「はー、良く寝た。あ、おねーちゃんおはよー……」

 寝癖をつけたまま寝ぼけ眼で歩いてくるチビ淫魔を見て、姉淫魔は心底呆れたような溜息をついた。

「まったく、ホントによく寝るわねぇアンタ……」
「えへへ……、寝る子は育つってよく言うからね」
「……もう何度も言ってるけど、アンタはいくら食っていくら寝ても、一生そのままよ」
「むー…、そうだ、それよりさ!! マヤってどうなったの!? まだ来てないよね?」
「来てたら叩き起こしに行ってるわよ。……まあ地獄の大門を通過したって話だし、じきに現れるでしょ」
「そっかぁ……、それにしても随分と賑やかだねー」

 魔宮最上部……、地上100メートルをゆうに超える特等席のバルコニーから、二匹の淫魔は眼下に広がる喧騒を眺める。
 数百ある鍛冶場がフル稼働し、食堂や宿屋はもちろん酒場までもが炊き出しに追われていた。
 魔宮には常に三万程度の防衛戦力が常駐し、その全てに行き届くだけの兵站も用意されているが、熾天使の襲来を目前に周辺の地域から全戦力が集結した今、防衛部隊の兵数は通常時の3倍以上に膨れている。 
 しかしこれだけの兵力を以ってしても、熾天使が相手では万全とは言い難い。魔界東部の厳寒地では極めて高い戦闘力を有するエリートオークの大隊が行軍訓練を行っているが、熾天使マヤの進攻があまりにも早く、東部地域からの増援は到着が間に合っていない。
 現在集まった増援の多くは近隣の守備隊を配置転換しただけの通常戦力であり、なんとも心許ないところではあるが、それでも今は全力を尽くすほかないだろう。
 刃を研ぎ、矢に毒を塗り、防具を打ち直し、膨れ上がった兵員に食糧を滞りなく供給するため、普段は事務や雑務を専門としているゴブリンらも炊き出しの要員として駆り出された。
 装備を整え腹ごしらえを終えたオークたちは、隊列を組み前線である『要塞山』へと向かってゆく。
 要塞山から生きて下山できるのは良くて二人に一人といったところだろう。魔宮地下の酒蔵は開放され、片道切符の死に戦へ向かう者たちに上質な酒が振る舞われた。

「いやー、すっごい数だねー。これだけいればマヤも倒せるかなぁ?」
「……どうだろうねぇ。戦いってのはそう単純なものじゃないから、数を増やせばその分有利になるってわけじゃないのよ」

 そういって姉淫魔は要塞山を指さす。
 広大な魔宮城下町を挟んだ向こうなので目を凝らさなければ見えないが、それこそ数えきれないほどの魔物たちが要塞山を埋め尽くし、無数の松明の明かりで要塞山の頂上付近は煌々と輝いている。

「山頂にいる連中の殆どはマヤの姿を見る前に焼き払われるわ。弩砲の射程外から熾天使の権能で焼き払われてイチコロよ」
「えー、無駄じゃんそんなの!!」
「それがね、無駄じゃないのよ。熾天使の権能を使わせる、それだけでも連中が死ぬ価値はあるわ。大技を使わせた後、山頂を挟んで反対側にいる戦力が畳みかける。こうして少しでも多く魔力を使わせるのよ」

 理解しているような、していないような、中途半端な表情をしてみせてから、チビは目を細めて要塞山をジッと見つめる。

「マヤの力ってそんなに凄いんだぁ……」
「……そんなに凄いわよ。化け物よアイツは。まともにやり合えば老魔様でも勝てるか怪しいわね」

 少し間を置いてから、チビの口から至極真っ当な疑問が漏れる。

「……勝てるのかなぁ、この戦い」
「まあ、負けはしないだろうけどねぇ……、負けないだけじゃ意味ないのよね……」

 見立て通りと言うべきか、熾天使マヤはフェレスティア・ショコラの早期奪還を優先し、少数精鋭で攻め込んできた。
 しかし奪還が困難だと判断すれば、速やかに退却の指示を出すだろう。
 仮に今回の進攻を食い止める程の決定打を与えたとしても、退却を許してしまえば次に攻め込んでくる時は数千、あるいは万を超える程の大規模な軍勢で総攻撃をかけてくるだろう。
 天城が作戦を承認し再編成を行うまで半月程度の猶予はあるだろうが、魔界と天界のパワーバランスを考えればその程度の猶予など焼け石に水だ。
 天魔会戦において熾天使の力を覚醒させたマヤは、天使の大群を率いて不可侵領域と言われていた魔宮まで進軍してみせた。
 狭間の要塞はおろか、地獄の大門すらを容易く粉砕し、あげく要塞山までもを吹き飛ばして、魔界の中枢たる魔宮への進入を果たしたのだ。
 もちろん、進軍に伴う天界の損失も甚大であった。進軍に参加した数万の天使のうちおよそ半数が負傷したといわれ、天界に所属する天使全数の一割近い数が命を落とすか、あるいは魔族の捕虜となった。
 しかし魔界、ひいては魔族は、ただ戦力的被害を被るだけには留まらず、最高機関の魔宮を失いかける壊滅的な窮地に追い込まれ、天界との圧倒的な力量差を思い知るに至った。
 これが決定的となり、魔界側はそれまで拒んできた『天魔の交戦規定』を受け入れ、事実上の停戦を認めざるを得なくなった経緯がある。

 今、マヤのもつ熾天使の力は天城からの制裁で一部封印されているとの噂だが、天界最高機関の天城がショコラの奪還作戦を正式に承認すれば、熾天使の力は再び解放されるだろう。
 解放された熾天使マヤが大群を率いて進攻するとなれば、魔界全土のエリートや魔獣を全て招集したところで、山積みの木の葉同然に散らされてしまう。
 天城との関係悪化が魔界でも噂されている熾天使マヤが天城の力を頼るとなれば、その代償は高く付くはずだが……、いや、この可能性に賭けるのはあまりに愚かだ。必要であれば自らを犠牲にすることなど厭わないのが熾天使マヤなのだから。
 もし熾天使の力が解放されれば、怒り狂うマヤの力で魔族は存亡の危機に追いやられる。あるいは、ようやく手に入れた切り札……、熾天使の力を継ぐフェレスティア・ショコラを、大人しく引き渡すか。

 熾天使の魔力を継いだショコラの存在は、優位に立つ天界に対して魔族が反旗を翻す為の、唯一の希望と言っても過言ではない。
 天魔会戦の終結後、熾天使マヤという圧倒的な抑止力の元で、魔界は実質的に天界の監視下に置かれている。
 劣勢を覆すべく捕らえた天使を使い魔獣の交配実験なども行ったが、圧倒的なパワーバランスを覆すほどの有意な成果は得られていない。
 それどころか天界の諜報活動によりそれらの情報が漏洩し、マヤの襲撃を受けて貴重な資源たる『天使』たちは次々と奪還されていった。
 散々に辛酸を嘗めさせられてきたわけだが、ショコラから抽出した魔力を上手く戦力化できれば、憎き熾天使マヤを食い止めることも不可能ではないだろう。
 あまつさえマヤを捕らえることに成功すれば、天魔のパワーバランスは大きな変換点を迎えることになる。
 果たしてショコラから抽出した魔力をもってしても捕獲までいけるかは定かでないが、力の一部を封印されたマヤが少数で攻め込んでくるような絶好のチャンスは、この一度きりと見て間違いない。
 ここでなんとしても捕らえなければ、封印を解かれた万全なる熾天使の力をもってして魔界は再び蹂躙され、天界に対し優位に出る好機は二度と訪れないだろう。

「でもさでもさ、そんなに強いマヤをどーやって捕まえるの? 迎え撃つことができてもさ、天使っていざとなれば空飛んでピューって逃げられるし、捕まえるの難しすぎない?」

 部屋を出て、長い廊下を歩きながら姉淫魔の講釈を聞いていたチビは、新たに芽生えた疑問を姉淫魔に投げかける。
 事実、天使の飛行能力は実に厄介だ。
 魔界において天使が飛行できる限界高度はさほど高くないため、山頂や要塞の最上部からであれば有効な攻撃を加えられる。とは言え、それらの攻撃は多少でも損害を与えて敵の戦力を削ぐ、あるいは進攻を断念させることが目的であり、現実的に考えて熾天使を捕らえるのは難しい。
 一度逃げに入られてしまえば、高所に配置されている戦力以外の大半の妖魔や魔物たちは、逃げてゆく天使たちをただ指を咥えて見ているしかないだろう。

「まあ、あそこにいる連中だけじゃどーにもならないでしょうねぇ。地上にいる連中は命を懸けてマヤの戦闘力を削る。あとは"上の連中"次第になるわね」

 ……完全敗北の末に魔宮へ連れ込まれた聖少女ショコラ。
 その身柄はまず『搾聖室』に運ばれ、忌々しい敗北ペニスを淫魔たちの手で徹底的にシゴき上げられた。
 "搾聖"の方法は至って簡単だ。呪印により男性器を植え付けた後に獲物を搾聖台に拘束し、身動きできない状態で延々とペニスをシゴき続ける。
 実に単純であるが、しかし極めて効率的な搾取方法のひとつと言えよう。

 搾聖室の隣には会食の為の大広間が設けられており、搾聖の餌食となる聖少女たちの喘ぎ声は大広間にも響き渡る。
 もちろんそれは意図された設計だ。マヤの愛弟子を捕らえ華々しい凱旋を果たした姉淫魔たちは直ちに晩餐に招かれたが、聖少女の無様な喘ぎに彩られた絢爛豪華な食事はなんとも悪趣味で、格別なものであった。
 魔族の重鎮たちは捕虜として捕らえた天使たちを度々搾聖室に招き、この悪趣味な晩餐を堪能しながら忌々しい天界に対し一時の優越感を味わうのである。

 そして搾聖により大桶二杯分の精液を搾取されたショコラは、休む間もなく魔宮の最上部へと連れて行かれる。
 そこで待っているのが、上級淫魔たちとの強制的な性交だ。







『むおぉおおおおっっっ!!!! ンッぐぅぅぅぅッッッ!!!!』

 姉淫魔らが部屋の近くにさしかかると、断末魔にも似た喘ぎ声が廊下まで響いてきた。
 これがあのクソ生意気に勝ち誇っていたフェレスティアの喘ぎであると思うと、未だに興奮が沸き立ってくる。

「いやー、相変わらずすっごい喘ぎ声だねー。これじゃもう獣の遠吠えだよ」
「大天使すら許しを懇願するほどだって言うからねぇ、アイツらの交尾は。フェレスティア如きじゃ気が狂ってもおかしくないわね」

 ショコラの相手をしているのはただの淫魔ではない。『魔宮の使い魔』と呼ばれる、云わば淫魔の上位種だ。
 数は少ないものの、その戦闘力は並みの天使を遥かに凌駕し、背中に備えた翼による飛行能力まで有している。
 元々は、基礎体力の優れる淫魔の肉体をベースに、魔法戦闘力に長ける妖魔と飛行能力を獲得した魔獣の血を混ぜた混血種であったが、この混血は生まれる種の生存率が著しく低いという致命的な欠陥があった。
 複数の血種を混ぜているのだから当然とも言えるが、成功は百に一度と云われる程で、その数少ない個体さえ魔宮の庇護が届く領域から出てしまえば次第に肉体が自壊するほど不安定である。

 それだけ不安定な存在ながらも、天使と対等以上にやりあえる貴重な戦力である彼女たちには、特権として魔宮に連行された天使を真っ先に味わうことが許されていた。
 元々は褒美として与えられていた特権であるが、かつての熾天使マヤの魔宮襲撃に際して、天使と交尾を重ねていた使い魔たちは非常に高い魔法防御を備えていることが判明し、以降は専ら戦闘力の強化を目的として交尾を重ねているのが現状だ。
 尤も、喰らっている当人たちにとっては今でも褒美以外の何物でもないのだが……

『あぁッッッ!!! 堪忍してっっっ!!! 堪忍してぇぇぇぇッッッ!!! やっ、やぁっっ!! やぁあああああッッッ!!!!』

 交尾部屋の前に差し掛かると、鉄製の分厚い扉越しにみっともなく懇願する声が響いてきた。
 それを嘲笑う甲高い笑い声……、直後、今度は獣のような雄叫びが扉の向こうから漏れてくる。

「……あいかわらずエゲツないわねぇ」
「ねーねー、ボクたちも混ぜてもらえないかなぁ?」
「馬鹿言うんじゃないわよ、アイツら相当コーフンしてるから、混じったりなんかしたら見境なく襲われるわよ」

 扉を守るエリートオークに鋭い視線を向けられ、姉淫魔はチビの手を引いてそそくさとその場を離れてゆく。
 まったく、使い魔たちの性交は容赦と言うものを一切知らない。
 獲物の魔力が尽きようと、座薬型の回復薬を肛門に挿入し無理矢理に魔力を回復させ、とっかえひっかえに交尾しまくるのである。
 かつて一匹の天使があの部屋に運ばれたのを見たことがあるが、部屋に連れ込まれる際に殺気立った眼差しでこちらを睨んできた凛々しい天使はしかし、使い魔らと一晩を過ごしたのち、部屋から連れ出された時には自らの手で狂ったようにペニスをシゴいている有様であった。
 使い魔たちの体液には強烈な催淫効果があり、数秒の口付けだけで天使すら絶頂すると云われている。
 そんな性欲の権化に犯されて、所詮は人間であるフェレスティアなどひとたまりもないだろう。まさに快楽という名の地獄に晒されているのである。

 長い廊下を進んだ先に、姉淫魔らに与えられた個室がある。

 魔界全土の長である『老魔』から直々に、ショコラを捕らえた褒美が与えられるそうだが、今は生憎この騒ぎである。
 状況が落ち着くまで老魔との接触は叶わないため、待機するようにと個室を与えられたのだが……、これがとにかく豪勢なものであった。
 古びた小屋や地下室で暮らす生活が長く続いたせいもあって、必要以上に広く煌びやかな装飾に囲まれた個室の雰囲気はどうも落ちつかない。
 とは言え文句を言うわけにもいかず、だったらせめてこの贅の極みをぎこちないなりに堪能してやるかとテーブルに置かれた果物に手を伸ばした、その時だった。

「あ、おねーちゃん見て見て!! 要塞山で信号が上がってるよ!!」
「信号……、まさか……!!」

 慌てて窓に駆け寄る姉淫魔。その目に映ったのは、要塞山の頂上で打ち上げられた赤い魔力の閃光であった。

「いよいよ来たわね、熾天使マヤ……!!」

 直後、山頂は直視できないほどの閃光に包まれ、強烈な地響きが魔宮を揺るがした。



「支援部隊はその場で待機!! 前衛は総員私に続け!! 敵が立て直す前に山頂を確保するぞ!!」

 ミアの号令の下、燃え盛る要塞山の山頂に天使たちが滑空してゆく。
 熾天使マヤの放った横一線の熱波は要塞山山頂のほぼ半分を焼き払い、一帯を埋め尽くしていた魔物と弩砲を根こそぎに粉砕した。
 熱波が直撃し抉れた山肌を見て、マヤは小さく舌打ちする。

「どこもかしこも上級石ばかり……、全く、嫌になってくるね」
「確かな情報はありませんでしたが、やはり要塞山にも埋め込んでましたか。地獄の大門がそうだったと考えれば妥当な話ではありますが」

 マヤと並び立つ秘書官シルヴィアも、上級魔晶石が露出する山肌を険しい表情で見降ろす。
 マヤの力にリミッターが掛けられている影響もあるが、要塞山の誇る防御力がかつての大戦時より飛躍的に向上しているのもまた事実で、神剣レヴァンテインの放った一撃は敵の防御を完全に崩壊させるには至らなかった。
 進攻に対峙する正面側の防御戦力はほぼ無力化したものの、この要塞山は山頂を越えた先にも数多の弩砲が設置されており、攻撃の届かない死角から天使らの前進を待ち構えているのである。
 熾天使の一撃で山頂ごと全てを吹き飛ばせればと淡い期待もあったが、それが叶わなかった以上は、山頂を確保し陣形を整え、二段階の攻勢で突破するしかない。

「……シルヴィ、身体の具合はどう?」
「おかげさまで、万全といっても過言ではありません。この恩は必ず、戦果でお返しします」

 地獄の大門で大技を放った反動により意識を失っていたシルヴィアは、要塞山襲撃の直前までマヤの腕に抱かれていた。
 ショコラ救出のため招集されてからというもの、皆が休息している間も単独で偵察任務に従事したりと一睡もせずに働き詰めていたこともあってか、余程に疲弊したのだろう。
 諜報部隊において浅く短い睡眠で休息する訓練を受けていたシルヴィアがあれほど深く眠るのを見るのは、付き合いの長いマヤでも初めてのことであった。

「マヤ様、ひとつお伺いしておきたいのですが……」
「うん、どうかした? シルヴィ」
「いえ、その……」

 少し口ごもってから辺りを見回したシルヴィアは、辺りに誰もいないことを念入りに確認してから、押し殺した声でマヤに問いかける。

「……私の寝顔、ミア様に見られましたか……?」

 恥ずかしそうに視線を逸らし頬を赤らめるシルヴィア。彼女はミアに対して妙なライバル心があるようで、緩んでいる姿は絶対に見せようとしないのである。

「大丈夫、見られてないよ。けど……マヤに見られるのはいいのかにゃー?」
「ま、マヤ様……!! 改めてそんなことを言われると……」
「すっごく気持ちよさそうに寝てたよ、シルヴィ。起きたかなー、って思ったら寝言言いながらまたすぐ寝ちゃうし……」
「ね、寝言……!? 寝言って……!!」
「マヤ様の腕の中が安心できるって、確かにそう言ってたにゃー」
「………ッッ!!」

 分かりやすく狼狽えるシルヴィアの横顔を、要塞山の頂上から打ち上げられた青い信号が照らす。

「さ、山頂の確保完了……!! 支援部隊、私に続いて!!」

 赤みが差していたシルヴィアの表情はすぐに指揮官としての凛々しい表情に様変わりし、後方支援の天使たちを連れて山頂へ滑空してゆく。

「ここからが正念場だね……。待っててショコラ、必ず助けるから……!!」

 そう小さく呟いたマヤは、シルヴィアの後を追って壊滅した山頂に急いだ。

***
「総員、警戒は怠るなよ!! 負傷者は掠り傷でも治癒を受けるんだ!! 奴らの武器には毒が塗られてる、甘く見てると取り返しがつかなくなるぞ!!」

 ミアの指揮する前衛部隊は生き残っていた敵戦力を掃討し、山頂の一角を完全に制圧していた。

「ミア、状況はどう?」

 その問い掛けに、彼女はあからさまな渋い顔をしてみせた。

「見ての通り、山頂を越えたら狙い撃ちの的だ。奴らの弩砲、上級石でできた鏃を飛ばしてきてる。精鋭の防御魔法でも耐えられるのは数発といったところだろう」

 やはりと言うべきか、敵もこの事態を想定していたのだろう。魔宮方面の守備隊らによる総攻撃が、山頂より先への進攻を阻む。

「……まったく、次から次へと本当に悪知恵の働く連中だね」

 所詮は悪知恵に過ぎない戦術だが、しかしこちらの欠点を的確に突いてきている。
 無視できない関門を設けて魔力を徹底的に消耗させてから、使い魔などの主戦力で一気に叩く作戦だろう。
 魔宮直属の妖魔たちには大天使に匹敵する力を持つ者も多くいる。魔力はできるだけ温存したいところではあるが……

「はてさて、この矢の雨をどう切り抜けるか。一筋縄では行かせてもらえんぞ」
「……もう一発、大技で焼き払うしかなさそうだね」
「それができれば苦労はないが、頼りの大技は今しがた使ったばかりだろう」
「ふっふっふ……、この私を誰だと思ってるにゃー」
「……さては、シルヴィアの戦いからヒントを得たな?」
「お、さすがの鋭さだね。こんなこともあろうかとレヴァンテインに魔力を溜めておいたんだけど、なかなかいい感じだよコレ」

 先の戦いでシルヴィアは、長年かけて蓄積した魔力を解放する形で強大な魔法を披露して見せた。
 彼女の持つ聖典は媒体として実在するものであるから、戦いの度に形成と消滅を繰り返すレヴァンテインで同じ芸当ができるわけではない。しかしそれでもある程度の魔力蓄積は可能なようで、先の一発はこれを用いて消耗をかなり軽減することができた。
「戦いの最中でハンデに適応していくとは、熾天使の名は伊達じゃないな」
「えっへん! と自慢したいところだけど、実際にはこれだけ試行錯誤しないと厳しいってのが現実なのかもね」
「ははっ、確かに。昔のマヤならそんな小細工など必要としなかっただろうな」

 魔力の一部を封印されて以来、全力で挑む作戦はこれが初めてだが……、スタミナの低下は思っていた以上に深刻なものであった。
 敵の戦術もこちらに最大限の消耗を強いている。緘口令が敷かれていたとはいえ、やはり熾天使の力が制限された件は魔界にも漏れ伝わっているようだ。
 魔力の残量も踏まえながら次の一手を打ち合わせるふたりの元に、前衛部隊の治療を終えたシルヴィアも合流する。

「総員の治癒が完了しました。今のところ重傷者はなし……、毒が回っていた数名を解毒の上で、一時的に後方支援へ編入しました」
「ん、ご苦労様。そしたらいよいよ魔宮の領域に突入だね。魔族の奴らに一泡吹かせてやろうじゃないか」
「マヤ様、ひとつ提案ですが……、山頂の向こうに待ち構える守備隊は私の魔導書で潰しましょう。あと一度なら大技も放てます。イレギュラーに備えてマヤ様の魔力は極力温存するべきです」
「へぇ……、確かに魔力が温存できるに越したことはないけど……、でも大丈夫なの、シルヴィ?」

 熾天使の大技を残せることは大きなメリットであったが、しかしシルヴィアの存在は魔宮突入時の地上戦でも欠かせないものであった。いくら大技を放てるとは言え、この重大な局面で戦闘不能になってしまうようでは元も子もない。

「マヤ様の心配も尤もですが、しかしご安心ください。魔導書の力を解放するのが初めてだった故に先の戦いでは魔力の調整を誤りましたが、今回は大丈夫です」

 シルヴィアの表情には絶対的な自信が伺えた。事実、彼女の魔力制御は熾天使であるマヤすらも凌駕する類い稀な才能である。
 ……とはいえ万が一にもシルヴィアが戦線から離脱することは避けねばならず、難しい選択を迫られるマヤ。その時だった。会話を聞いていたミアの口から意外な言葉が飛び出したのだ。

「シルヴィアが大丈夫と言うんだ、ここは彼女に任せたらどうだ、マヤ」

「ミ、ミア……、様……?」

「(ミアがシルヴィに助け舟出すなんて……、変なモノでも食べたのかにゃ……)」

「おい、どうしたふたりとも、素っ頓狂な顔して……」

 そう言われて顔を見合わせたマヤとシルヴィアは、互いの心中をすぐに察して思わず笑みを浮かべた。

「……ま、まさかミア様の口からそんなことを言われるなんて思いませんでしたから……、少し驚きました」
「そうなのか……? まあ確かに、私とシルヴィアは意見の食い違いもあるにはあるが……、しかしシルヴィアを信用してないわけではないからな」
「確かにミアの言う通りだね。仲間を信じられなければこの先は乗り切れない……、山頂の突破は任せるよ、シルヴィ」

 マヤの信頼に対して力強く頷き返すシルヴィア。
 そうと決まれば前進あるのみだ。ミアの号令により、辺りで警戒と小休憩をしていた天使らが迅速に隊列を整える。

「これより山頂を超えて魔宮の領域に進入する!! 各自二人一組で連携を取り互いの背中を守るんだ!! 片方が負傷したら速やかに後退し安全を確保しろ!!」
「はっ!!」
「この山頂を越えた先は使い魔のテリトリーだからね。今さら言うまでも無いとは思うけど、油断と深追いはくれぐれも厳禁だよ」

 念入りに警戒を促すマヤの様子に、一部の戦使は僅かながら不安げな表情を見せる。部隊の中には使い魔との交戦経験のない者も含まれているのだ。

「……では、使い魔については対症的な交戦に限定しますか?」
「うーん、退路での脅威は極力排除したいからね、チャンスがあれば積極的に交戦しても構わないよ」
「奴らはこちらの作戦通りに動いてくれるような甘い連中じゃないからな、その時々での判断が重要になる。こうするべき、という考えは捨てて最善を尽くしてくれ」
「うんうん、ミアはいいこと言うにゃー。ひとつ大事なのは、奴らは言葉で惑わしてくるからね。挑発には乗らない、口で言うほど簡単じゃないんだけど、各々で心しておくように」
「はっ!!」
「支援部隊の皆さんについては前衛の負傷者の救援をしつつ、損害や消耗は極力避けて下さい」
「魔宮到達後はマヤ様、並びにミア様が魔宮内部に突入し、ショコラ様を奪還します。その間、部隊の指揮は私が引き継ぎ、支援隊を中心に円陣防御を築いて城外で待機します」
「いいか前衛隊、支援隊の戦力が欠けると待機中の防御が厳しくなるからな、前衛三班は支援隊の直掩について、何があっても守り抜くんだ」
「お任せください、ミア様!!」
「……それじゃ、いよいよだな。頼むぞマヤ……、マヤ?」
「ん……、あぁ、説明ありがとう、ミア、シルヴィ」
「そんなの礼には及ばんが……、とにかく頼むぞ。ここにいる皆、マヤを信じてここまで来たんだ」 

 この先に待つのは恐らく、今まで超えてきた難所さえ霞むほどの困難であろう。最善を尽くしても犠牲が伴う可能性は否めない。
 しかしそれでも、列を成す戦使たちに不安を滲ませる者は一人としていなかった。皆が力強い眼差しで、マヤからの指示を待っている。

「みんな、準備はいいね……!! シルヴィアの攻撃を合図に総員突入!! 先陣を切るこの熾天使マヤが必ず皆を護って見せる!! だから決して怯まず、希望を棄てず、私の力を信じてついて来て!!」

 気迫の籠った皆の視線がマヤとシルヴィアに向けられる。戦いの火蓋をきることに慣れていないシルヴィアは、向けられる視線に恥ずかしさを隠せない様子であった。

「準備はいい、シルヴィ」
「え、ええ……。戦うことより、こうして注目を浴びることのほうがよっぽど緊張するものですね」
「……うーん、熾天使マヤの秘書ともあろう天使が、アガリ症なのはちょっと困るにゃ。克服するためにも、今後はミアに代わって部隊の指揮を……」
「な、なにを言ってるんですか……!! 早く行きますよマヤ様!! 無駄にできる時間は一秒たりとも無いんですから!!」

 慌てて飛翔するシルヴィアにマヤも続く。
 こんなほのぼのとしたやり取りを、できることならずっと続けていたいものだが……、現実は厳しい。
 敵の一部は山頂を越えてこちらを包囲しようと試みている。速やかにこの場を離れねば、じきに四方八方から矢が降り注ぐ最悪の状況に陥るだろう。

「支援一班、シルヴィアの護衛につけ!! シルヴィアが魔法を放つまで、防御魔法で集中砲火から護るんだ!!」

 ミアの号令ですぐさま四人の戦使たちが飛翔し、先陣を切るシルヴィアの直掩につく。他の部隊もすぐさま後に続けるように光の翼を広げて待機した。
 シルヴィアを囲う様に厳重な防御魔法が展開され、全ての準備が完了する。

「いくよ、みんな!!」

 マヤの掛け声に続きシルヴィアと直掩の天使たちが山頂から飛び出すと、それはたちまち集中砲火の的と化した。
 煌々と輝く炎の翼で敵の弩砲の照準を引き受けるマヤの隣で、四人の天使に守られながらシルヴィアが魔法を詠唱する。
 魔導書が強烈な光を放ち、間もなく魔法が放たれようとした、その時だった。

「……待って、シルヴィ!!」

 突然の指令に僅かに戸惑いながらも、しかしマヤの側近として命令順守をその身に叩きこんでいるシルヴィアはすぐさま魔法の詠唱を中断した。

「ここは私がやる。下がって!!」

 そう言い残し、重力に逆らう雨の如く降り注ぐ矢を素早く躱しながら、一気に高度上げるマヤ。
 その間に神剣へ魔力を装填し、そして限界高度まで達した所で、眼下の軍勢に極大の一撃を叩きつけた。
 炸裂する熱波、地を揺らす轟音、それに続いて天使たちが次々と山頂から飛び立つ。

(………ッッ!! こんなんじゃシルヴィのことを心配してる場合じゃないね……)

 全身を襲う脱力感になんとか耐えながら、マヤもすぐさま滑空して部隊の先頭に復帰する。

「な、何があったんだマヤ……!! 急に作戦を変更するなんてらしくもない……!!」

 この重大局面での唐突な作戦変更に、問い質すミアの語気もいささか強くなっていた。
 シルヴィアも口にはしないが、同じ疑問を抱いていることは不安げな視線が物語っている。
 広大な城下街を見回しながら、マヤは口を開いた。

「あいつらが……、使い魔が一匹も飛んでない……」
「使い魔? 確かに見たところそれらしい姿は無いが……」
「あいつらは天使に対抗するために翼を与えられた混血種……、それを上空に展開してないなんて、不自然だと思わない?」
「……確かに不自然ではあるが、魔宮に誘い込んで総力戦に持ち込むために、わざと引っ込めてる可能性も十分にあるだろう」
「もちろんその可能性だってある……、でも、何かもっと違う、嫌な予感がするんだ」

 マヤの心中にあるひとつの不安……、それは最悪の展開であるが、しかし起こり得ないとは決して言えないひとつの可能性であった。
 その最悪を否定するために魔族が考えうる様々な策略を考察したが、どう考察しても飛行能力を持つ使い魔を上空に展開しない点への納得がつかない。
 今までの戦いからしても、敵はこちらに消耗を強いるためあらゆる戦力を用いて波状攻撃を仕掛けてきた。決戦に備えた過剰な温存はこれまでの戦術とも矛盾している。

「ここから先は彼我ともに精鋭を寄せ集めた力と力のぶつかり合い、この大天使ミアの最も得意とする戦場だ! 奴らが何を企んでようが、このレイピアで有無も言わさず切り伏せてくれる!!」
「お言葉ですがミア様、ミア様の力を疑うつもりは一切ありませんが、敵の力を侮ることは自滅への一歩です」
「……ッッ!! わ、私は別に、侮っているわけでは……!!」
「……それで、私たちはどのように動けばよろしいのですか、マヤ様」
「うん、不安要素を過度に恐れれば見す見すチャンスを逃すことになる……。だから魔宮への襲撃はこのまま敢行する。ただし」

 語尾を大きく強調してからふたりに目配せをして、強い口調でマヤは続ける。

「私の指示には必ず従って。確実に、迅速に……、一瞬でも判断を誤れば、抜け出せないほど深く敵の罠にかかることになる」

 最強の天使が窺わせる不安の色に、勇猛果敢な大天使も薄気味の悪い予感を感じざるを得なかった。
 要塞山を壊滅させ、ショコラの奪還まであと一歩のところまで迫っている。しかしながら、まだ何一つとして気を許していい状況ではないのだ。

***

「前方に城壁!! 弩砲を複数確認!!」
「まずい、ゴーレムもいるぞ!! 総員散開し回避行動を取れ!!」

 魔宮の領域に広がる広大な城下街には弩砲や要塞魔獣といった脅威が数多潜んでいたが、平地であるが故に上空からの見通しが利く上に機動戦に持ち込みやすいのも相俟って、戦使たちにとっては戦いやすいフィールドでもあった。

「槍撃隊、ゴーレムを潰すよ!! 奴に背後を狙われたら何かと厄介だ!!」
「了解!! 高度は十分にある、急降下で叩くよ!!」

 飛び交う矢と投石を潜り抜けてゴーレムの頭上に達した槍撃隊は、宙返りから降下軌道に入ると、急降下の加速を乗せて光の槍を投げ放つ。
 目にも止まらぬ速さで降り注ぐ三本の槍はまるで閃光の如くゴーレムの巨体を貫き、岩で構築された頑強な巨体を一瞬にして瓦礫の山へと変貌させた。

「隊長、十二時の方向、その先更に二時の方向に続けてゴーレムを確認!!」
「了解!! 槍撃隊ばかりに手柄は取らせません!! 弓撃隊、今こそ我々の実力を見せつけましょう!!」
「はっ!!」

 二手に分かれた隊列は、一方が光の翼をひときわ輝かせて敵の照準を引き付けると、その間にもう一方が光の弓矢を構える。

「狙い、放て!!!」

 放たれた矢が寸分の狂いもなく射抜いたのは、ゴーレムの眼球であった。

「オオオオオオ!!!」

 視界を失い暴走状態に陥ったゴーレムは、周囲の弩砲を見境なく破壊し、そこにあるものは瓦礫でもオークでも手あたり次第に投げ飛ばした。
 頑強な巨体が持つ直径わずか十数センチの弱点、それを射抜くのはまさに離れ業にも思えるが、その実、敵が巨大になるほどその動きは緩慢となり、狙いを定める猶予さえ与えられれば後は射的も同然である。
 要塞と違い、城下街の防御戦力は広範囲に散らばって配備されているのも、天使にとっては戦いやすい要因であった。
 次々に戦果を挙げて快進撃を繰り広げる精鋭たちの奮闘を見ながら、しかし熾天使マヤの表情は浮かない。
 もちろん、作戦が順調に進むのは願っても無いことだ。しかし敵の切り札が不在の状況で一方的に駒を進める状況は自ら罠に掛かりに行くような不気味さもあり、なんとも落ち着かないものであった。

「地上の敵に気を取られるなよ!! 高度は常に一定以上を保つんだ!! 使い魔の奴らが上空から奇襲してくる可能性も十分にある。上方の警戒は決して怠るな!!」
「……マヤ様、ミア様、あれは……!?」

 警戒していたシルヴィアが前方数㎞先に発見したのは……、狼煙だろうか? 城下街の至る所から黒煙が立ち上っているように見える。

「ちぃ……、今度は何を仕掛けてくる……?」
「……この臭い、シビレソウを燃やしてるみたいだね」
「ですが……、シビレソウは煎じて用いる毒草のはず。燃やしてしまえば毒性は大幅に損なわれます」
「少しでも効果があればいいと悪足掻きしてるか、それとも別の狙いがあるか……、いずれにしても極力吸い込まないに越したことはないな」

 ミアが警戒の号令をかけた頃には、刺激臭を放つ狼煙が目前に迫っていた。
 地上ではオークやゴブリンが小屋を取り壊し、かき集めた建材を燃え盛る炎の中へと次々に投げ込んでいる。
 狼煙は至る所で上げられ、立ち上る黒煙が視界を遮るほどであった。しかし火を起こす近くで煙に巻かれながら無防備に作業してるゴブリンらの姿を見る限り、煙に大した毒性は無いとみるのが妥当だろう。
 当然、その程度の妨害で精鋭らの快進撃が止まるはずもなく、黒煙を突き抜けて広がった視界には魔宮の姿が鮮明に映し出された。

「みんな、いよいよだよ!!」
「油断は禁物ね。何があるかわからないわ、気を抜かずに行きましょ!!」

 口々に言葉を掛け合い、互いを鼓舞する戦使たち。しかし……

「マヤのいう通り、ここまで順調だと却って小気味悪いな……」
「……待ってください!! 何か来ます、後方から……!!」

 シルヴィアの探知能力が察知した時には、脅威は既に隊列のすぐ後方まで迫っていた。




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