ＳＭ柔術



　一

　午前零時十二分。
　非常灯の弱々しい橙色の光が、道場の広い空間をぼんやりと浮かび上がらせていた。昼間の激しい稽古の残り香がまだ濃く残っている──汗の塩気を含んだ湿った空気、畳の藁の古びた匂い、木製の柱や壁から染み出す年季の入ったニスの香り、微かな消毒液の残り香、誰かの忘れたタオルのわずかなカビ臭や、床に落ちた埃の匂い、さらには床板のわずかな木の腐食したような匂いまでが複雑に混ざり合い、冷たく淀んだ夜の空気に重くまとわりついていた。空気はひんやりと湿り気を帯び、肌に吸い付くような重い静寂が道場全体を支配していた。時折、遠くから聞こえる車の走行音や、建物の軋む微かな音が、かえってこの場所の孤絶感と密室性を際立たせ、郁美の神経を鋭敏にさせていた。
　雨宮郁美、三十五歳。
　柔術黒帯。
　細く引き締まった腰廻り、長い年月にわたる過酷な稽古で鍛え上げられたしなやかな筋肉が、道着の下に隠れている。女性らしい豊満で張りのある乳房、柔らかく丸みを帯びたヒップライン、長い黒髪を後ろで一つにまとめ、知性と凛とした美しさを兼ね備えた顔立ちは、道場生たちから「憧れの先生」として熱い視線と尊敬を集めていた。
　彼女の動きは常に優雅で美しく、指導する声は落ち着いていて、生徒たちに安心感と憧れを与えるものだった。汗を拭う仕草一つ取っても、道場生の何人かは息を飲むほど魅力的に見えていた。
　彼女はいつも完璧でなければならなかった。夫の前でも、生徒の前でも、決して弱みを見せない。強い女性として、誇り高く生きる──それが彼女のアイデンティティであり、自己価値のすべてだった。
　朝から晩まで道場に立ち、丁寧に一人ひとりの生徒を指導し、技術だけでなく心構えも教え、家に帰れば献身的な妻として夫の帰りを待ち、笑顔を絶やさず家事をこなし、時には夫の仕事の愚痴を優しく聞き、支え続けてきた。誰にも弱さを見せず、完璧に演じてきたその日常は、しかし心の奥底で静かに、軋みを上げ始めていた。
（もう限界……三年以上も愛されていないこの身体……夜ごと布団の中で指を這わせて慰めても、決して満たされない……）
　最初は仕事の疲れと言っていた夫の態度は、次第に冷め、郁美が誘っても「今日は疲れた」と背を向けるようになった。
　夜ごと、夫が穏やかな寝息を立てる隣で、布団の中でこっそり自分の指を這わせ、陰核を何度も擦り、膣内に指を沈め、Ｇスポットを刺激しても、決して本当の充足は得られない。虚無と焦燥感が募るばかりだ。時にはシャワールームで立ったまま激しく指を動かし、絶頂に達しても、すぐにまた疼きが戻ってくる。
　心の奥底で、ただ、
「誰かに、理性を奪われるほど激しく、容赦なく犯されたい」
　といった、獣じみた欲望だけが、静かに、しかし確実に彼女の心を蝕み続けていた。
　稽古中にもふとそんな妄想が浮かび、秘部が熱くなって動きが鈍ったことも何度かあった。生徒たちの前で「柔術は自分の身を守るためのものです」などと言いながら、心の中では全く逆のことを妄想してしまう自分に、激しい自己嫌悪を覚えてもいた。
　その時、もう誰もいないはずの道場で、暗闇の奥から足音が、ゆっくりと近づいてきた。その音は、郁美の心臓の鼓動と重なるように響き、緊張感を高めていく。
「もう営業時間は終わったんだね……腹を壊してしまって……」
　そう言い訳をするのは、須藤政志、六十五歳。
　白髪交じりの脂ぎった薄い髪、深い皺が刻まれた顔、黄色く濁った目。
　道場の古参生徒の一人だが、今夜の彼の視線は、明らかに異常だった。抑えきれない、ねっとりと粘つく欲望の視線が、暗い光を帯びて郁美の全身を舐めまわすように這い廻っていた。息遣いが荒く、年老いた体から発する濃厚な体臭──汗と皮脂、加齢による独特の匂い、そして興奮した牡のむせ返るようなフェロモンが、すでに郁美の鼻腔に届き始め、その呼吸を乱していた。
　郁美の背筋に、冷たい戦慄が稲妻のように走り抜けた。心臓が激しく高鳴り、喉がカラカラに渇き、手のひらにじっとりとした冷たい汗が滲む。胃の底が凍りつくような恐怖が、全身を支配した。
（この人……わざとトイレに籠って……）
　その目的が何か、顔を見ればすぐに分かった。
　しかしその恐怖のすぐ裏側で、別の熱い波が、下腹部の奥深くからじわじわと這い上がってきた。秘部が、疼くような熱を持ち、わずかに湿り気を帯び始め、太ももを内側から圧迫するような感覚が広がる。乳首がブラの下で硬く尖り、擦れるたびに甘い疼きが走る。
（柔術の実力で、いつでもこの老人を制圧できる……だからこの危険な状況を、少しだけ味わってみよう……誰にも知られない、禁断のゲーム……）
　強い自分と、弱い自分。完璧な妻であり、尊敬される指導者でありたい自分と、ただの雌として蹂躙され、理性を溶かされ、肉玩具にされたい自分。
　その激しい分裂と葛藤が、郁美の鼓動を狂わせ、秘めた蕾を静かに、しかし確実に熱く湿らせ、疼かせ始めていた。彼女は無意識に太ももを軽く擦り合わせ、己の身体の反応に内心で驚愕しながらも、逃れられない興奮の予感に囚われていた。
（もし抵抗しなかったら？……この老人に、身体を好き勝手にされる？……道着を剝ぎ取られ、胸を揉まれ、秘部を晒され、指を入れられ……そして……）
　その想像だけで、郁美の息が乱れ、愛液がわずかに溢れ出す感覚に気づき、顔が熱くなった。
　深夜の道場は、彼女の心の奥底に潜む暗い欲望を、静かに、容赦なく暴き出そうとしていた。
　夫の優しい笑顔、道場生たちの純粋な眼差し、自身のこれまでの誇り高い人生──すべてが頭をよぎり、罪悪感が胸を締め付ける中、それでも身体は熱く疼き続けていた。
　理性と本能の間で、その心は激しく揺れ動いていた。

　二

　俺は暗闇の奥に身を潜め、非常灯の橙色の薄明かりがぼんやり照らす道場を見つめていた。
　雨宮郁美が今、道場の中央に立っている。
　黒髪ポニーテールのグラマラスな肉体。道場生の誰もが憧れる、完璧で凛とした美人柔術家。
　長年、この女を陰から見続けてきた。毎廻の稽古で、汗で道着が肌に張りつくさま、胸の揺れ、太もものライン、指導する時の落ち着いた声、強くて綺麗で、俺みたいな老いぼれなど眼中にないような態度──すべてが俺の枯れた欲望を搔き立て、夜ごとに悶々とさせていた。
（もう我慢の限界……こんなにチンポが硬くなるのは久しぶりだ。夫がいるくせに、いつも聖女ぶって。俺の視線に気づきながら、知らん顔してるあの態度が、たまらなく腹立たしい……）
　ゆっくりと足を踏み出した。
　郁美の身体が微かに強張った。その瞳に恐怖と……何か別の熱が混じっているのを、見逃さなかった。
（ははっ……怖がってやがる。でも逃げようとねえ。黒帯のくせに、抵抗しねえつもりか？　それとも襲われそうになって、まさか……興奮してる？……）
　心臓がうるさいほど鳴っていた。
　逮捕されるかもしれない。人生の終わりかもしれない。
　それでも構わない。この完璧な女を、自分の手で穢し、泣かせ、犯す──その衝動だけが、俺をここまで駆り立てていた。
（今夜こそ……）
　手に汗が滲む。
　頭の中で、五十年以上前の屈辱が、ぐるぐると廻っていた。
　あの時の記憶──
　十四歳の頃。
　柔道部で一番弱かった。
　練習試合で、女の先輩に投げ飛ばされ、畳に叩きつけられた。
　みんなの前で、笑い声が響いた。
「おい須藤、女にも勝てねえのかよ」
「お前みたいなチキン、さっさと部をやめちまえ」
　その後、部室でその女の先輩に呼び出され、心底バカにしたような顔で、こう言われた。
「あなたみたいな弱い男は、一生モテないよ？」
　その言葉が、俺の人生に深い傷を刻んだ。
　以来、女性の前で常に劣等感を抱き、結局、その予言どおり、恋愛は一度もできなかった。
　しかし、夜ごとに妄想だけは繰り返した。
　強い女を犯したい。完璧で誇り高い女を、俺の肉棒で泣かせて、雌に堕としたい。
　その鬱屈した欲望は年を重ねるごとに肥大し、ついに今夜、爆発する。
　長年のトラウマが、背中を熱く焦がしていた。
　弱い自分、女に馬鹿にされた自分、老いてなお満たされない自分──すべてを今夜、この女にぶつけてやる。

