう、剣術の型も知らない駿一は遮二無二に刃を振るった。しかし魔具がサポートしているらしく、鋭い太刀筋をもってその全てが小悪魔に襲い掛かる。今度は彼女が渋面を作る番だ。
「おおおぉぉッ!」
「――ッ、ぐっ! このッ、急にこんな――んぁっ!?」
魔具の補助により、鋭い太刀筋と化した斬撃。ついに小悪魔の手刀を弾き、その身体ごと後方へ吹き飛ばす。
勢い余った剣尖が保健室の床を抉り、小さな傷跡を残した。
慌てて体勢を立て直した駿一は、床で尻餅をつく小悪魔目掛け、逆手に持ち直した短剣を振りかぶる。
「ま、待って!」
駿一の動きが止まる。腰を砕けさせた小悪魔は小さな子供みたいに震えている。
先ほどの威勢はすっかり削ぎ落とされ、もはや白旗を揚げているようだ。
「……このまま見逃すわけにはいかない。上に報告されたら、俺はお終いなんだ」
「ほ、報告なんてしないから」
「そんなのお前次第じゃないか。それに、見逃すメリットがない」
「メリットならあるわ。ほら、アタシのおっぱい……気になっていたでしょ?」
「なっ」
「戦いなんて止めて、アタシと気持ち良いこと、しない?」
たじろぐ駿一に、少々の余裕を取り戻した小悪魔は、その瞳に媚びるような光を浮かべる。豊かな胸元の底を手で支えるようにして持ち、離した。ぶるんと擬音が付きそうなほど波打つ乳肉は、瑞々しい乳白色をしている。危機的な状況にも関わらず、駿一の喉がごくり、と音を立てた。
「あ……」
駿一は今の今まで命のやりとりをしていたことも忘れ、
小悪魔の乳房に目を奪われていた。
「ね、気になるでしょ? ちょーっと見逃してくれるだけでいいんだよ?
それ以外何にもしなくていいの。難しいことじゃないでしょ?」
耳を貸すな。今がこいつを倒すチャンスなんだ。相手は全くの無抵抗だ。
防御が間に合う体勢でもない。今、トドメを刺すべきだ。
駿一の中の理性がうるさいくらいに警鐘を鳴らす。
そんなことは分かっている。でも――
(すごい、おっぱいだ……)
それでも、目の前の爆乳に対する未練を捨てきれなかった。
最後の決断ができなかった。
駿一が躊躇している間に小悪魔はゆっくりと立ち上がり、大きな胸を見せつけるように持ち上げる。
「ほら、さっきからアタシのおっぱいに釘付けじゃない。無理して我慢するのは辛いでしょ?」
おっぱいが、小悪魔が、少しずつ近づいてくる。
先程の怯えきった様子とは打って変わって、その顔には余裕が見て取れた。
「ね~え♡ そんなこわ~い武器は捨てちゃって、アタシと気持ちいいことしましょ?」
小悪魔の手がつつ……と駿一の腕を這い撫で魔具を握る手に近づいていく。危害を加えようとする行為ではないからか、魔具の防衛機能は反応しない。
なにしろ、駿一が拒絶すれば軽々と振り払える程の力でしか触れていないのだ。
しかし振り払えなかった。心の抵抗力よりもぷにぷにの掌に撫でられる心地よさが勝ってしまっていた。
性感帯でもない場所を手で撫でられるだけで気持ちいいんだったら、
仮にあのおっぱいでパイズリされたら一体どれだけ気持ちいいんだろうか。
ズボンの中で駿一のペニスがむくむくと勃ち上がっていく。
思考が期待と欲望に塗り潰されていく。都合のいい考えが理性を押し込め、冷静な判断力を奪ってしまう。
「そうそう、そのままじっとしててね~♡」
小悪魔は棒立ちになった駿一の手の中からすいっと魔具を奪い取る。
駿一は唯一の自衛手段を手放すことに抵抗すらしなかった。
「こんな危ないもの持ってたらえっちなこと出来ないもんね。これはぽーいっと」
保健室の外まで魔具が放り捨てられる。
「ふー、一安心っと。これでアタシがキミに倒される可能性は万に一つもなくなったよねぇ? 大人しくしてくれたキミには、ちょっとだけサービスしたげる♡」
そう言って小悪魔はおもむろに駿一を抱き寄せ、自らの胸元に導く。
「んむっ……!」
駿一の顔が爆乳に埋められる。待ち望んだ感触に、強烈な多幸感と陶酔感に襲われた。
それは彼が想像していたものを遥かに上回る代物だった。
「んふふ、気持ちいいでしょ~? アタシのおっぱいでぱふぱふされた男はみ~んな夢中になっちゃって、頭バカになっちゃうんだよ?」
「あぁぁぁ……♡」
駿一の身体は弛緩し、小悪魔の爆乳に全てを委ねていた。
小悪魔は体格で上回る駿一の全体重を受け止め、少しふらつく。
「っとと。あーあ、完全にふにゃふにゃになっちゃったね」
乳房から滲み出る濃密な淫気によって自ら立ち上がる力すら出せなくなった駿一。至近距離から直に吸い込んでしまったため、その効果は絶大だった。
小悪魔はその様子を見てにやりと邪悪な微笑みを浮かべ――
「それじゃ、サービスお~わり」
駿一の身体を押し退け、乱雑に地面に転がす。
「あ……あ……? え……?」
突然の事に、何が起こったのか理解できなかった。
「キャハハッ、バッカみたい♡ わかる? アタシにはもうキミをわざわざおっぱいで気持ちよくさせてあげる義理なんてないんだよ?」
床の感触がいやに冷たく、固く感じた。
「見逃してもらう代わりに気持ちいいことしてあげるって言ったけどぉ、もうそんな必要ないもんね~? むしろ見逃してくださいってお願いする立場なのはキミだもんねぇ~?」
おっぱいから離されたことで駿一にマトモな思考力が少しずつ戻っていく。自分がした取り返しのつかない過ちに気づいてしまう。
「力が入らない……身体が、動かないっ……」
目先の快楽に釣られて有利な状況も、相手の脅威になり得る武器も抵抗する力すらも全て自分から放り出してしまった。
駿一の命は目の前の小悪魔に握られていることを今はじめて認識した。
だからといって、今の彼にはどうすることもできない。全てが遅すぎた。
「あ~あ。この世の終わりみたいな顔しちゃって。それなのにぃ……ここはカッチカチのまんまだね~?」
小悪魔はニヤニヤと邪悪な笑みを浮かべながら駿一のペニスをズボン越しに指先でくりくりと刺激する。
「うっ、あぁ……!」
「まあ仕方ないよね~♡ オトコが淫魔の誘惑に逆らえるわけないんだよね~♡ ましてやキミみたいなヤりたい盛りの年の子じゃ尚更だよねぇ」
小悪魔がズボンのファスナーを降ろし、駿一のペニスを引きずり出す。
「あはっ、バッキバキじゃない♡ そんなにおっぱい気持ちよかったの?
もしかしておっぱいでおちんちん挟まれるの、楽しみにしてたとかぁ?」
駿一は何も言い返せない。
その様子を見て小悪魔は愉しそうにクスクスと笑い、
手近なベッドに腰掛ける。
「でもダ~メ、おっぱいはもう終わり。そんな気分じゃないのよねー」
「そ、そんなっ……!」
駿一はつい哀願するような声を上げる。それは無意識の行動だった。
直後にしまった、と思い慌てて口を噤む。
「ぷっ……あはははっ! 何今の声~! そんなにおっぱいでシてもらえないのが残念なの~? キミ、ちょっと淫魔を甘く見過ぎじゃない? ちょ~っとお顔をぱふぱふされただけで動けなくなっちゃってるのに、パイズリなんてされたらどうなるか分かってる? ふふっ……死んじゃうんだよぉ?
アタシのパイズリで生き残った人間なんてだ~れもいないの。みんな枯れ木みたいになって死んじゃったのよぉ♡」
小悪魔は心底愉しそうに言う。
彼女は命を奪うことに対してなんの葛藤も抱いていない、むしろ搾死させることを楽しんでいる外道だ、と駿一は思った。
このままではほぼ間違いなく自分は殺される。
なんとかして、逃れなければ。そんな気持ちとは裏腹に、駿一の身体はピクリとも動いてくれない。
唯一、隆起したペニスだけが彼の意志に反してびくびくと震えていた。
「でもぉ、キミはすぐ死んじゃったらつまらないし。アタシのことヒヤッとさせた分、楽しませてもらわなきゃ。まずはぁ……こうやって♡」
「ぐあっ!?」
小悪魔が駿一のペニスをぐにっと踏みつける。
「このまま足でキミのおちんちんイジメてあげる。靴も履いたままだし、淫魔の力も使ってあげない。人間の女がするのと同じようにただただ踏んづけるだけ。これならキミでも我慢できるでしょう?」
「ぐ、う……!」
小悪魔のブーツはゴムによく似た質感の靴底で、やや固めのそれはペニスに快楽を与えるにはやや不向きな代物だった。
(奴の言うとおり、確かにこれならギリギリ耐えられそうだ。なんとか時間を稼いで、身体が動くようになれば、脱出のチャンスはある……!)
駿一にとっては幸いなことに小悪魔は完全に自分が優位に立ったことで油断しきっている。先程とは丸ごと立場が逆転した状態だ。
ひとつ絶対的な違いを挙げるとすれば先程小悪魔が自分の肉体を武器に立場を逆転させたことに対して、駿一はそのような手段を一切持っていないということだった。小悪魔はそれを分かっているからこそ余裕たっぷりの態度をとっているのだ。
「ほ~ら、ふみふみ、ふみふみ♡」
それは快楽を与えようとする動きではなかった。ただただ無造作に軽く踏みつけているだけの、足コキとすら呼べないもの。
「……っ」
それだけでも、今の駿一には辛いものだった。
一度快楽を受け入れようとした身体は、なかなか思い通りに鎮まってはくれない。
単調な刺激でも少しずつ高められていってしまう。
(こんなことで、イくもんか……!)
「キャハハっ、ちょっと踏んでるだけなのに必死になって我慢してる~!
こんなので気持ちいいの~? 痛くないの~? それじゃ……ちょっとだけ激しくしてあげようかなっ!」
おもむろに小悪魔が足の動きを早め、電気あんまの要領でペニスに刺激を加え始めた。
「あっ、うっ、あぁァァァっ!?」
急激に与えられる強い刺激に、駿一は声を悲鳴ともよがり声ともつかない声を上げてしまう。
身体が動かないため、身をよじることすら出来ない。刺激をどこかに逃がすということが出来ない。駿一は一方的に叩き込まれる快楽をされるがままに受けるしかなかった。
「ああっ、ああああああっ!!」
「アハハッ、ねえ辛い? それとも気持ちい~い?」
「あっ、ぎっ、あああっ、あ……!」
「ねえ、人が聞いてるんだからちゃんと答えなさいよ~♡」
小悪魔は駿一が返答できるような状態ではないことをわかりきった上で意地悪を言う。
「ねえ、弱くしてほしい? それとも今より激しく踏んづけてほしい? ね~答えてぇ~♡」
「あっ、が、よわ、あぁぁぁっ!」
「ごめーん、何言ってるかぜんぜんわかんな~い♡」
駿一が喘ぎ苦しむ姿を見て小悪魔はサディスティックに笑いながら電気あんまの勢いをさらに激しくする。
「あっ! ッッ! ~~~~ッッッ!!」
悲鳴すらまともに発声できない。
口からは涎がこぼれ、目尻には涙が浮かぶ。
しかし、射精に至ることはなかった。
駿一にとって幸か不幸か、刺激が強すぎるのだ。
視界が滲んでチカチカする。自分に与えられているのが苦痛なのか快楽なのかすら曖昧な状態。
そんな中で、ペニスだけは萎えることなく硬度を保ったままだった。
「あ……あが……」
「あらら、ちょっとイジメすぎちゃったかな?」
壊れかかっている駿一を見て、小悪魔は足の動きを一旦止める。
「あ……ぐ……ひっ、はーっ……はーっ……!」
唐突に止まった責めに戸惑う余裕すらなく、駿一は必死で呼吸を整える。
小悪魔はペニスに足を乗せたまま、駿一が落ち着くのを待っていた。
しばらく経って駿一がまともに喋れる力を取り戻すと、小悪魔が口を開く。
「ごめんね~激しくしすぎちゃってぇ。これでも手加減したつもりなんだけどぉ、おちんちんって弱すぎていっつも加減がわからないのよねぇ~」
絶対嘘だ、と駿一は思った。
しかし思ったところで、それに口答えできる体力も残っていなかった。
「辛そうな顔しちゃってぇ。ちょっとイジメただけで大袈裟じゃな~い?」
力が戻るのを待つどころか、体力を大幅に消耗させられてしまった。
これ以上余計な体力を使うわけにはいかない。駿一は小馬鹿にした態度の小悪魔を無視して、体力の温存に努めようとする。
「あ、いじけちゃってる? ねぇ~返事しなさいよお」
(無視だ、無視。反応したらあっちの思う壺だ……)
そんな駿一の考えが通るほど、小悪魔は甘くはなかった。
「……♡」
小悪魔は脈絡なく踏みつけ足コキを再開する。
先ほどとは真逆の、優しくゆっくりとした責め。
「うっ……!?」
にじにじ、にじにじとゆっくり焦らすように足を動かす。
「ほら~機嫌直してぇ?
こうやって足でおちんちんナデナデしてあげるから♡
ほ~ら、なでなで、なでなで♡」
今までの苛烈な責め苦とは天と地の差だった。
ただひたすらに優しく、やさしくペニスを擦ってくる。
靴底の固さを感じない程度の絶妙な力加減で行われる足コキ。
「あっ……うぅ……」
ペニスの先端から我慢汁がとろとろと溢れてくる。
落ち着いた動きが、静かに快感を蓄積させていく。
「気持よさそうね。これ、気に入ったんだ?
それならこのままゆっくり、も~っと優しくふみふみしてあげるからね~♡」
その言葉通り、ゆっくりとした足コキが継続される。ただ単調に踏むだけではなく時折緩急をつけながらも、決して強くなりすぎることのない責め。
駿一はただされるがままに受け入れていた。ゆっくり、ゆっくりと。
単調ながら激しい電気あんまとは何もかもが真逆のプレイに、駿一のペニスはどんどん高められていく。じっくりと快感が染み渡ってくる。
「……ぅう……!」
もう、我慢の限界だ。はやく出して楽になりたい。
射精したい。射精したい。射精したい!
余裕の生まれたばかりの思考回路は、欲求に上塗りされていく。
もう、駄目だ。駿一はきゅっと目を閉じて、来るべきその瞬間を待った。
しかし――
(……おかしい、イけ、ない……!?)
性感を高められながらも、小悪魔の足コキで射精に至ることはなかった。
刺激が弱すぎるのだ。
おまけに小悪魔は駿一の快楽の波を読み取り、うっかり射精してしまわないように的確に加減をしていた。
加減がわからないなど大嘘だった。彼女は下級とはいえ淫魔。
男の感じる部分など知り尽くしているのだ。
駿一に焦りが生まれる。射精したい。もう少し、もう少しなのに!
自ら腰を動かしてペニスを擦り付けようにも、指一本動かないためそれも叶わない。
「どーしたのぉ? 泣きそうな顔しちゃってぇ♡ これじゃ速すぎる?
も~っとゆっくりにしてあげようか?」
「い、いやだぁ……」
駿一は哀願する。
「え~、なんでイヤなのぉ?」
「いやだぁ……だしたい……射精したい……!」
「ぷふっ、キャハハっ!自分からそれ言っちゃうんだ!
キミ、自分が今何言ってるか分かってる?
淫魔にイカされたらどうなるかわかってる?
死んじゃうんだよ? 殺されちゃうんだよぉ!? あはははっ!」
「うぅ……ッ! ぐっ、ぅぅ……!」
死。その一言が駿一の胸に冷たく突き刺さる。でも、気持ちよくなりたい。
気持ちよくなると、死ぬ。死ななきゃ気持ちよくなれない。
そんな考えが駿一の中でぐるぐると渦巻く。半ば錯乱状態に陥っていた。
「どうする~? ねぇ。キミ、射精したいんでしょ、ねーえ♡」
「でも、死にたく、ない……あぐっ!」
途切れ途切れに言葉を繋ぐ駿一の股間を、小悪魔が少し強めに踏みつける。
「ワガママね~? まあ時間はたっぷりあるしぃ? キミが自分から『死んでもいいから、射精させてください~♡』ってお願いしてくるまでじっくり待っててあげる」
小悪魔は今まで通り見下ろしながら、ゆっくりとした足コキを続ける。
にちっ、にちっ、と粘液混じりの音と共にペニスを踏み潰されるたびに、
駿一のわずかに残った理性が少しずつ削られていく。
今の駿一はもはや自分が何しにここに来たのか、自分がなんで我慢しているのかすらも思い出せなくなっている。死にたくない。でも射精したい。彼の頭のなかにはこの二つの思考以外に存在しないと言っても過言ではなかった。
小悪魔は絶え間なく緩い刺激を送り続け、決して休ませてくれない。
ボロボロの思考回路が少しでも機能を取り戻すことを許してくれない。
「ねえ? そろそろ覚悟は決まったかな? きっとすっご~く気持ちいいよ? なんて言っても、命と引き換えに射精するんだもん。
文字通り、死ぬほど気持ちいいんだよ?」
――言ってしまえ。あの言葉を。言って楽になってしまえ。言って、いって、イッて……!
「……せて、ください」
「え? 今なんて~?」
「死んでもいいから、射精させてください!」
言ってしまった。最後の一線を超えてしまった。
自らの意志で死を望んだことを認めると、小悪魔は今日一番の笑顔でぱちぱちと拍手をした。
「キャハハっ、よく言えました~♡ えらいえらい♡
それじゃあ、お望みどおりに……まずは一回目♡」
そう言って小悪魔はちゅこちゅこと足コキの速度を上げる。
緩すぎも激しすぎもしない、男がもっとも気持ちいいと感じるであろう、
匙加減。
駿一が待ち焦がれたそれだった。
イキそうでイけない状態でずっと焦らされたペニスは、
驚くほどスムーズに射精に導かれる。
「あっ、あぁぁぁぁぁぁっ……!」
どぷっ、どぷどぷどぷどぷっ……!
ついに、溜め込まれた精液が吐き出される。
粘度の高いそれは小悪魔の靴裏にべっちゃりとこびりついていく。
「んふふ……気持ちいいでしょ~?」
「ああ……あっ、あぁぁ……!」
どぷっ、どぷどぷどぷどぷっ、どぴゅっ……。
十秒ほど経っても、射精の勢いが衰えない。
激しい射精ではないが、びゅっ、びゅっ、と継続的に精液が出続けている。
小悪魔は射精している間中ずっと足コキを止めない。
一滴でも多く搾り取ってやろうとでも言わんばかりに、
精液ごとペニスを踏みにじっていた。
びゅっ、びゅっ、びゅっ……!
三十秒ほど経って、ようやく一度目の射精が終わる。
「あ……あ……」
駿一は既に息も絶え絶えだった。
視界は霞み、喉はカラカラに乾いている。一度の射精で消耗しきっていた。
当然、通常の射精ではこうはならない。淫魔に精を吸われているのだ。
むせ返るような精の香りをくんくんと嗅ぎ、小悪魔は嬉しそうにはしゃぐ。
「あははっ! すご~い! 油断して下級淫魔に負けちゃうようなマヌケなのに、精液の質は極上ね! もう、最っ高~♡ この調子でもっともーっと出しなさぁい♡」
小悪魔はさらにペニスを踏み続ける。精液まみれになった靴でペニスを踏みにじるたびにぶちゃっ、ぶちゃっと粘ついた水音が鳴る。
それは潤滑液の役割を果たし、ソールの固さを緩和し快楽だけを増幅させていく。
「もうちょっと強くしても大丈夫でしょう? ほらほらっ♡」
小悪魔が少しずつペースを上げていく。
「ほら、どんどんギアを上げていくわよ? ひとつ、ふたーつ、み~っつ♡」
徐々に激しくなっていき、やがて先程駿一が苛烈な刺激に苦しんだ電気あんまへと移行していった。
「ああぁぁぁ……あぁぁぁ……♡」
しかし、駿一が苦痛を感じることはなかった。
感じるのは、痺れるような激しい快感だけ。
「ふふっ、とうとうおちんちんが本格的にバカになってきたみたいね♡
こんなに速くふみふみしてるのに、お顔とろけちゃってる♡」
ぐりぐり、ぐちゃぐちゃと精液ごとペニスを激しく踏み続けると、
すぐに限界は訪れた。
びゅっ! びゅっびゅっ! びゅーっ!
「きゃはっ♡」
二度目の射精。駿一はもう完全に夢見心地だった
。
身体はもう限界に近いはずなのに、不思議と辛くない。
どこか宙を漂っているような、夢と現実の境目を行き来しているかのような意識の中で、ただただ快楽だけを鮮烈に味わっていた。
「あはぁぁぁぁ……あぁぁぁ……♡」
びゅーびゅーと精液を撒き散らし、駿一は恍惚の表情を浮かべる。
快楽以外何も考えられない。入ってこない。
「激しくしてもちゃ~んとイけたね~♡
それじゃ、こんどはゆっくりにも挑戦してみよっか」
そう言って小悪魔は急激に足コキのペースを緩める。
これまた先程駿一が射精できないまま散々焦らされた、緩く遅い踏みつけだった。
決してペニスが射精に至ることの出来ない、絶妙な手加減を込めた足コキ。ぬるぬるの精液が潤滑をもたらしていると言っても、射精できるほどの快楽ではない事は同じだった。
しかし、それは普通の人間にとっての話。
「あっ、あぁっ……あぁぁぁぁ……♡」
とぷっ、とぷとぷとぷっ……。
二度目の射精から一分も経たないうちに、駿一のペニスから精液がとぷとぷと漏れていく。止まること無くどくどく、とぷとぷと。
「あ、またイッたね~。あーあ、全然止まらない。
もう本格的におちんちん壊れちゃったかな?」
壊れた蛇口のように止まること無く精液を漏らし続ける駿一を見て、小悪魔は苦笑する。
「ま、いっか。それじゃこのまま、責任持って最後まで搾り取ってあげる♡」
小悪魔は射精し続ける駿一にぎゅっ、ぎゅっ、と追撃の足コキを加え、一滴残らず搾り取らんとする。
「あぁぁ……ぁ…………。」
吐き出す精液の勢いがどんどん弱くなっていく。精液の量がどんどん少なくなっていく。数十秒ものあいだ続いたそれは……
ぴゅっ、と少量の薄い精を吐き出したのを最後に、完全に途切れた。
それと同時に駿一の命もまた、終わりを迎えようとしていた。
「はい、おーわり。命と引き換えの射精、気持ちよかった?
って……もう聞こえてないかな。それじゃ、ご馳走さまでした~♡」
搾り取った精を自らの糧とした後、小悪魔はその場を後にした。
保健室には物言わぬ骸となった駿一だけが、ただその場に残されていた。
-BADEND-
1日目 エピローグ
場違いな欲望を断ち切るように、駿一は短刀を振り下ろした。しかし小悪魔は転がるようにして攻撃を避け、立ち上がると同時に床を蹴った。駿一に背を向けたまま、
「安心しなさい、キミのことは報告しないから。だって、報告したら見逃したアタシが処罰されちゃうしぃ」
なんとも自分勝手な理由を吐きつつ、やはり小悪魔は身勝手な逃走を選んだ。
取り残された駿一は、とりあえず大きな溜息を吐く。
その身に追いかける気力は残っていない。体力も消耗し切っており、早くベッドに飛び込んで泥のように眠りたかった。今日はもう良いだろう。これ以上の探索は打ち切るべきだ。
そう判断し、保健室から出ようとして、思い出す。
(……そう言えば、ヘンな布切れがあったな)
手ぶらで帰るよりかはマシだと思い直し、ベッドに落ちていた布切れを掴み取る。
「――え?」
ただの布切れではなかった。
目が覚めるような真紅の色合いは、べっとりと生物の血潮が塗りたくられているような――そんな錯覚が一瞬、頭を掠めた。
真っ赤な布切れの正体は、何てことはない、ただのカチューシャである。しかしそのカチューシャには見覚えがあった。
「……高梨?」
口から滑り落ちた疑念に、答えてくれる者はいなかった。
サーキュゾーンから生還した駿一は、右手で萎びているようなカチューシャを迷いながらも差し出した。
それを受け取ろうと伸ばした流矢の手を幸本がぺしっと払い除け、横から引っ手繰った。
どこかしょんぼりした流矢の隣、幸本は受け取ったカチューシャをためつすがめつ見回し、
「ご苦労様。なるほどね……この魔力がべっとり付着したカチューシャ。間違いないわ、高梨澪の私物ね」
「いや、でも高梨は……」
「高梨澪は、淫魔である可能性が高いわ」
「……っ」
駿一の台詞を叩き潰す、その言葉。予期していたものの、身に受ける衝撃は重い。
「とりあえず、引き続き調査を続けるわ。……また明日も、よろしくね」
そう言って、二人は引き揚げていった。またもや取り残された駿一は、むろん誰かに相談することもままならず、大人しく自分の寮へと帰った。