人間がおいそれとは足を踏み込めぬ、危険な山々に囲まれた盆地。
 そこに鬼の棲み処があった。
 
 棲み処?
 堅牢な事務所、カマボコ型の屋根を構えた兵舎、サーチライトを備えた監視塔、航空機や地上兵器が眠る格納庫……現代的な設備を目にすれば、「棲み処」という表現が正しくないことがわかる。そこは、高い攻撃および防衛能力を有した軍事基地であった。

 分厚い雲が月を覆っているが、敷地内には背の高い照明灯が等間隔に設置されており、真昼のように明るい。また夜の静けさは、エンジン音や誘導の声が破った。何台もの輸送用トラックが飛行場と格納庫の間を行ったり来たりし、額から角を生やした兵士たちが木箱を積み下ろしている。

 木箱の中身は、近接武器や銃器、弾薬、医薬品。兵器用の砲弾まで揃っている。戦争でも起こすかのような量だった。

「本当に金はいらぬのか?」

 搬入の様子を司令部の窓から見下ろすのは、軍服を着た少女だ。
 兵士たちと同様、額に立派な角が生えている。仏頂面を作る肌は、血を吸ったかのように紅い。

「えぇ、ようざんす。これも、鬼の将軍さまへの御奉公でありんす」

 艶のある声で答えた唇も、鮮血を塗りつけたかのようだった。
 執務室の来客用のソファに、狐の耳を生やした妖艶な女が座っている。花を散らした派手な着物からは、雪の如く白い手足と、金色に輝く9本の尻尾が伸びていた。

 狐女の背後では、従者らしき少女が腕を組んで壁に寄りかかっている。紫色に染められたショートヘアーより突き出た耳は、主人のものと似ているが、タクティカルジャケットの後ろで小さく折り畳まれているのは羽だった。鳥類と勘違いされる、空飛ぶネズミ――コウモリだ。

「信じられんな。貴様らは、揺り籠から棺桶まで扱うと聞く。だが、その中に無料奉仕という品はなかったはずだぞ」

 ポニーテールを振って反転した将軍の蒼き瞳は、幼い顔立ちに似合わぬ威圧感を発していた。妖怪の世界では、外見はあまり意味がない。基地の誰よりも年長者だと聞いても、誰も驚かないのが世の理だ。

「あとから途方もない金額が記された請求書を渡されてもな。金を払えなかった者は、命を取り立てる――そうであろう?」
 
 将軍はそう言ってデスクへ移動し、椅子に腰を落ち着けた。見た目は軽そうだというのに、座面や脚がギイギイと悲鳴を上げる。

「かなわんどすなぁ。まるで、わっちらを金の亡者みたいに言いなすって。こーんなカワイイ御キツネさんに害があるとお思いどすか?」

 皮肉に対して、狐女は笑顔で応じた。ただし顔こそ笑っているが、両目は糸杉のようで瞳が窺えず、そこにどんな感情が宿っているのかわからない。
 将軍の方はニコリともしなかった。狐女は降参したかのように両手を挙げる。

「じつをいいますと、わっちらは仲介人なんす。将軍さまの〝活動〟にえろう感動したお人がおりなんして、お代はその方から貰っとるんどす」

 後援者の仲介人は、説明しながら右手の扇子を開いたり閉じたりした。

「ほう、誰だ?」

 将軍は片方の眉を上げて興味を示す。
 戦争を始められる量の物資を提供できる組織はそう居ない。まして「人間を絶滅させる」という危険な思想の持ち主を支援するところは……。

「それは言わねえ約束がございんす。そのお人は、お顔やお名前を売るつもりはありんせん。ただただ、尊敬しとる将軍さまを支援したいと……。はて、そないな方をなんて言いんしたか……ぱーぷりん?」

 閉じた扇子の先端を唇に当てて、狐女が首を傾げた。

「……それじゃバカだよ、バカご主人」

 コウモリの少女が口を開く。陰気な雰囲気に相応しい、暗く沈んだ声だった。

「パトロンか」

 バカを見る目をした将軍が先に正解を口にした。

「えぇ、そうどす、そうどす。みさいるらんちゃあ、じぇっとはんまあ、ゆうえいぶい、なんちゃられいだあ……最近の品は、難しい横文字が多くて参るでありんす。昔は――」

 楕円形の眉をしかめた狐女は、やれ部下たちが自分をナメている、やれ燃料費が高いだなどと、苦労話を始める。

 将軍はまともに聞いておらず、突然やってきた商人を改めて見定めた。タダより怖いものはあらず――それは妖怪の世界でも同じだった。だからといって、強情を張れるほど余裕があるわけでもない。
 
「まぁ、よかろう。やると言ったものを突き返すのも悪い。礼を伝えておけ」

 しばらく考えたのち、基地のリーダーは鷹揚に頷く。

「あい、たしかに。どうか、機構や人間に虐げられた妖怪たちの無念を晴らしておくんなんし」

 狐女は膝に両手を置き、恭しく頭を垂れた。その後ろでコウモリ少女が大きな欠伸をし、眠たげな目を壁の時計にやる。

 機構とは、人類側の軍事機関のことだ。多くの兵士と兵器を抱え、悪の手からコロニーを守るべく戦う。生物として人間よりも圧倒的に優れている妖怪にとって、人類の軍隊など障害にはなりえない。ならば、なぜ悪は栄えないのだ?

 ――問題なのは、機構が雇う〝正義の味方〟にあった。

「言われるまでもない。これを契機に、他の地方の臆病者どもも重い腰を上げるだろう。総統閣下も認めてくれるはずだ。ところで――」

 将軍の瞳が鋭さを増した。

「機構といえば、貴様らは人間とまで取引していると耳にしたが……それは真なのか?」

 革手袋をはめた右手の人差し指が、金にがめつい商人へ突き出される。軍服から放射された威圧感に、部屋の調度品が怯えるように震えた。
 物理的な圧力を真正面から受けても、狐女は顔色ひとつ変えない。口元を開いた扇子で隠し、「ほほほっ♥」と妖艶に笑う。

「いえいえ、まさか。畏れながら、それは将軍様の勘違いでありんす。いくら、わっちらでも怨敵と手を取るなんて、とても、とても……」

 将軍は狐女としばし視線を交わし合った。
 古来より人間を騙す種族の顔から、鬼の瞳は何を見い出したものやら。

「……まぁ、よかろう」

 むっつりとした顔でなされた容認は、先のと異なり、あまり良さそうには聞こえなかった。将軍はデスクの引き出しから葉巻を取り出し、それを口に咥えると、自分の胸や腰をぺたぺたと触って何かを探し始めた。

 コウモリ少女の大きな耳がピクリと動いたのは、その時だ。彼女は壁から背中を剥がし、主人に耳打ちした。
 それまで閉ざしていた糸のような目が軽く開き、黄金の瞳が露わになる。
 歓喜と嗜虐――不吉なものが、そこに在った。

 窓で切り取られた基地の光景が、眩い光で漂白される。
 コンマ数秒後、鼓膜を破りかねない轟音がすべてを揺るがし、爆発の波動があらゆるものを打ち据えた。執務室の窓が砕け散り、本棚や置物が横倒しになる。

 衝撃波を受けてデスクに突っ伏した将軍は、すぐに立ち上がって窓へ振り返った。
 基地は火炎地獄と化していた。兵舎や倉庫を赤々と染める炎の舌が夜空を舐め、黒煙が闇に溶けていく。 あちこちで罵声と悲鳴が上がり、兵士たちを押しのけて混迷が占拠した。

「報告しろ! これは、いったい何事だ!?」

 地獄を視界に収めたまま、将軍は壁にある受話器を取って怒鳴った。相手の返答はどのようなものだったのか、彼女は忌々しげに唸る。

「ふざけおって! 兵を集めろ! ネズミを生きて返すな!」

 そう命じると、叩きつけるように受話器を戻した。

「おい、商人ども。ここは危険だ。すぐに――」

 それから後ろを振り返って、言葉を失くしてしまう。

 狐女とコウモリ少女が忽然と消えていた。
 ひらりひらりと宙で踊る、1枚の木の葉を残して。



 火の手の侵略が盛んなのは中央の区画で、南西エリアはまだ鬼の支配下にあった。武器や消火器を手にした兵士たちが右往左往している。
 どこかでまた爆発が起きた。
 電力供給に不備が生じたのか、闇を暴く照明灯が無秩序に点滅する。

 世界が暗黒に覆われたとき、鋭く白い光が走り、大柄な影が切り裂かれた。
 それに続くは、男の断末魔と紅い血潮。

 そして世界に光が戻ったとき、2人の美しき少女が忽然と現れる。
 和と洋を融合した華麗なる装束――退魔スーツに身を包み、純白と漆黒の長手袋をはめた手には太刀と小太刀が握られていた。

 桜姫と火翠。
 魔を討ち、人類を守る正義の味方――退魔忍である。

 あまりの美貌に、鬼の兵士たちは彼女らの足元に転がる同胞を忘れ、心を奪われてしまった。天使がこの世に存在するのなら、きっとこのような姿をしているのだろう。天使は天使でも、死の天使だが。

 冥土の使いが地を蹴り、銀光を伴って兵士たちに肉薄した。
 
 間合いを詰める速度はほとんど変わらないが、先に到達したのはリーチの長い太刀だ。疾風が呆然としていた1体の肩に食い込み、防弾ベストを引き裂いて脇腹から抜ける。桜色の髪と衣装が旋回し、回転する刃が隣にいた兵士の胴を両断した。

 2体の上半身が地面に向かってズレていくなか、桜姫は身体を捻り、別の1体も半分にする。銀色の嵐はそこで止まらず、一層勢いを増して兵士の群れへ飛び込んだ。これに巻き込まれた者は、ことごとく手足や胴と別れを告げ、真紅の間欠泉が噴き出す。

 名前と同じ色をした桜の瞳は、血のカーテン越しにアサルトライフルの銃口が瞬くのを認めた。太刀を握った両手が霞み、桜姫の周囲で火花がいくつも弾ける。彼女の斜め後ろにいた兵士の額に小さな穴が空き、そいつは後頭部から脳漿を撒き散らして倒れた。音速の弾丸が反らされたのだと、銃を連射した鬼が気づいたのは、己の首を刎ねられたあとだ。

 首無しの死体を蹴りつけた桜姫は、太刀を右手だけで握り、ショットガンを構えた鬼へ突きを放つ。切っ先が心臓を破るやいなや、桜姫は右腕を振り回した。尋常ではない膂力によって100キログラムを超える肉塊が軽々と連行され、退魔忍の背後より飛来した銃弾を代わりに受ける。

 着弾で小刻みに痙攣する肉の盾の裏にて、桜姫が左手を閃かした。回転する煌めきが弧を描き、銃撃を重ねる兵士たちの首を掻っ捌く。銃を落して首元を両手で押さえる鬼たちは、天へ昇っていく手裏剣が見えただろうか。

 忍具が飛んでいった夜空が、爆炎の光で煌々と照らされる。
 兵士たちが炎に巻かれ、歩く巨大なマッチ棒となって動き回った。悲鳴はない。声帯も焼かれたからだ。

 鋼の雨が降り注ぎ、彼らに速やかな死を与えた。これまでの悪事を思えば、慈悲深いと言えるだろう。クナイの後を追って着地した少女の髪は、周囲で燃え盛る炎よりも明るかった。施設や土嚢の影から増援が現れ、小柄な身体を取り囲む。

「ほんとウジャウジャいやがんな。ゴキブリか、テメェらは」

 野生的な笑みを浮かべる火翠の口調は、見た目通り粗暴であった。

 この生意気な少女を叩き潰さんと、増援の1体が棍棒を振り下ろした。
 地面の染みになる威力を有しているが、退魔忍からすると、その速度は亀の如し。炎を思わす退魔スーツが消え、次に像を結んだときは、兵士の側面へ回り込んでいる。銃弾を凌駕する速さで突き出された小太刀が、防弾ベストの脇から心臓を抉った。

 少女の傍にいた兵士が大斧を振るい、仲間ごと華奢な身体を断とうとするも、やはり遅すぎる。大木すら両断する一撃は、こと切れた同胞と跳躍したロングブーツの足元を薙ぐのに留まった。

 宙を舞う火翠は重力に身を任せ、目下の兵士の顔へ肘を叩き込む。体重と加速度を乗算した肘打ちが、鬼の頑丈な歯をまとめてへし折った。顔を押さえて苦しむそいつの膝を足場に、退魔忍は再び空へ飛び立ち、クナイを投げつける。黒く鋭き雨が、今まさに銃の引き金を引こうとした兵士たち――彼らの目を、額を、口腔を貫いた。

 雨に打たれた兵士たちがバタバタと倒れるのを尻目に、火翠は新たな獲物に飛び掛かる。相棒の桜姫へサーベルで切りかかろうとした兵士は、頭頂部から脳を小太刀で串刺しにされた。

 火翠は小太刀を引き抜きつつ着地し、低い姿勢になって右脚を払う。死角から迫る兵士がすっ転び、すかさず桜姫が太刀を突き降ろして仕留めた。

 桜姫と火翠の空いた手が残像になったのは同時。
 手裏剣とクナイが風になり、お互いの背後にいた兵士の命を吹き消す。

 火翠が身体を起こすより速く、桜姫は手近にいた鬼の首を撫で切り、地面と平行になるぐらい上半身を前傾させた。その背を火翠が横転して跳び越え、蹴りとクナイを放つ。ロングブーツは桜姫へ奇襲をかける兵士を蹴っ飛ばし、クナイは少女らを狙っていた射撃手たちの顔面を射抜いた。

 地に足付けた火翠の傍らを、桜姫の太刀が通過する。
 大きな火花が生まれ、尾を曳く銃声が遅れて響き渡った。

 監視塔のひとつから狙撃を行ったスナイパーは我が目を疑う。300メートルも離れた距離で、いったいどうやって察知したというのか。彼の疑問は、火球が矢のように飛んできたことにより、監視塔とともに爆ぜ消えた。

 退魔忍の少女たちの間に、言葉も合図もない。一挙手一投足、パートナーのすべてを把握しているゆえのコンビネーションであった。人の形をした2つの災害が、魔の兵士たちを蹂躙していく。

「ば、化け物だっ!?」

 化け物の鬼がそう叫んで怯えるのも無理はなかろう。
 たった2人に一撃だって与えられないのだから。

「後退だっ! 後退しろっ!」

 敵わぬとみた兵士たちは、銃弾をばら撒きつつ退却を開始する。

 それとは逆方向の通りから、濛々たる白煙が流れ込んだ。
 白い帳の中で、赤い光点がいくつも並ぶ。マスクと赤外線ゴーグルを装着した兵士たちだった。退魔忍の活躍を目にしてなお立ち向かおうとするあたり、逃走した奴らより骨がありそうだ。

 これに加え、土嚢を轢き潰しながら戦車まで現れる。その数、6両。
 砲塔が回転し、退魔忍たちへ狙いをつけた。爆発反応装甲やアクティブ防護システムといった装備を持たない旧式タイプだが、それでも戦車は戦車だ。普通の人間なら真正面から戦おうとは思わない。

「んだよ、ボスがいねぇな」

 普通ではない火翠が、小太刀より鋭い目で敵の群れを睥睨する。

 戦車が躊躇なく砲弾を発射し、兵士たちの小銃が続いて、観客の鼓膜を破るオーケストラを結成した。雨霰の鉛がその場に存在するものを粉砕し、吹き飛ばす。粉々になって舞う土や砂の中に、少女たちの姿はなかった。

「この棺桶のどれかに隠れてやがんのか?」

 うんざりした声が兵士たちの頭上で放たれ、鮮血よりも赤き光が彼らを同じ色に染める。
 ひと抱えもある火球が、先頭にいた戦車へ撃ち込まれた。それは鋼鉄の装甲を溶かして内部へ侵入し、車体が膨らんだように見えたのも束の間、爆炎とともに破裂する。周囲の兵士の何体かが巻き添えになり、火葬の参加者となった。

 自由落下へ入る火翠に向かって、別の戦車の砲塔が追尾する。
 それが火を噴く前に、美しい銀弧が走った。長い砲身が半ばで切断され、鮮やかな断面を晒す。

「どうやろ?」

 斬撃と等しく、応じた声もまた美しい。
 車体の上部に取りついた桜姫は、ハッチから上半身を出していた車長の首を斬り落とした。その横では、火翠が他の戦車の砲塔に着地している。閉じていたハッチを蹴り開けると、掌から火炎を放射して乗務員を焼き殺した。

「北東に飛行場があったやん? 飛んで逃げるつもりかもしれへんね」

 砲台まで登ってきた兵士と斬り結びつつ、桜姫は言った。戦場の真っ只中にしては、随分とのんびりとした態度である。この程度では戦いにもならないというのか。

「んじゃ、そいつはオレに任しとけ」

 火翠は宙返りして戦車から飛び降り、「後でな」と相棒に言い置いた。こちらも散歩に行くかのような口ぶりだ。

 そうして爆音と鬼たちの罵声を置き去りにし、火翠は基地を駆け抜けるのだった。



 桜姫の読み通り、飛行場では輸送機が離陸の準備を整えていた。
 ずんぐりしたボディに羽を生やした姿は、太り過ぎた鳥を連想させる。エンジンには火が入れられ、4機が格納庫の前で待機し、いま1機が飛び立とうとした。

 退魔忍から逃げた兵士たちは、輸送機を目にして安堵の表情を浮かべる。

「どこに行くつもりだ、外道ども」

 だが、死神の声を聞いて顔を強張らせた。

 扇状に広がった紅蓮の炎が、兵士たちの絶望を丸のみにする。
 さらに無数の炎弾が飛行場へ連続して叩き込まれ、輸送機と炭化した肉体が爆裂の花々に埋もれた。

 正義の怒りが籠められた弾丸は、離陸した輸送機へも疾駆し、右エンジンを正確に撃ち抜く。片側の翼をもぎ取られた巨鳥は、煙と炎の尾を曳きながら高度を落し、頭から地面に激突した。機首がアルミ缶のようにぐしゃりと潰れたのと同時に、墜落の衝撃で破損した左エンジンが爆発する。

 滑走路を席巻した爆風は、遠目で眺める火翠の方まで吹き荒み、スカートやリボンを激しくはためかせた。燃え盛る格納庫を背景にして、仁王立ちした正義の味方の姿には、炎の女神をイメージさせた。

「フライト・プランになんて書いてあるのか知らねぇが、テメェらの行き先は地獄だぜ。いい旅をな」

 それも口を開けば、やんちゃな〝少年〟に変わってしまう。黒焦げになる機体に向かって、火翠がふざけた調子で敬礼を贈った。

「おのれ、女狐。何が支援だ。我らをたばかりおって……!」

 軋んだ少女の声が黒煙に乗って流れる。
 火翠は顔に緊張を走らせて、声のした方向へ身体を翻した。漆黒のヴェールを破り、軍用コートを羽織った鬼の将軍が現れる。蒼い瞳と右手に携えられたサーベルが炯々と輝いていた。

 目当ての獲物を見つけた火翠は、ニィと唇を吊り上げる。
 両者の間合いは10メートルもなく、退魔忍と鬼にとっては無いに等しい。
 
「よぉ、乗り遅れちまったのか? けど、安心しな。次の便のご用意があるぜ、お客様」

 地獄行き特急便のアテンダントが、鞘に納めていた〝チケット〟を右手で引き抜く。
 
「下等な猿め。よくも我が同胞に手をかけたな」

 怒りの声には、周囲の炎に負けぬ熱があった。

「その罪、貴様の命で贖ってもらうぞ」

 ゆっくりと持ち上げられたサーベルの切っ先が、退魔忍の心臓を指し示す。鬼の兵士たちを統べるだけあって、プレッシャーが段違いだ。まさに鬼気である。

「そっくりそのまま返してやるよ。鬼の種族が星の支配者だとかいう、テメェの誇大妄想に巻き込まれて、どれだけの人間が苦しんだかわかってんのか?」

 これを火翠は鼻で笑い飛ばした。

「軍隊ごっこも今日までだ。フライトの時間だぜ」

 それから腰を落し、顔の横で寝かせた小太刀の柄頭に掌を宛がう。退魔スーツから滲み出る殺気が、炎を反射する刀身へと伝わっていった。
 将軍が生真面目に頷き返す。
 
「そうだな。ヒーローごっこの続きは――」

 正義の味方と悪鬼の膝が、弓の弦を引くかのように撓み、

「あの世でやれっ!」

 両者は矢となって走った。

 小太刀とサーベルが刹那の時間で殺戮圏内に到達し、交差して噛み合う。大きな火花が散り、少女たちの瞳を煌めかせた。それが収まらぬうちに二撃目が放たれ、再び十字を形作る。

 火翠は受け止められた得物を手離し、身を横に捌きながら逆手でキャッチした。斜めに振り下ろされたサーベルをすり抜け、小太刀が将軍の首筋に向かって薙がれる。

 将軍は頭を後ろに引いてそれを避け、右脚を跳ね上げさせた。ミリタリーブーツのつま先が、退魔スーツのスカートの下へと吸い込まれる。鬼の脚力だ。男性でなくとも恥骨や内臓がグチャグチャになり、命を落としかねない。

 火翠は既に上へ逃げていた。鳥の如く将軍の脛に留まり、相手のキックの威力を活かして、さらに上空へと昇る。小太刀を持っていない方の手が閃き、数本のクナイを降らせた。夜気を穿つ黒い雨は、サーベルの旋風に取り込まれて砕ける。

 重力に引かれる火翠を待たず、将軍が跳躍した。2条の銀光が空中でぶつかり合い、互いを大きく反発させる。少女たちが着地し、相手に向かって突進したのは、ほぼ同時。間合いに入る直前、火翠は両膝を突き、将軍はサーベルを横薙ぎにした。

 火翠は上半身を反らした体勢で地面を滑り、鋼の円弧を鼻先すれすれでやり過ごしながら将軍の脇を通り抜ける。すれ違いざまに放った斬撃は、片脚へ喰らいつこうとしたところで、地面に突き立てられたサーベルに防がれた。

 反転した火翠は片手で素早く印を結ぶ。
 その手が赤く輝き、野球ボールサイズの炎が至近距離で撃ち出された。

 直撃の間際、軍用コートが独楽のようにスピンし、胸部に命中するはずだった炎弾はその勢いで弾き飛ばされる。将軍は旋回しつつ火の付いたコートを脱ぎ、そのまま火翠に投げつけた。

 火翠の視界が黒とオレンジに覆われる。
 空気を貫く音が聞こえ――コートの生地からサーベルの切っ先が飛び出した。超人的な反射神経を備えた退魔忍は、これに反応して見せる。必殺の一撃を首を傾けただけで回避し、間髪入れずに小太刀を乱舞させた。

 光の筋が縦横無尽に駆け巡り、両者の間に渡る漆黒の覆いを八つ裂きにして、将軍にも牙を剥く。乱れ踊る白刃に応戦するのは、同じ刃の狂乱だ。2つの竜巻が激突し、無数の火花が咲き誇った。それも刃に切り刻まれ、儚く散って消える。

 常人には互角に見えるが、スピードは火翠の方が上だった。長手袋に包まれた腕が見えなくなるほど加速し、機関銃もかくやという連撃を浴びせる。将軍は次第に押されていき、頬や肩口が浅く切られ、軍服のあちこちに引っ掻き傷ができた。

 おまけに、素材と鍛冶師がともに一級品の小太刀に対して、サーベルは一般的な品だった。その2つが衝突し続ければ、どのような結果になるか。

 甲高い音を立て、サーベルの刀身が半分にへし折れた。
 火翠はニヤリと笑い、待ってましたとばかりに渾身の突きを繰り出す。

 将軍も〝知って〟いた。折れた瞬間、サーベルを捨てて飛び退る。心臓へ目掛けて迸った小太刀は、軍服に小さな穴を空けるだけだ。

 後退する将軍は両腕を交差させ、腋に吊るしたホルスターから2丁の自動拳銃を抜き出した。大口径の銃口が怒号を上げ、これまた大型の弾丸を連続して吐き出す。

 どこに当たっても、ただでは済まない。
 しかし、火翠は臆することなく真正面から突っ込んだ。小太刀を鞘に収め、両腕を狂ったように振り回す。銃弾とクナイの群れが交わり、けたたましい金属音を響かせた。何発かが弾幕を抜けてきたが、火翠は上体を左右に捌いて躱す。一方、火線を見送ったクナイは、将軍に新たな裂傷を与えた。
 
 追う者と追われる者の激しい撃ち合いは、被害を受けていない格納庫まで続く。
 人ひとり分ぐらい開いたゲートの隙間に将軍が飛び込み、次いで火翠が小太刀を引き抜きながら入った。
 
 敵の姿を求めた退魔忍の顔が、ふっと蔭る。
 木箱を両手で持ち上げた将軍が飛び掛かり、両腕を急降下させた。火翠は退かずに前方へ加速する。巨大な質量が退魔スーツの残影を叩き潰し、格納庫の床を陥没させた。木箱は微塵に砕け、木片と内容物を辺りにばら撒く。

 多種多様な武器が舞うなか、火翠は将軍へ向き直る過程で回し蹴りを放った。空中にあったショートスピアがロングブーツに蹴っ飛ばされ、弩弓砲の太矢に変じて疾走する。

 その時、将軍はハンマーを掴んでいた。奇妙な形状だ。打撃部の片側に、外へ向かって直径が大きくなっていくノズルを備えている。将軍はそれを掴むや、勢いよくぶん回した。いまだ滞空状態にある武器や木片を薙ぎ払い、飛んできたショートスピアも彼方へ追いやる。

 そこへ、前傾姿勢になった火翠が第2矢とばかりに急襲した。将軍はハンマーを振り切っている。防ぐ時間はない。できたことと言えば、手の中で柄を捻り、ぐるりと打撃部を反転させたぐらいだ。

 ブブゥゥゥンッッッ!
 止めを刺そうとした退魔忍の耳が、自動二輪車を思わすエンジン音を捉えた。ノズルが蒼い炎を吐き出し、ハンマーが急加速する。ぎょっとした火翠は、筋肉が悲鳴を上げるのを無視して無理やり身体を横へ投げた。

 重い打撃を伴った颶風が、火翠の背中とリボンを撫でて通過し、床へぶち当たる。小規模なクレーターが生まれ、石や樹脂といった破片が天高く噴出した。衝撃波と轟音が格納庫全体を揺らす。

「ざけやがって……! どこのアホが作ったんだっ!」

 烈風に押されて、退魔スーツと一緒に罵り声がごろごろと転がった。
 あぁ、まさに。作った者はもちろん、使う者もどうかしている。下手をすれば肩が外れるどころか、腕が千切れ飛ぶ代物だ。

 回転する火翠の両目が、その正気とは思えない武器が流星の如く落ちてくるのを認めた。霊術の印が結ばれ、炎弾が爆発する――己の身体と床の間で。

 爆風のエネルギーが火翠の身体をバウンドさせ、紙一重のところでハンマーを回避した。床に2つ目の大穴が空き、凄まじい強風が丸まった火翠を後押しする形で飛翔させる。その先にあるのは、鉄板やパイプで組まれた、輸送機の整備用であろう足場だ。

 空中を泳ぐ火翠はパイプのひとつに片腕で掴まり、鉄棒よろしく一度ぐるんと回転してから身を支えた。宙吊りになった退魔スーツは、スカートの端が少々焦げたぐらいである。火を操る正義の味方が、自分の技で火傷を負う訳があるまい。

 眼下では、将軍がハンマーを振り回しながら突っ込んできた。
 足場が一気に崩壊し、個々に分離した鉄板やパイプがぶつかり合いながら落ちていく。火翠は近くの鉄板を蹴りつけ、2枚目、3枚目と渡り継いで、宙を立体的に移動した。将軍の背後を取ると、小太刀を両手で握って突撃する。

 ハンマーのノズルが火を噴き、蒼い弧を描いた。先んじて降る足場の残骸を打ち砕き、退魔忍の身体もかっ飛ばそうとする。攻撃も防御も間に合わないと判断した火翠は、左手を自由にして横へ向ける。掌から放射された火炎が、突撃の軌道を直角に変え、両者の間合いが広がっていった。

 足場の豪雨はまだ止まない。
 将軍はその場でハンマーに渦を巻かせ、頭上や周囲に落ちてくる落下物を弾き飛ばす。それは自分の身を守るばかりか、離れた敵への攻撃に転じた。

 敵の戦術が何であれ、火翠が取る行動はいつだって前進である。
 足場を接続するためのボルトやクランプの銃弾に対しては、小太刀で反らすか、最小限の動きで回避した。ブーメランのように旋回する鉄パイプには、こちらも斬撃で2つか3つにしてやる。自分の背の倍はある鉄板が飛んでくれば、その下をスライディングで潜ったり、ステップを踏んで躱した。

 障害を避けるか破り、退魔忍が疾走する。目指すは台風の目だ。
 牽制にもならないと悟った将軍は、ポニーテールを翻して格納庫の奥へ駆ける。そこには搬入用のフォークリフトが並んでいた。それで逃げるというのか。いいや。ハンマーをゴルフクラブのように振るい、車体の後部を打ち据えた。

 2トンはあるフォークリフトが冗談みたいに空を飛んだ。
 何枚目かの鉄板を飛び越えている最中だった火翠は、手足を折り畳んで面積を小さくし、運転席のフレームの間隙を通り抜ける。その視界に、回転がかけられた2台目が飛び込んできた。次は抜けられない。火翠はすぐさま印を結び、炎弾を放ってから着地する。

 フォークリフトの車体に穴が空き、そこからエンジンに引火して爆発した。
 炎によって将軍の姿が見えなくなったのも一瞬、ハンマーを振りかぶった体勢で退魔忍の真横に現れる。咄嗟に垂直に立てられた刀身が、火翠の頭を狙った重撃を受け止めた。燃料切れなのか、ハンマーにブーストはかかっていない。とはいえ、その激震は全身が痺れるほど強烈で、手から得物がもぎ取られてしまう。

 将軍は会心の笑みを浮かべ、無防備になった頭へ再度ハンマーを振り下ろそうとした。
 迫りくる死の一撃に対して、火翠は笑い返し、前髪を汗で張り付けた額を――自ら差し出した。

 鈍い響き。
 しかし、生意気な表情を浮かべる頭は健在であった。

「なんとっ……!?」

 驚愕した将軍は両目を見開き、身体を硬直させる。

 打撃のインパクトが最高値に達するのは、速度も最高になったタイミングだ。その前に、打ちつける〝対象〟との距離が狭まれば、威力は軽減される。それでも普通の人間なら頭蓋骨が砕けるところだった。頑丈な退魔忍ならではの奇策であり、それを実行する精神力には驚嘆を禁じ得ない。

 将軍が完全に隙を見せた時間は1秒にも満たなかった。
 退魔忍には、それで十分だ。2人の間で炎弾が駆け抜け、将軍の胸郭を貫く。驚きの形になっていた唇が大量の血塊を吐いた。腕がハンマーを取り落とし、だらりと力なく垂れる。

 それが瞬時に復活したのを、火翠は見抜けなかった。
 鬼の右手が細い首を荒々しく掴み、身体を吊り上げる。火翠は両指を相手のそれに引っかけて捕縛から抜けようとするも、死に際の馬鹿力であろうか、両者の力は拮抗した。

「……礼を言うぞ」

 将軍が焼けた軍服の肩口に左手をかけ、ひと息で破り捨てる。
 両脚をばたばたと暴れさせる火翠は、スポーティーなブラの下にあったものを目にして舌打ちした。
 
「丁度、火種を探していたところだ……!」

 引き締まった腹に、導火線付きの爆薬が何本も巻かれていた。すべて着火されており、火花が弾ける音を立てている。

「ともに死出の旅へゆこうぞ!」

 血を失い土気色なった顔が、壮絶な笑みを浮かべた。
 爆発までほとんど時間がない。絶対絶命だ。にもかかわらず、火翠の顔には余裕である。琥珀色の瞳は将軍ではなく、彼女の背後を映していた。

 桜色に彩られた影が疾風を吹き付ける。
 はっとした将軍が振り返るより速く、貧しい胸より刃が飛び出した。退魔忍の首を捕らえた指の力が抜ける。

「アンタ、独りで――」

 太刀を突き入れた桜姫が冷たく言い捨て、

「――逝きやがれ」

 相棒の台詞を引き継いだ火翠が、目前の腹を蹴りつけた。

 将軍の両腕が最期の足掻きで火翠に追い縋ろうとするが、退魔スーツの残像を虚しく掴むだけだった。血を吐く唇が開閉し、声にならない言葉を紡ぐ。その内容は、怒りか、無念か。

 それを知る術はないし、正義の味方たちも知るつもりはなかった。
 格納庫の入口から2つの人影が飛び立ち、一拍遅れて、爆炎とともに屋根が夜空へ噴き上がる。壁の一部やゲートも吹き飛び、細かな残骸を飛行場に散乱させた。

「へっ! 最期は自爆とはな。ド派手な野郎だぜ」

 範囲外まで無事に脱出した火翠は、その場に座り込んで胡坐をかく。
 その横に立つ桜姫は「アンタが言うん?」と半笑いでツッコみ、相棒にぎろりと睨まれた。

 恐るべきことに、あの激しい戦いで2人とも怪我ひとつ負っていない。ハンマーを受けた火翠の額が少し赤くなっているが、それだけである。

「他は雑魚やったけど、数は揃っとったな。そこそこ消耗させられたわ」

 といっても、正義の味方とて疲れは覚えるようだった。
 燃え盛る格納庫を見つめる桜姫の頬は上気し、腋や太ももから汗を垂らしている。将軍と死闘を繰り広げた火翠の方は、背中の肌が透けてみえるほど退魔スーツをびっしょりと濡らしていた。地面と密着する尻では、インナーの食い込みがズレてしまっている。

「そういや、〝足長おじさん〟は見たか? 諜報部が気にしてたぜ」

 火翠が小太刀――脱出の際にきちんと回収したようだ――を鞘に収めながら訊いた。

「いんや、見かけんかったな。〝オジん〟かどうかはわからんけどね」

 桜姫が首を振る。
 足長おじさんとは、鬼の支援者のことだ。提供する物資の量が膨大だったため、非常に危険な個人もしくは組織だと目されている。

「……賭けるにしたって、もっとマシな馬がいただろうに。なんの策もねぇのに機構と構えようなんて、駄馬どころか馬鹿だろ」

 火翠が鼻を鳴らした。

「ほんまミョーな話よなぁ。これじゃ無駄に……っっ!?」

 同意する言葉の続きは、突如発生した霊力の波動に遮られる。
 それは、退魔忍たちの表情を深刻なものに変えるほど禍々しかった。火翠がさっと立ち上がり、桜姫が太刀の柄に手をかける。

 力のうねりは、飛行場を含む基地のそこかしこで起きていた。紫紺に染まった光の柱が天へ昇り、空の一点へと集まっていく。その発生源は、鬼の兵士たち――その死体と装備が輝き、霊力を撃ち出していた。
 命を代償にして集めた大きな力が、基地全体を覆うようにしてドーム状に広がる。

「これは霊術阻害の結界……」

 空を見上げた桜姫が、その名前を口にした。

 凶悪な結界の完成に合わせて、飛行場に人影が入ってきた。1人ではない。
 そいつらは、みな男性用の黒いスーツを着用していた。顔には仮面を付けており、それぞれデザインが異なる。こういった状況でなければ、パーティーに迷いんだかと思う装いであった。

「んだ、テメェらは……?」

 火翠が霊術札を引き抜きつつ誰何した。この札は、桜姫お手製の忍具だ。霊力が籠められており、結界の中でも術を行使できる。





 あまりよくない状況だった。黒服たちは、鬼の兵士よりも明らかに格上。それが増え続けている。おまけに札以外で霊術は使えない。

「こんばんは、ロット26、ロット27」

 右目にハートの意匠を凝らした仮面を付けた黒服が、周囲の炎を凍りつかせるような冷たい声で挨拶した。スーツは男物だが、その胸元は膨らんでいる。彼女は、内ポケットから「ガベル」と呼ばれる儀礼用の小槌を取り出した。

「回収に上がりました」

 謎の闖入者は小槌を掌に打ち付けて、正義の味方たちに宣言する。
 新たな戦いが始まろうとしていた。熾烈な戦いが。

「――われわれの出品物を」



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