﻿氷の皇帝は敗国の姫を還さない
〜国を焼いた皇帝に戦利品として差し出されたのに、抱かれるたびその人の寿命が削れていると知って、朝まで奥に注がれながら泣いた話〜

齋藤あいり

※これは体験版です。本編の冒頭のみを収録しています。

・本作品には成人向けの性的表現が含まれます。18歳未満の方の閲覧はできません。
・無断転載・無断複製を禁じます。


＃１　戦利品

　王城が落ちたのは、三日目の夜明けだった。

　城門は、破られたのではない。内側から、開いた。

　誰が開けたのかは、あとで知ることになる。そのときのわたしは、ただ、玉座の間の窓から、帝国の黒い軍旗が中庭を埋めていくのを見ていた。

　イレーネ・ヴェスティア。二十一歳。ヴェスティア王国の第二王女で――三年前に姉が死んでからは、たった一人の王女だった。

　兵に囲まれても、わたしは膝をつかなかった。

　つけなかった、と言うほうが正確かもしれない。前の晩に祭壇に立ったばかりで、脚に力が入らなかった。

　大扉が開いた。

　黒い外套の裾が、石の床を滑る音がした。

　アルヴィス・グラン・ロートリンゲン。ロートリンゲン帝国、第十七代皇帝。三十歳。

　噂に聞いた「氷帝」は、思っていたより、静かな男だった。漆黒の髪を無造作に後ろで結わえて、琥珀色の目をしていた。玉座の間に入っても、玉座を見なかった。まっすぐ、わたしだけを見た。

「――ヴェスティアの姫か」

「イレーネ・ヴェスティアです」

　声が掠れないように、腹に力を入れた。

「わたしの首をお望みなら、どうぞ。ただし、民に手を出さないと約束してください」

「民には、すでに手を出していない」

　彼は淡々と言った。

「死者は八十二人だ。うち、こちらの兵が六十。そちらの兵が二十二。市民は、ゼロだ」

　――嘘だ、と思った。

　三日で王都が落ちて、市民が一人も死なない戦など、聞いたことがない。

「信じなくていい。数えたのは私の側だからな」

　彼は、外套を翻して背を向けた。

「連れていけ」

「どこへ」

「帝都だ」

　わたしの喉から、乾いた笑いが出た。

「……戦利品として、ですか」

　皇帝は、扉の前で足を止めた。

　振り返らずに、言った。

「還すつもりはない」

　◇

　馬車に乗せられて七日、帝都に着いた。

　最初の日、わたしは何も食べなかった。毒を疑ったからではない。敗国の姫が敵国の飯を食うのが、単純に、嫌だった。

　二日目の朝、馬車の座席に、白湯だけが置いてあった。三日目には、それに乾いた果実が添えられた。四日目、干した肉。五日目、麦の粥。

　わたしが手をつけた順に、量が増えていた。

　誰も、食べろとは言わなかった。監視の兵も、見張るふりだけをして、目を合わせなかった。

　六日目の夜、宿営地の焚き火の向こうに、皇帝の姿が見えた。彼は兵と同じものを食べて、兵と同じ地面に座っていた。天幕は、わたしのぶんだけ張られていた。

　――そういうところが、いちばん腹が立つ。

　七日目、帝都の門をくぐった。

　与えられたのは、牢ではなかった。皇宮の東棟、庭に面した部屋。侍女が三人つき、湯が用意され、絹の寝衣が置かれていた。

　わたしは、それを全部、屈辱として受け取った。

　国を焼いた男が、王女を飼うのだ。飾って、隣に置いて、勝利の証にする。そういう趣味なのだと。

　その夜、扉が叩かれた。

　三度。皇帝は、自分でノックをする男だった。

「――入る」

　わたしは寝台の上で膝を抱えたまま、その人を見た。

　憎かった。

　国を獲られたことよりも、姉が死んだ祭壇を、この男が「もう使わせない」と言って封じたことのほうが、わけもなく腹が立った。あれはわたしの務めだ。国のために血を流すのは、ヴェスティアの姫の役目だ。それを、征服者に取り上げられた。

「陛下。ご用件は」

「わかっているだろう」

　わかっていた。

　わたしは寝衣の紐に手をかけて、自分でほどいた。震えていないふりをするのに、全神経を使った。

「どうぞ。……ただし、勘違いしないでください」

　わたしは、この男の琥珀の目を、まっすぐ睨んだ。

「わたしは、あなたを一生、憎みます」

　皇帝は、少しのあいだ、黙っていた。

　それから、寝台の縁に腰を下ろして、静かに答えた。

「――それでいい」


＃２　憎悪の初夜

　その声には、勝者の余裕も、加虐の色も、なかった。

　「それでいい」と言った男の目が、なぜか、ひどく疲れて見えた。

　わたしは、その意味を考えないことにした。考えたら、憎み方がわからなくなる。

　外套が、床に落ちた。

　組み敷かれる、と身構えたわたしの体は、拍子抜けするほど静かに、シーツへ横たえられた。

　枕の位置を、直された。

　征服者が、戦利品の枕を直すのか。

「……何のつもりですか」

「何がだ」

「乱暴に、なされば、いいでしょう。奪った国の女です。誰も咎めません」

「咎める者なら、いる」

　皇帝は、寝衣の合わせに手をかけながら、短く言った。

「私だ」

　肌が、夜気に晒された。

　燭台の灯りの下、征服者の目が、わたしの体をゆっくりと見ていく。恥ずかしさより先に、悔しさで肌が熱くなった。この男に、見られている。国を焼いた男に。

「憎いです」

　わたしは、言った。

「――そうしてくれ」

　彼は、静かに答えて、口づけを落とした。

　唇にではなかった。額に。それから、瞼に。頬に。まるで、壊れ物の検分をするような、ゆっくりとした口づけだった。憎むための乱暴を、この男は、どこまでもくれなかった。

　素手が、乳房に触れた。

「ん……っ」

　大きな手のひらが、形を確かめるように包んで、ゆっくり揉み上げる。先端が、意思に反して尖っていくのが、自分でわかった。指の腹で、そこを転がされる。

「あ……っ、や……」

「痛くないか」

「……っ、は?」

　耳を、疑った。

「痛くないか、と聞いた」

「……征服者が、聞くことですか、それ」

　彼は答えずに、尖った乳首を口に含んだ。熱い舌で押し潰され、吸われて、腰の奥に、覚えのない疼きが灯る。もう片方は指で摘まれ、緩く引かれ、体はどんどん、憎しみの言うことを聞かなくなっていった。

「憎い……っ、あなたが、憎い……」

「そうしてくれ」

　手が、下りていく。腹を撫でて、脚の付け根へ。膝を割られて、誰にも触れさせたことのない場所に、指が届いた。

　濡れていた。

　祭壇に立つだけだった二十一年の体が、国を焼いた男の愛撫に、濡れていた。

「や……っ、見ないで、それは、ちがう……っ」

「違わなくていい」

　長い指が、秘裂をなぞる。くちゅり、と音が立って、羞恥で目の前が赤くなった。指は溢れた蜜を纏って、敏感な粒を探り当てる。花芯を、円を描くように転がされた瞬間、腰が跳ねた。

「ひ、あっ……!」

「ここか」

「そこ、や……っ、だめ……!」

　だめと言う口から、甘い声しか出ない。指が一本、蜜口にゆっくり沈んで、狭い内側を優しく広げていく。二本目。お腹側の一点を押し上げられて、目の裏に火花が散った。

「あっ、あ、なにこれ、や……っ、憎い、憎いのに……!」

「そうしてくれ。……憎んだまま、達け」

　花芯を親指で潰されながら、中を掻き回されて、わたしは、初めての絶頂に呑まれた。

「あ――……っ!」

　腰が跳ね、視界が白く濁る。びくびくと痙攣する内側が、彼の指を食い締めて、蜜が溢れた。憎い男の指で達してしまった。その事実が、快感の余韻より先に、涙になった。

　彼は、その涙を、拭わなかった。

　拭う資格がないと、わかっている手つきで、ただ、濡れた頬の横に手をついた。

　衣擦れの音がして、彼のものが、露わになった。

　思わず、息を呑んだ。硬く反り返って、先端を濡らした、雄の形。あれが、これから、わたしの中に。

「……怖いなら、目を閉じていい」

「閉じません」

　わたしは、琥珀の目を睨んだ。

「あなたのしたことを、全部、見て、覚えておきます。憎み続けるために」

「……いい目だ」

　彼は、本当に少しだけ、目を細めた。

　濡れきった蜜口に、灼けるような先端が、押し当てられる。

「痛くないか、と、これから何度か聞く」

「聞かなくていいです……っ」

「聞く。答えたくなければ、答えるな」

　腰が、進んだ。

「……っ、あ、ああ……!」

　純潔が、裂かれた。太いものが、狭い隘路を割り開いて、進んでくる。破瓜の痛みに仰け反ったわたしの手を、大きな手が、シーツごと包んだ。振り払おうとして――力が入らなくて、振り払えなかった。

「痛くないか」

「……いた、い……っ、当たり前でしょう……!」

「そうか」

　彼は、そこで止まった。征服者が、敗国の姫の痛みで、止まった。呼吸が整うまで、長いあいだ、動かずに。額に浮いた汗だけが、この男の抑制の値段を示していた。

　痛みが鈍って、内側が彼の形に馴染みはじめた頃、律動が、静かに始まった。

　ゆっくり引いて、ゆっくり沈む。丁寧に、丁寧に。その丁寧さが、悔しかった。乱暴にされれば、憎しみだけでいられたのに。丁寧にされたら、体が、悦びを覚えてしまう。

「あ……っ、ん、あ……」

「痛くないか」

「……もう、聞かないで……っ、憎い……あなたなんか、憎い……!」

「ああ。――そうしてくれ」

　律動が、少しずつ深くなる。張り出した先端が、内側の襞を擦り上げて、いちばん奥に、こつんと届く。痛みの底から、さっき教えられたばかりの快感が、顔を出す。声が、変わっていくのが、自分でもわかった。

「あっ、あ、や、おく……っ」

「……ここが、いいのか」

「よくな……っ、あ、あぁ……!」

　嘘は、体が暴いた。奥を突かれるたび、まんこが彼を締めつけて、蜜を溢れさせる。憎しみと快感が、同じ場所でぐちゃぐちゃに混ざって、わたしはもう、自分が何に泣いているのか、わからなくなった。

「憎い……っ、憎い、憎い……!」

「そうしてくれ。……その分、私を忘れられなくなる」

　律動が、速くなった。寝台が軋み、肌のぶつかる音が響く。二度目の波が、迫り上がってくる。

「あ、あっ、また、来ちゃう……っ」

「達け。……何度でも」

　弾けた瞬間、内側が彼のものを、きつく、きつく絞り上げた。彼の呼吸が、初めて乱れて、低い呻きと共に、最奥で熱が弾けた。

　どく、どく、と、熱いものが、いちばん深い場所に注ぎ込まれていく。長く、脈打ちながら。敗国の姫の胎に、征服者の熱が、満ちていく。

「……っ、は……」

　注ぎ終えて、彼が、ゆっくりと身を離した。

　そのとき。

　彼の息が――一瞬、詰まった。

　眉が、ほんのわずかに寄って、左手が、胸の上を掠める。ほんの一秒。すぐに、何事もなかったように、彼はわたしに毛布をかけた。

「……湯を、運ばせる」

　皇帝は寝台を離れて、わたしに背を向けた。

　その背中に、わたしは気づかなかった。

　こめかみの、黒い髪に混じった白いものにも。首の後ろの、見たことのない紋様にも。

　気づいたのは、もっと後だ。

　そのときのわたしは、シーツを掴んで、涙が出るのを憎しみのせいだと思い込むのに、必死だった。


＃３　銀の血

　ヴェスティアの王女には、血の務めがある。

　「銀の血」と呼ばれている。姫の血を祭壇に捧げると、大地が保たれる。麦が実り、川が涸れず、疫病が退く。おとぎ話のようだけれど、五百年、この国はそれで立ってきた。

　代償は、寿命だ。

　祭祀のたびに、削れる。目に見えて痩せるわけではない。ただ、ある日ふいに、階段を上れなくなる。次の年に、髪が白くなる。その次に、死ぬ。

　母は、二十九で死んだ。

　姉は、二十四だった。

　姉が死んだ日、わたしは十八で、その翌週から祭壇に立った。三年で、月に一度が、月に二度になった。国が傾いていたからだ。宰相たちは「もう少し」と言い続けた。

　姉の最期を、わたしは見ている。

　二十四歳の体は、六十の老人のようだった。手を握ると、骨だけがあった。それでも姉は、祭壇の当番を心配していた。「今月の分は、まだ済んでいないでしょう」と。

　――お姉さま、もう休んで。

　――休んだら、麦が実らないわ。

　それが、最後の会話だった。

　姉が死んだ夜、母の遺した祈祷書を開いた。表紙の裏に、母の字で、一行だけ書いてあった。

　『この務めは、間違っている気がする。理由は、わからない』

　二十九で死ぬ女の、たったひとつの疑いだった。証拠も根拠もない、ただの勘だ。

　わたしはそれを、三年間、意味もわからずに覚えていた。

　――だから、わたしは自分の寿命を、あと五年くらいだと思って生きていた。

　帝都に来て、二月が過ぎた。

　わたしは、祭壇に立っていない。皇帝が封じたからだ。

　なのに、体が軽い。

　朝、目が覚めると、疲れが残っていない。階段を上っても息が切れない。国にいた頃、指先はいつも冷たかったのに、いまは温かい。

　これは、祭祀をやめたからだ。そう思っていた。

　――なら、なぜ、大地は保っているの。

　東棟の窓から見える帝都の穀倉は、今年も山積みだった。ヴェスティアから届く報せにも、凶作の話はない。姫が血を捧げていないのに、五百年続いた仕組みが、なぜ止まらないのか。

　侍女のリーナに聞いても、首を傾げるだけだった。

「さあ……。でも、姫様、顔色がよくなられましたわ」

「そう?」

「はい。来られた頃は、紙みたいでしたから」

　わたしは、鏡を見た。

　たしかに、頬に色がある。二十一歳の顔をしている。

　うれしいはずだった。

　なのに、なぜか、背中が寒くなった。


＃４　氷帝の噂

　近衛のヴィムは、二十四歳の、まだ肩の薄い青年だった。

　東棟の警備につくと、勝手に喋る。わたしが敗国の王女だということを、彼はあまり気にしていないようだった。

「陛下は、変わってるんです」

「……そう」

「戦のやり方が。普通、城攻めって兵をぶつけるでしょう。陛下は、三月かけて中を調べるんです。誰が金に困ってるか、誰が誰を憎んでるか。それで、いちばん脆いところを一箇所だけ突く」

　――城門が、内側から開いた。

　あの夜のことを、思い出した。

「ヴェスティアのときも、そうだったの」

「はい。開けたのは、そちらの宰相です」

　息が、止まった。

「あの人たちは、トルガと話がついてたんですよ。ヴェスティアをトルガに渡す代わりに、自分たちの地位は保証してもらうって。……陛下は、その書簡を三月前に手に入れて」

「……待って」

　わたしは、手すりを掴んだ。

「トルガに渡ったら、わたしは」

　ヴィムは、そこで初めて、口ごもった。

「……あの、俺、これ以上は」

「言いなさい」

「トルガの王は、姫様の血を『器で管理する』つもりだったと聞いてます。祭壇じゃなくて、その、常時、少しずつ」

　目の前が、暗くなった。

　器で管理する。つまり、生かしたまま、絞る。

「陛下は、それを止めるために先に獲ったんです。……あと、これは俺の勝手な話ですけど」

　青年は、声を落とした。

「陛下、女の人を置いたこと、一度もないんです。今回が、初めてで。だから宮廷の連中は、みんな驚いてます。氷帝が戦利品を連れ帰った、って」

　わたしは、その青年に、もう一つ聞いた。

「……死者は、本当に八十二人だったの」

「はい。名簿があります」

「名簿?」

「陛下、毎回作らせるんです。落とした国の死者を、全員。名前と、年と、職業と、遺族の有無まで」

　ヴィムは、当たり前のことのように言った。

「それで、遺族には帝国から金が出ます。ヴェスティアのぶんも、もう配り終えてるはずです」

「……なぜ、そんなことを」

「さあ。俺、一度だけ聞いたことがあるんですけど」

　青年は、少しだけ、声を落とした。

「『安く獲れたと思わないためだ』って」

　わたしは、その言葉を、うまく飲み込めなかった。

　この人は、勝った戦の勘定を、毎回、自分の手で重くしている。

　わたしは、その夜、眠れなかった。

　憎むための材料が、一つずつ、手から零れていく。

　わたしはまだ、この男を憎んでいたかった。


＃５　二度目の夜

　その週の終わりに、また扉が三度叩かれた。

「……入って」

　自分の声が、初めて、拒絶の形をしていないことに気づいた。

　皇帝は、いつもどおり静かに入ってきて、寝台の縁に座った。それから、なぜか、すぐには手を伸ばさなかった。

「今夜は、やめておくか」

「……なぜ」

「顔色が悪い」

　この人は、そういうことばかり言う。国を焼いた男が。

「陛下」

　わたしは、彼の袖を掴んだ。自分でも、なぜそうしたのかわからなかった。

「憎ませてください」

「……ああ」

「憎ませてくださらないと、わたしは、何を杖にして立てばいいのか、わからなくなります」

　琥珀の目が、揺れた。

　この夜、初めて――ほんの少しだけ、この人の顔が、崩れるのを見た。

　袖を掴んだ手を、彼の手が、そっと包んだ。

　初夜のときは、シーツごとだった。今夜は、直接。手のひらの熱が、指の間に流れ込んでくる。

　口づけは、額からではなかった。唇に、最初から。

「ん……っ」

　薄く開いた唇に、舌が入ってくる。一度目より、深かった。一度目より、性急だった。抑えていたものが、合わせ目から漏れている。氷帝と呼ばれる男の、これが、漏れたときの熱だった。

　寝衣が、肩から滑り落ちる。

　二度目の体は、恐ろしいものだった。大きな手が乳房を包んだ瞬間、先端はもう尖っていて、指の腹で転がされると、腰の奥が、覚えたばかりの疼きで満ちた。

「あ……っ、ん……」

「……覚えたな」

「お、覚えてなんか……っ」

「体は、嘘が下手だ。君のいちばん、正直なところだ」

　乳首を口に含まれ、吸われて、背中が反る。手はもう下りていて、脚の付け根に触れた指が、濡れた音を立てた。一度目より、早く、深く濡れていた。憎しみの杖が、体の側から、崩されていく。

「や……っ、まって、わたし、まだ、あなたを……」

　憎い、と言おうとした。

　言おうとした唇を、彼の唇が、柔らかく塞いだ。塞がれて、離れて、続きを言おうとして――

「にく……っ、あ……」

　花芯を、指の腹で押し潰された。

「んん……っ!」

　言葉が、嬌声に溶けた。

　言えなかった。二月前は、あんなに簡単に言えた三文字が、快感のせいだけではなく、喉の奥で、形にならなかった。

　わたしの動揺を、彼は見ていた。見て、何も言わずに、指を沈めた。二本の指が、内側の弱いところを的確に押し上げて、親指が花芯を転がす。もう覚えられている。二度目で、全部。

「あっ、あ、だめ、いく、いっちゃ……っ」

「いい。……ほら」

　一度目が、弾けた。

　達して痙攣する内側から指が抜かれて、代わりに、灼けるような先端があてがわれる。二度目の体は、痛みではなく、期待でひくついた。そのことが、いちばんの敗北だった。

「……挿れるぞ」

「……っ、はい」

　はい、と答えてしまった自分に、抱かれながら気づいた。

　太いものが、隘路を割って、奥へ沈んでくる。破瓜の痛みはもう遠くて、埋められていく充足だけが、体の真ん中に灯った。最奥に届いた瞬間、二人分の息が、同時に震えた。

「……っ、狭いな。……まだ、二度目か」

　彼の声にも、余裕がなかった。

　律動が、始まった。一度目の慎重さの上に、今夜は、隠しきれない飢えが乗っていた。深く、重く、奥を突かれるたび、寝台が軋んで、わたしの声が跳ねる。

「あっ、あ、や、そこ……っ」

「ここだろう。……先週、覚えた」

「い、言わないで……っ、あ、あぁ……!」

　波が、迫り上がる。二度目の絶頂に押し上げられて、内側が彼をきつく絞った瞬間――

「……イレーネ」

　名前を、呼ばれた。

　姫、としか呼ばなかった男の口から、初めて、わたしの名前が。

　心臓が、跳ねた。中が、勝手に、痛いほど締まった。彼が短く呻いて、律動が乱れる。

「な……っ、いま、なんで、名前……」

「……口が、滑った」

「滑ったって、あなた……っ、あ、待って、はげし……!」

　誤魔化すみたいに、律動が深くなった。名前ひとつで乱れた自分と、呼んでしまった彼と、二人分の動揺ごと、波に呑まれていく。

「あ、あっ、いく、また、いっちゃう……!」

「……っ、私も、だ」

　最奥に叩きつけられて、弾けた。

　熱いものが、深い場所に注ぎ込まれる。どく、どく、と長く脈打って、達した内側がそれを絞り上げる。憎むための夜のはずが、名前を呼ばれて達した夜になった。杖が、音を立てて折れた夜だった。

　彼が、ゆっくりと身を離す。

　そのとき――また、だった。

　息が、一瞬、詰まった。眉が寄って、左手が胸の上を掠める。一秒にも満たない、あの仕草。

　でも今夜のわたしは、見ていた。初夜の夜とは違う。この人の顔を、ちゃんと見ていたから。

「……陛下」

　わたしは、身を起こした。

「いま、どうかしましたか」

　――なんでもない。

　そう答えた声が、掠れていた。

　わたしはその夜、彼が部屋を出ていくとき、初めて、その背中をちゃんと見た。

　結わえた黒髪の、うなじのあたり。

　白いものが、混じっていた。


＃６　白い髪

　それから、わたしは数えるようになった。

　彼が部屋に来るたび、白髪が増えている。ひと月前は数本だった。いまは、うなじの一房が、はっきりと色を失っている。

　三十歳だ。早すぎる。

　数えはじめると、他のことにも気づいてしまった。

　階段を上るとき、彼は三段目で必ず一度、呼吸を整える。書類に署名する手が、夕方になると少し遅くなる。以前は片手で開けていた重い扉を、いまは肩で押している。

　――わたしが、国にいた頃と同じだ。

　祭壇に立ちはじめて二年目の冬、わたしの体に最初に出たのが、それだった。階段と、扉と、夕方の手。

　そして、医師の出入りに気づいた。

　深夜、皇帝の私室のほうから、老いた医師が出てくる。廊下の灯りの下で、その人はいつも、渋い顔をして首を振っていた。

　ある晩、思い切って呼び止めた。

「陛下は、ご病気なのですか」

　医師は、わたしを見て、目を逸らした。

「……姫様に申し上げることは、何もございません」

「答えてください」

「陛下より、固く口止めされております」

　その一言で、十分だった。

　隠している。この皇宮で、皇帝の体について、口止めが必要なことが起きている。

　◇

　翌日、わたしは午後の茶に彼を呼んだ。

　驚いたことに、皇帝は来た。政務の合間に、たった二十分だけ。

「陛下。お顔の色が悪いです」

「そうか」

「咳をされていますね」

「乾いているだけだ」

　彼は、茶器を持ち上げた。その手首が、以前より細くなっていることに、わたしは気づいてしまった。

「陛下」

「なんだ」

「祭壇はどうなっていますか」

　カップが、ほんの一瞬、止まった。

「封じてある」

「では、なぜ大地が保っているのですか」

　琥珀の目が、初めて、わたしから逸れた。

「――五百年の蓄えがある。すぐには涸れん」

　嘘だ、と思った。

　この人は嘘が下手だ。戦のときはあれほど正確なのに、わたしに嘘をつくときだけ、目が逸れる。

「陛下」

「政務がある」

　彼は立ち上がった。二十分より、五分早かった。

　扉のところで、一度だけ振り返って、こう言った。

「……祭壇のことは、忘れろ。君はもう、あそこに立たなくていい」

　その声が、あまりに優しかったので、わたしはその夜、また眠れなかった。


＃７　移譲

　書斎に入ったのは、盗人のような気持ちだった。

　皇帝が三日、北方巡察で不在だった。侍女は買い出し。近衛のヴィムは、わたしが「庭の花を見たい」と言えば、素直に持ち場を空ける子だった。

　利用した。あとで謝ろうと思った。

　書斎の机には、政務の書類が整然と積まれていた。その奥の、鍵のかかった小箱――鍵は、机の脚のところに掛かっていた。

　中身は、古い羊皮紙の束だった。

　帝国の言葉ではなかった。ヴェスティアの古語だ。祭祀の家に生まれた者しか読めない、五百年前の文字。

　――《移譲》。

　最初の行に、そう書かれていた。

『銀の血の代償は、血の主より、これを引き受ける者へ移すことを得る。
　引き受けし者は、血の主の代わりに削れる。
　削れは、術者の寿命をもって支払う。
　なお、引き受けし者は、血の主に触れるたび、その分を負う。』

　紙を持つ手が、震えはじめた。

『触れるたび』

　わたしは、束をめくった。二枚目に、几帳面な帝国語の書き込みがあった。皇帝の字だった。

　――術式、成立を確認。負担は接触量に比例。
　――概算、一夜につき、およそ一日。

　一夜につき、一日。

　三枚目に、日付があった。

　術を組んだ日。ヴェスティアが落ちる、三月前。

　束の最後に、一枚だけ、様式の違う紙が挟まっていた。

　医師の手による、所見だった。日付は、先週。

　――脈拍、五十代後半相当。骨密度、同年代平均を下回る。毛髪の変色、進行。
　――このままの頻度が続いた場合、余命はおよそ十年から十二年と推定。
　――陛下へ再三、接触の停止を進言。拒否される。

　余白に、皇帝の字で、一行だけ書き足してあった。

　――十年あれば足りる。

　何に足りるというのか、わたしにはわからなかった。わからないまま、その字を指でなぞった。

　わたしは、羊皮紙を抱えたまま、床に座り込んだ。

　――この人は、わたしを獲る前から、決めていた。

　国を焼いて、姫を奪って、憎まれて。その上で、わたしの代わりに死ぬつもりで、術を組んでいた。

　二月分。この人は、わたしに何度触れた。

　わたしは、指を折って数えはじめて、途中でやめた。

　十一回。

　十一日。この人の命から、わたしが憎しみを杖にするために削り取った、十一日。

　数えて、わたしは、声を上げて泣いた。


＃８　一日ぶん

　三日後、皇帝が帰還した。

　その足で、わたしは謁見も待たずに、彼の私室に押し入った。羊皮紙の束を、両手で抱えて。

「――説明してください」

　皇帝は、外套を脱ぐ手を止めた。

　わたしが持っているものを見て、それから、ゆっくりと息を吐いた。

「……見たのか」

「一夜につき、一日と書いてあります」

「そうだ」

　認めるのが、早すぎた。

「陛下。あなた、何をしているんですか」

「移譲だ。読んだのだろう」

「なぜ!」

　声が、部屋に響いた。

「わたしはヴェスティアの王女です。血を流すのは、わたしの務めです。五百年、そうしてきた。母も、姉も」

「母君は二十九で死に、姉君は二十四で死んだ」

　彼は、静かに言った。

「君は、五年だと言われていたな」

　息が、詰まった。

「――なぜ、それを」

「三月かけて調べた。宰相の書簡も、祭壇の記録も、君の診断書もだ。……トルガに渡れば、君は器に繋がれて、二年もたなかった」

　わたしは、羊皮紙を落とした。

「だから、先に獲った」

　彼は、床の紙を拾って、丁寧に揃えた。

「戦の死者を八十二人に抑えたのは、そのためだ。三日で終わらせなければ、トルガの兵が国境を越えていた」

「……そんなことのために、寿命を」

「そんなこと?」

　初めて、皇帝の声が、少し尖った。

「君は、五百年ぶんの女たちが死んだ仕組みを、そんなことと言うのか」

　わたしは、何も言えなかった。

「私は、その仕組みが気に入らなかった。ただそれだけだ」

　彼は、羊皮紙の束を机に置いた。

「触れるたび、一日ぶん削れるだけだ。私はまだ三十で、健康で、余分がある。……君は二十一だ。使い方が違う」

　――一日ぶん。

　この人は、それを「だけ」と言った。

「もう、来ないでください」

　わたしは、震える声で言った。

「わたしに触れないでください。そうすれば、あなたは削れない」

　皇帝は、しばらく黙っていた。

　それから、この二月で初めて、笑った。

「――それは、無理だ」

「なぜ!」

「言わせるな」

「言ってください!」

　彼は、わたしの前に立った。

　琥珀の目に、二月ぶん、いや――三月ぶん、その前からのものが、全部出ていた。

「三月前、君の診断書を読んだ夜から、私はもう、君を死なせない側の人間になった。……触れずにいられるなら、術など組んでいない」

　わたしの目から、涙が落ちた。

「イレーネ」

　二度目の、名前だった。

「憎め。それでいい。憎んで、私より長く生きろ」


――体験版はここまでです。
この続きは、製品版でお楽しみください。

齋藤あいり（@NotHumanDesire）
