一章:闇夜に舞うフェレスティア


 雨上がりの湿気が漂う山奥で、ひとりの少女が槍を振るう。
 聖少女のコスチュームを纏い、カノンは単独で魔物の駆逐に当たっていた。
 学園の野外活動でこの場所に訪れた時、カノンは微かに嫌な気配を感じていたのだが、その勘は的中していた。
 敢えて言い表すならナメクジやナマコに近いだろうか。
 尤も、体格はそれらに似ているとは言え、体長は2~3メートルにも及び、長大な胴体には等間隔でタコ足のような触手が備わっている。
 ただ這っている分にはまだ見れる姿だが、触手を伸ばし獲物を探している姿は実に悍ましいものである。
 軟体種と呼ばれるこの魔物たちは湿気の多い時に活動する。
 湿気を好む性質上、多湿の状態に薄暗い密林などの条件が重なれば日中でも活動する可能性がある厄介な魔物だ。
 尤も、厄介なのはその性質であり、動きは非常に緩慢なため、存在を察知していれば常人でも逃げることができる。
 ましてやフェレスティアが相手であれば……

「おおっと、あっははっ!! そんな攻撃がこのカノンちゃんに当たると思う?」
 魔物が吐きつける粘り汁を悠々とかわしながら、カノンは素早く槍を振るう。
 その一撃は魔物の頭部を見事に貫いたが、しかしそれで終わりではない。
 この魔物の唯一警戒しないといけないのは、その生命力の高さである。
 急所以外に傷を受けてもすぐに回復してしまう上に、魔法攻撃は身体の表面から吸収されてしまうため殆ど効果がない。
「これでおしまい、せりゃぁ!!」
「グギャアアアア!!」
 突き立てられた槍は長大な魔物の胴体の中央を的確に貫く。するとなんとも不快な断末魔が辺りに響いた。
 この部分こそが軟体種の弱点であり、急所を突かれた魔物は泥の上をのたうち、ものの一分と待たずに絶命した。
「うわっ……、んもー、なにこれ最悪ぅ……」
 足元を見下ろしながら、カノンは吐き捨てるように呟く。
 力尽きた魔物の触手が、純白のブーツに絡みついていたのである。
 足を振るい触手を払うも、ブーツには魔物の分泌する粘り汁がべっとりと付着してしまっていた。
 ブーツに泥が付く事を嫌い、ぬかるんでいない足場を選びながら戦ったのが……、最後の最後で台無しである。
 しかし、軟体種を確実に始末するにはこうしてしっかりと急所を狙ってトドメを刺すしかない。
 こんな雑魚相手にコスチュームを汚してしまったのは手痛い失点だが、声による魔法攻撃が効き難い魔物を手早く捌くことができたのは日々の槍術訓練の成果に他ならない。
 反省点を心に留めつつ気持ちを切り換え、任務報告をするために携帯端末を取り出す。
 通常、カノンたちフェレスティアの駆逐任務は人間界に潜伏する天使から携帯端末に送信されてくる。
 今回はカノンが自ら魔物の気配を嗅ぎつけ、それを単独で始末したが、こういった場合でも必ず天使に報告しなければいけない。
(はやく帰ってシャワー浴びよっと……)
 鼻歌交じりに報告のメールを打っていたカノン。
 ……しかし突然、その表情に緊張がはしる。
 ピンと反り立つネコミミがピクリと動いた直後、カノンは魔物の死骸から槍を引き抜き、素早く振り向いたかと思うと背後に迫っていた気配に刃を突き立てた。
「グギャ!!」
「……ぐぅっ!! まったく、カノンちゃんの背後を取るなんて……、なかなかやるじゃん……!!」
 突き立てられた槍の先には、今にも獲物に飛び掛かろうと長大な胴体を大きく持ち上げた軟体種の姿があった。
 それとなく嫌な予感はしていたが、念のため変身を解除せずに気を張っておいて正解だった。間一髪で槍を突き立てて巨体を受け止めたものの、肉の塊である軟体種の重量が一気に槍へ圧し掛かってくる。
「コイツ……、おっもい……!!」
 あわや押し潰される寸前で、しかしカノンの対処は実に冷静だった。
 気を静め、意識を集中すると、手足に巡る魔力を活性化させて一時的に筋力を増強させたのだ。
 長手袋とブーツから鮮やかなオーラが迸り、長大な軟体種の身体を一気に押し返す。
「よし、これで……!!」
 鈍い巨体をそのまま押し倒してしまおうとした、その時だった……。



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