科学、美術、音楽、スポーツ……。
 研鑽を積んだ者たちは、それぞれ固有の〝武器〟を持つ。
 血の滲むような努力で学び得た武器とは、その者の誇りであり、命に等しいと表現しても過言ではない。何びとも、おいそれとは模倣できぬだろう。
 それが正義の味方――悪との戦いにまつわるものであれば、なおさら真似できないはずなのだ。

 虫の囁きしか聞こえぬ郊外の深夜。
 誇りある〝武器〟を全身に秘めたひとりの少女が、さびれた公園を訪れた。
 満月の光を浴びた衣装が、蒼く照り返す。腋が全開になったジャケット、眩しい太ももが見えるミニスカート、純白の長手袋とニーハイソックス……美しさと神々しさが融合したコスチュームであった。

 それを纏いし者の名は、フェレスティア・ショコラ
 天使の力を受け継ぎ、世を忍んで人外の者たちと戦う、正義の魔法少女である。
 短めのツインテールを揺らしながら公園の中を進むショコラは、不意に足を止めて遊具のひとつを睨みつけた。
 
「ガキはうちに帰る時間やで」

 ブランコのシートに小さな影が座っている。

「アンタやな? 最近ここらで悪さしとるんのは」

 夜遊びする子どもへの警告にしては、ショコラのそれには険があった。
 さもあろう。相手は人間ではない。

「ご挨拶だなぁ、おねーちゃん」

 そう言って微笑む幼女の顔と、扇情的なレオタードから覗く肌の色は、闇を塗りつけたかのように暗い。銀に輝くミディアムショートの髪からは、ねじくれた2本の角が生えていた。
 妖魔。天使の敵であり、人間に仇なす魔の者だ。

「ガキじゃなくて、わたしはイミリ。おねーちゃんの噂は聞いたよ。最近すんごくチョーシに乗ってる、蒼いフェレスティアがいるって♥ たくさん友だちをやっつけたみたいだねぇ」

 イミリと名乗った妖魔は、闇の中でルビーを思わす瞳を煌めかせた。その不吉な輝きには、興奮と愉悦が宿っている。幼い見た目に相応しく、新しいオモチャを手に入れた子どもの様子であった。

「ほぉ、話が早いわ。そや、おチビやからってウチは悪モンに容赦せん。人間サマの世界で好き勝手暴れ回んのも今日限りやで。覚悟しいや、妖魔」

 ショコラもまたサファイアの瞳を爛々とさせる。そこに宿るのは、悪への怒りだ。危険な怪物を前にして、恐怖や不安の感情はひと欠片もない。

「ふふっ♥ 教科書でもあるのかなぁ? 天使もフェレスティアも……正義の味方って、みーんな同じこと言うんだね。それでわたしにヤられて、みーんな同じブサイクな顔でわんわん泣いちゃうの♥」

 地面を蹴りつけ、イミリがブランコを軽く漕いだ。奇妙なことに、彼女の足元は雨に降られたかのようにぬかるんでいる。
 ショコラが鼻を鳴らした。

「そら、随分と弱い者イジメばかりしとったようやな。その腐った根性、本物の正義の味方が叩き直したるっ」

 もちろん、ショコラは他の天使やフェレスティアが「弱い」なんて思っていない。生意気な妖魔の気分を害させたいだけだ。
 それにショコラは異質の存在であった。通常のフェレスティアと異なり、彼女は熾天使マヤという天界最強の力を受け継いでいる。力量の差を鑑みれば、たしかに「本物」と呼べた。

「〝本物〟の正義の味方……ね♥ んじゃ、見せてもらおうかな。本物の力ってやつを」

 イミリは怒るどころか、愉快そうに唇を吊り上げてみせる。
 鎖を掴んだ両手が闇色に輝き、魔力の波動が公園で吹き荒れた。幼女の周囲に広がる泥の沼が、沸騰したかのように無数の泡を生み出しては破裂する。それはだんだんと激しさを増し、身構えるショコラの目の高さまで噴き上がった。

 泥沼から現れたのは、人の形をした、されど人ならざる者だ。肉体は泥の流体で、熱で溶けかかったように見える。顔には目や口といったパーツは存在せず、暗黒を飲み込んだ大穴が中央に空いていた。
 その不気味な泥人形が、1体、さらに1体と生まれ落ちていく。

「泥んこ遊びでもしたいんか? 見た目通りのクソガキやな、自分」

 次に起こるであろう事態に備え、ショコラは全身の筋肉を撓めつつ目を細めた。
 これまで見たことのない魔物である。ただ、屈強なオークほど強そうには見えない。そのオークとて、ショコラの前では足元にも及ばないのだが……。

「するのは、おねーちゃんだけどね♥」

 十数体の人形を従えたイミリが、人差し指をショコラへ向ける。

「さっ、遊んであげて♥」

 それを合図に、泥人形たちが声もなく疾走した。愚鈍な見た目に似合わず俊敏で、数メートルあった間合いを一瞬にして踏破する。そのうちの1体が両腕を伸ばし、世にも美しい獲物を捕らえようとした。

 掴んだのは蒼い残影だ。
 神速で側面に回り込んだショコラが、スカートとともに下半身を旋回させる。弧を描いたブーツが、泥の肉体の脇腹辺りにめり込んだ。いったいどれほどのパワーが籠められていたのか、泥人形は冗談のようにすっ飛び、木製のベンチに激突する。

 木片と泥が宙を舞っている間に、ショコラは次の敵へ肉薄していた。首を傾げるだけで相手の拳を避け、ソックスに包まれた膝を叩き込む。胸を痛打されたそいつが地面に沈むと、口のような穴ごと頭を踏み潰し、無害な泥に還してやった。

 そこへ3体の泥人形が、別々の方向から攻撃を仕掛ける。
 ショコラは正面の1体の股下をスライディングで抜け、即座に立ち上がって後ろ蹴りを食らわせた。3体がぶつかり合って転倒するのを尻目に、飛び掛かってきた人影へ、太ももを見せつけるかのようなハイキックを放つ。顎を撃ち抜かれた泥人形は、目当ての少女ではなく、付近にいた仲間を背中で押し倒すことになった。






 蒼いブーツが地を蹴り、4本の腕が靴裏をギリギリでかすめる。新たな2体だ。
 跳躍したショコラは、真下にあった頭を蹴っ飛ばし、その反動を使って身体を一回転させる。鮮やかな空中回し蹴りが、もう1体の泥人形の首筋へ吸い込まれた。

 無事に着地するショコラに対し、泥人形は横手から暴風でも受けたかのように吹き飛ぶ。その先にいるのは、ブランコに乗ったイミリだ。そのまま命中するかと思いきや、人形の肉体が風船の如く破裂した。泥の粒が降り注ぐ。

「ナイストライ♥」

 茶色い雨越しにイミリが微笑み、人差し指を左右に振った。
 別の泥人形を蹴りつけながら、ショコラは舌打ちする。隙を見て指揮官を倒そうと思ったが、地道に兵士を倒していく他ないようだ。また1体、ショコラの美脚に打ち据えられて夜空を舞った。あまりのスピードに、泥人形たちは触れることすらできない。
 
 では、パワー勝負ならどうか。
 ずぼっっっ……。
 人形の鳩尾へ前蹴りを繰り出したショコラの動きが、不意に停止した。肉体の粘度を変化できるのか、少女の右脚が膝まで埋まってしまう。己の身体で獲物を拘束した泥人形は、すぐさま両腕で脚を掴んだ。

「おさわり厳禁やでっ」

 ショコラはニヤリと笑い、上半身を無理やり捻りつつ自由な左脚を上段へ飛ばす。捕らえられた脚を軸に少女の身体が一回転すると、ドロドロとした腹に大穴が空き、さらに腕が千切れた。次いで左脚のつま先が泥人形のこめかみを抉り、両者の身体が勢いよく反発する。
 悪の手先は、力比べですら正義の味方に勝てないというわけか。

 地面に転がるショコラは、立ち上がりざまにタックルした。いままさに腕を振り下ろそうとした泥人形はバランスを崩し、そのまま背後にあったジャングルジムまで連行される。そして背中から追突して、骨組みの格子に合わせてバラバラになった。

 ジャケットに付着した泥を払うショコラは、空気を吸い込む音を耳にする。その発生源は、数メートル横で構える泥人形の顔の穴。そいつの胸が大きく膨らむのと、ショコラが横っ飛びに離れたのは同じタイミングだ。

 次なる風の音色は鋭い。
 無数の泥の礫が射出された。ただの泥でも、それが亜音速で放たれれば銃弾になりえる。身体を低くして駆けるショコラ目掛け、泥人形は散弾をこれでもかとばら撒いた。

 トップスピードに入ったショコラの駿足は、銃撃を凌駕する。横合いからどれだけ撃ち込まれようと、一瞬前にいた空間がいたずらに貫かれるだけだった。少女の身代わりに、可愛らしい動物のオブジェやベンチが粉砕される。自動販売機が蜂の巣になり、大量の缶とペットボトルを吐き出した。

 疾走し続けるショコラは、行く手を妨害してきた泥人形をラリアットで黙らす。それから鉄棒を横切るついでに握り棒を力ずくで捥ぎ取り、射手の人形へ投げつけた。
 泥の散弾とスチール製のシャフトが交差する。
 弾丸はショコラのツインテールやスカートをかすめるだけだが、シャフトは泥人形の胸を串刺しにし、巨体をひっくり返させた。

 射手が無力化され、再び格闘戦に移行する。
 ショコラはその場で飛び上がり、大股になるほど両脚を開いた。左右から突撃してくる2体の泥人形へ、ブーツの先端が同時に打ち込まれる。
 大地に戻ってきたショコラへ向かって、後続の群れが四方から殺到した。泥の肉体は横幅があり、おまけに数も多い。逃げ場を失くして押し潰す算段だろう。

「上等やっ。――来いっ!!」

 瞳に闘志を漲らせ、正義の魔法少女が吠える。



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