第4話「先輩とは付き合えないよ。さすがに」


「ねえ早紀、そろそろ帰ろっか」
「うん。もう六時だし」
二人はスマートフォンをしまい、帰り支度を始めた。
修一もパソコンの電源を落とす。
昨日は撮影。今日は動画編集と投稿。それに、ジュースの買い出しとゴミ捨て。
自分のために部室で過ごした時間はほとんどなかった。
けれど、二人と一緒に帰れる。それだけで少し気分が明るくなった。
「じゃあ先輩、帰ろー！」
結衣が声をかける。
「……はい」
修一はリュックを背負った。
すると、早紀が自分のスクールバッグを持ち上げた。
「あー、重い」
「どうしたんですか？」
「今日、教科書いっぱい入ってるんだよね」
「そうなんですか」
早紀はカバンを一度床に置いた。そして、修一を見た。夕日の逆光で彼女のシルエットが浮かび上がる。制服のラインが、体の曲線を強調している。
「先輩」
「……はい？」
「これ、重いんだけど」
「……はい」
数秒の沈黙。
早紀は何も言わず、修一を見つめている。その目が、何かを期待するように細められた。
修一は困ったように笑った。
（……えっと）
何を言えばいいのだろう。
すると、結衣が横から笑った。
「先輩そこは？」
「……え？」
「早紀、困ってるよ？」
「あ」
修一は慌てて言った。
「持ちましょうか？」
早紀がぱっと笑顔になった。その笑顔が、まるで花が開くように明るくなる。
「え、いいの？　ありがと」
修一は差し出されたカバンを受け取った。
ずしり。
確かに重かった。
「結構、重いですね」
「でしょー？」
早紀は嬉しそうに笑った。その拍子に、制服の襟元がわずかに開き鎖骨の下の白い肌が一瞬だけ覗く。修一は慌てて視線をカバンに落とした。
「助かった。これでスマホ触れる」
すると結衣も、自分のカバンを持ち上げた。
「あー、私のも重いなー」
修一は結衣を見た。
結衣も修一を見た。その目が、何かを促すように輝いている。
「ねえ先輩」
「……はい？」
「私のも重いんだけど」
修一は一瞬ためらった。
片手にはすでに早紀のカバン。背中には自分のリュック。もう一つ持てば、両手が塞がってしまう。
しかし、結衣は期待するようにこちらを見ている。少し首をかしげて、上目遣いに。
「……結衣さんのも持ちましょうか？」
「やったー！」
結衣はすぐにカバンを差し出した。
「ありがと、先輩」
修一の肩に結衣の手が置かれる。ほんの一瞬、彼女の指が修一の首筋に触れた。その柔らかさと温かさに、修一の背筋がわずかに震える。
修一の両手が塞がった。
右手に早紀のカバン。左手に結衣のカバン。背中には自分のリュック。
結衣は満足そうに頷いた。
「これで楽になったー！」
早紀も笑った。
「先輩優しいね」
「……いえ」
「じゃあ、行こっか」
二人は身軽になった足取りで歩き始めた。制服のスカートが、歩くたびに揺れる。修一はその後ろを、重い荷物を抱えて追いかけた。
（……あれ？）
二人とも、直接「持って」とは言わなかった。自分から申し出たのだ。
ジュースの時と同じだった。
（また、自分から言っちゃった）
けれど二人は嬉しそうに笑っている。その笑顔を見ると、今さら辛いから片方は持ってほしいとは言えなかった。
二人は振り返ることもなく校門へ向かった。
結衣と早紀は手ぶらで並んで歩いている。夕日が二人の後ろ姿を照らし、制服のラインを浮かび上がらせていた。早紀のポニーテールが、歩くたびに左右に揺れる。結衣のスカートが、風に煽られてわずかにめくれる。
修一は少し後ろを歩いていた。
両手には二人のスクールバッグ。背中には自分のリュック。
「ねえ早紀、今日の動画、もう再生数増えてる！」
「ほんと？　見せて！」
「ほら！」
二人は楽しそうにスマートフォンを覗き込んでいる。結衣がスマートフォンを持つために腕を上げると、制服の袖がずり上がり白い二の腕が露わになる。早紀が身を乗り出すと、彼女の胸元が結衣の肩に触れた。
修一は少し遅れて後を追った。
（……重いな）
持ち手が指に食い込む。少しずつ歩く速度が落ちていった。
すると早紀が振り返った。
「先輩？」
「……はい？」
「遅いよー」
「どうしたの？」
「カバンが、ちょっと重くて……」
結衣が笑った。
「えー、先輩、運動不足じゃない？」
「ゲームばっかりしてるからだよ」
早紀も笑う。その笑顔が、夕日に照らされてやけに眩しく見えた。
「たまには運動しなきゃ」
「……はい」
結衣が何かを思いついたように手を叩いた。
「あ、じゃあちょうどいいじゃん！」
「……何がですか？」
「筋トレ！」
「……え？」
「うちらのカバン持って歩けば、いい運動になるじゃん！」
早紀が吹き出した。
「あはは！　確かに！」
「先輩、よかったね」
「確かに……」
修一は苦笑いした。
（よかった、のかな）
二人はまた歩き始めた。修一も慌てて後を追った。
夕暮れの住宅街。
結衣と早紀は手ぶらで並んで歩いていた。時折、二人の肩が触れ合う。早紀が何かを言うたびに、結衣が笑う。その笑い声が静かな住宅街に響いた。
修一は少し後ろで二人のカバンを持っている。腕が疲れ、指が痛み、背中が汗ばんできた。
その姿を見て、結衣が笑った。
「ねえ先輩」
「……はい？」
「なんでそんなに何でもしてくれるの？」
「……え？」
「だってさ、ジュースも買ってくれるし動画も編集してくれるし、ゴミも捨ててくれるし」
結衣は修一の両手を指さした。
「今なんかカバンまで持ってくれてるじゃん」
「……まあ……」
「普通、そこまでしなくない？」
修一は言葉に詰まった。
すると早紀が、楽しそうに微笑んだ。その笑顔が、どこか妖しい光を帯びている。
「先輩、私たちのこと好きなんでしょ？」
「……っ！」
修一の顔が赤くなった。
「い、いや……」
「違うの？」
早紀が首をかしげる。その動作で、ポニーテールがふわりと揺れうなじの白い肌が夕日に照らされた。
「そういうわけじゃ……」
「じゃあ好き？」
「……はい」
結衣が吹き出した。
「あはは！　先輩、また言っちゃった！」
早紀も笑った。
「ふふっ。ありがと」
修一は視線を落とした。
（また、からかわれた）
早紀への好意は本当だった。だからこそ、何も言い返せなかった。
嫌われたくない。明日も部室に来てほしい。また、自分に笑いかけてほしい。
そんな気持ちが、いつの間にか修一の判断を鈍らせていた。
「早紀、いま彼氏いないよ」
結衣の言葉に、修一は思わず早紀の顔に目を戻した。
早紀は立ち止まり修一のほうへ向き直る。夕日を背にして、彼女の表情は少し影になっていた。けれど、目だけが妙に鮮やかに光っている。
「もう一回目をちゃんと見て言ってほしいな」
その声は、甘えるようにしかしどこか試すように響いた。
そういう"好き"のつもりではなかったのに、流れ的にそうなってしまっている。
実際、出会って二日目だが修一にそういう気持ちは芽生えてきてしまっているのは事実だった。早紀の唇。白い喉。細い腕。揺れるポニーテール。それらが頭から離れない。
修一の目線は早紀に合わせる。早紀も修一を見ていた。
心臓がドクドクと波打って、息が苦しくなる。
「早紀さんが好きです」
早紀は目を合わせたまま手を後ろに組んで前屈みになる。その姿勢で、制服の襟元がわずかに開き白い胸元のラインが覗いた。彼女は少し首を傾げて見せる。
続きは？　というように。
「よ、よかったら付き合ってください……」
押し出されるように言葉が出てきてしまう。
「ごめん！　先輩とは付き合えないよ。さすがに」
早紀はあっさりと言った。
まるで、今日の帰りにコンビニへ寄るかどうかを聞かれて、断ったかのような口調だった。
「……え」
修一は、その場に立ち尽くした。
つい数秒前まで早紀は自分の目を見つめていた。両手を後ろで組み、少し前屈みになって首をかしげて。続きを待つような仕草をしていた。
だから。ほんの少しだけ、期待してしまった。
（さすがに？）
その言葉が、頭の中で繰り返された。
付き合えない。それは分かる。出会ってまだ二日だ。
けれど。
（さすがに、って……）
修一は唇を動かした。
「あ、はい……」
それしか言えなかった。
隣で結衣が、目を丸くしていた。
「えっ、先輩、本当に告白しちゃったの？」
「……」
「うそ、びっくりした！」
結衣は早紀の顔を見た。
早紀も少し困ったように笑っていた。その笑顔の裏で、何かを楽しむような光が一瞬だけ目に浮かんだ気がした。
「いや、先輩。私もびっくりしたよ」
「す、すみません……」
修一は反射的に謝った。
早紀が首をかしげる。その動作が、やけにゆっくりと感じられた。
「何で謝るの？」
「……いやその……」
「好きって言ってくれたのは嬉しいよ？」
「……はい」
「でも、付き合うのは違うかなって」
「……はい……」
「だって、まだ知り合ったばっかりじゃん？」
「……そうですよね」
修一は頷いた。
早紀の言っていることはもっともだった。何も間違っていない。むしろ、突然告白してしまった自分のほうがおかしい。
（……何で言っちゃったんだろ）
結衣が「早紀、いま彼氏いないよ」と言った。早紀が「もう一回目を見て言って」と言った。
それだけだった。
誰も、告白しろとは言っていない。自分が勝手に期待して。勝手に舞い上がって。勝手に告白して。そして振られた。
（……最悪だ）
修一は俯いた。
ふいに「ねえ先輩」
早紀の声がした。
「……はい」
「そんな落ち込まないでよ」
「すみません」
「だから、謝らなくていいって」
早紀は笑った。
「別に、嫌いになったわけじゃないんだから」
「……え？」
修一は思わず顔を上げた。
早紀はいつもと変わらない笑顔だった。けれど、その目の奥に何か計算高いものが光っていることに、修一は気づかなかった。
「先輩のこと、優しいと思ってるよ」
「……」
「動画も編集してくれるし、いろいろ助けてくれるし」
「……はい」
「だからこれからも仲良くしてね？」
修一の胸が、わずかに軽くなった。
（……仲良く、してくれるんだ）
振られた。けれど、嫌われたわけではない。明日も会える。
その事実に、修一は救われる思いがした。
「はい。もちろんです」
「よかった」
「先輩、そんな顔しないでよ」
結衣は修一と並んで歩き始めた。早紀は少し前を歩いている。夕日が、彼女の後ろ姿を長い影に変えていた。
「……え？」
「さっきから、めっちゃ落ち込んでるじゃん」
「いえ、大丈夫です」
「絶対大丈夫じゃないでしょ」
結衣は修一の顔を覗き込んだ。その拍子に、彼女の髪から甘い香りが漂う。修一は少しだけどきりとした。
「そんなにショックだった？」
「……まあ……」
「ふーん」
結衣は少し考えるような顔をした。それから、声を落とした。
「……でもさ先輩」
「……はい？」
「そんなに落ち込むことないと思うけどなー」
「……え？」
修一は思わず顔を上げた。
結衣は前を歩く早紀の背中をちらりと見た。そして修一にだけ聞こえるような声で続けた。
「だって早紀、先輩のこと結構気に入ってるよ？」
「……え？」
修一の足が、一瞬止まりかけた。
「……そ、そうなんですか？」
「うん」
結衣はあっさり頷いた。
「だって早紀が男の先輩とこんなに仲良くするの珍しいもん」
「そう、なんですか」
「そうだよー」
結衣は楽しそうに笑った。その笑い声が、修一の胸に小さな希望を灯す。
「しかも、先輩のことめっちゃ褒めてるし」
「褒めてる？」
「うん。優しいとか頼りになるとか」
修一は何も言えなくなった。
（早紀さんが、僕のことを？）
胸の奥で、さっきまで沈んでいた何かが少しだけ浮かび上がった。
結衣はさらに続けた。
「今日だってさ、動画編集してくれたじゃん？」
「……はい」
「早紀、すっごい喜んでたよ」
「そうですか」
「ジュースも買ってくれたし、カバンまで持ってくれてるし」
結衣は修一の両手を見た。
「先輩って、ほんと優しいよね」
「いえ、そんな……」
「そういうところ、早紀もちゃんと見てると思うよ？」
修一は早紀の後ろ姿を見つめた。
少し先を歩く、黒いポニーテール。夕日に照らされた横顔。制服のライン。揺れるスカート。
（ちゃんと、見てくれてるんだ）
そう思うと、胸が熱くなった。
けれど、すぐに現実が頭をよぎった。
『先輩とは付き合えないよ。さすがに』
「……でも、さっき断られましたし……」
修一は小さく呟いた。
結衣は不思議そうに首をかしげた。
「え？　でも、まだ二日目じゃん」
「……え？」
「知り合って二日で告白されたら、そりゃびっくりするでしょ」
「まあ、そうですね」
「だからさ」
結衣はにっこり笑った。その笑顔が、やけに近くに感じられた。
「これからもっと仲良くなればいいんじゃない？」
「……」
修一は返事ができなかった。
その考えは、告白する前の自分にもあった。
けれど、早紀から「期待しないで」と言われる前に、結衣の言葉を聞いてしまうと。
どうしても希望のように感じられた。
「そう、ですかね」
「うん！」
結衣は大きく頷いた。その拍子に、ふわりと甘い香りが修一の鼻腔をくすぐった。シャンプーだろうか、それとも柔軟剤だろうか。一年生の女の子から漂う匂いは、部室の汗と埃の匂いに慣れた修一の嗅覚を、いやに鮮明に刺激した。
「だって先輩、こんなに優しいんだもん」
そして、いたずらっぽく笑った。その笑顔は、まるで修一の胸の奥を指先でつつくような、そんな悪戯心に満ちていた。
「私だったら、こんなに何でもしてくれる人なかなか手放したくないけどなー」
「！」
修一の胸が跳ねた。心臓が肋骨の内側で暴れている。
（手放したくない）
その言葉だけが妙に耳に残った。頭のなかで反響して、消えない。結衣は何気なく言っただけなのかもしれない。けれど、修一には特別な意味があるように聞こえた。まるで、自分が結衣に「手放したくない」と思われているような、そんな錯覚。
「それにさ」
結衣が続けた。彼女は修一のすぐ隣を歩いている。肩と肩が触れそうな距離。いや、時折本当に触れている。そのたびに修一の腕の皮膚が、微かに粟立った。
「早紀、先輩がいない時も先輩の話してるよ」
「……えっ？」
修一は思わず結衣を見た。結衣はこちらを見上げていて、大きな瞳が至近距離で修一を捉えていた。
「僕の、ですか？」
「うん」
「……何て？」
「えー、気になる？」
結衣がにやりと笑った。その唇が、妙に艶めかしく見えた。いや見てはいけないと思いながら、視線は吸い寄せられるように彼女の口元へ落ちる。
「あ、いや……」
「ふふっ。気になるんだ？」
「……はい」
結衣は少しだけ声を潛めた。その声は、内緒話をするような秘密を共有するような、そんな甘い響きを帯びていた。
「今日だって先輩がジュース買いに行ってる時ずっと先輩の話してたし」
「そうなんですか？」
「うん。先輩って優しいよねーとか」
修一の胸が高鳴った。心臓がうるさい。こんなに鼓動が速いのは、走った後でもゲームで勝った時でもない。女の子の言葉ひとつで、こんなにも自分は単純に動かされるのか。
（僕がいない時にも）
結衣はさらに続けた。彼女の声は、修一の鼓膜を優しく撫でる。
「あと、何でも一生懸命やってくれるところがいいよねって」
「！」
「だから早紀、先輩のこと結構気に入ってると思うよ」
修一は前を歩く早紀を見た。早紀は振り返らず、すたすたと歩いている。その背中が、なんだかいつもよりまぶしく見えた。
（……気に入ってる）
告白は断られた。それでも嫌われているわけではない。むしろ自分がいないところでも話題にしてくれている。そう思うと、さっきまでの絶望感が少しずつ薄れていった。代わりに、別の感情がじわりと湧いてくる。期待。希望。そして、ほんの少しの──劣情。
「あの、結衣さん」
「ん？」
結衣が首をかしげる。その仕草が、小動物のように可愛らしくて修一の心臓はまた跳ねた。
「それ、本当ですか？」
結衣は修一を見上げた。少しだけ身を寄せて、腕が触れ合う。柔らかい。女の子の腕はこんなにも柔らかいのかと、修一は場違いなことを考えた。
「えー、私が嘘ついてると思う？」
「い、いえ！」
「じゃあ信じてよー」
結衣は笑った。その笑顔は、修一の疑念を溶かすように甘い。
「私、早紀の親友だよ？」
「……はい」
「先輩のこと、応援してあげようと思ってるのに」
「！」
修一は思わず背筋を伸ばした。応援。その言葉が、どれほど自分を救うか。振られた直後の自分にとって、早紀の親友が味方でいてくれることは、何よりも心強い。
「……ありがとうございます」
「ふふっ。いいよー」
結衣は満足そうに頷いた。その表情がほんの一瞬だけ変わったのに、修一は気づかなかった。結衣の目が、獲物を狙う猫のように細められたことに。その口元が、嗜虐的な笑みを浮かべたことに。
「ねえ先輩」
「……はい？」
「早紀にもっと好きになってもらいたい？」
「……えっ」
修一は顔を赤くした。その質問の意味を、頭が理解するより先に身体が反応した。
「……それは……」
「好きなんでしょ？」
「……はい」
「じゃあ頑張らなきゃね」
「頑張る、ですか？」
「うん！」
結衣は明るく頷いた。その拍子に、制服のスカートがわずかに揺れた。白い太ももが、一瞬だけ視界に入る。修一は慌てて目を逸らしたが、その映像はもう脳裏に焼き付いていた。
「早紀ってさ、優しい人が好きなんだよね」
「そうなんですか」
「そうそう。気が利く人とか、頼れる人とか」
結衣は修一の持っているカバンを見た。二人分のスクールバッグ。その重さが、なんだか心地よく感じられた。
「先輩、そういうの得意そうじゃん」
「得意、ですかね」
「うん。だって、私たちが困ってたらすぐ助けてくれるし」
「……まあ……」
「そういうの、続けてたらいいんじゃない？」
修一は少し考えた。結衣の言葉が、頭のなかで甘く溶けていく。
（……続ける）
動画編集。ジュースの買い出し。カバン持ち。今日一日、自分がしてきたことが頭に浮かぶ。
（そういうところを早紀さんは見てくれてるのかな）
結衣はにっこり笑った。その笑顔は、まるで修一の思考を肯定するように、優しく頷いていた。
「先輩これからも早紀に優しくしてあげてね」
「……はい」
「私にもね」
「……え？」
結衣が笑った。その声は、耳元で囁かれたように甘く響いた。
「だって、私、早紀の親友だもん」
「あ、はい」
「早紀のこと、いろいろ教えてあげられるかもしれないし」
「！」
修一は思わず頷いた。早紀のことを知る手がかり。それは、修一にとって何よりも価値のある情報だった。
「……よろしくお願いします」
「ふふっ。こちらこそー！」
結衣は楽しそうに笑った。修一は、結衣が自分の味方になってくれたような気がした。早紀の親友が応援してくれる。それは、修一にとって大きな希望だった。
（……結衣さんいい人だな）
自分の恋を応援してくれている。そう思うと、心強かった。結衣が何を考えているのか深く考える余裕はなかった。いや、考えないようにしていたのかもしれない。都合のいい解釈だけを、頭が勝手に選び取っていた。
「ねえ、先輩」
「……はい？」
「一つだけ約束してほしいんだけど」
「何ですか？」
結衣は人差し指を立てた。その指先が、修一の鼻先をちょんとつつく。柔らかい指の感触に、修一の心臓がまた跳ねた。
「早紀のこと好きだからって、私のこと適当に扱わないでね？」
「……えっ？」
修一は慌てて首を振った。結衣の指が、まだ鼻先に触れている。その距離の近さに、思考が鈍る。
「そ、そんなことしません！」
「ほんと？」
「……はい！」
「じゃあ、私のお願いもちゃんと聞いてくれる？」
「……もちろんです」
結衣は満足そうに笑った。その笑顔は、まるで罠にかかった獲物を見るような、そんな色をしていた。
「やった」
そして、修一の持っているスクールバッグをちらりと見た。その視線は、まるで品定めをするように修一の全身を舐めるように動いた。
「じゃあ、これからもよろしくね。先輩」
「……はい」
修一は頷いた。結衣の視線が身体の芯に熱を灯す。それが、恋愛感情なのかそれとも別の何かなのか、修一には区別がつかなかった。
（結衣さんにも嫌われないようにしないと）
早紀の親友。早紀のことをよく知っている人。そして自分の恋を応援してくれる人。修一の中で、結衣の存在が急に大きくなっていた。早紀以上に、いや、早紀と同じくらいに。
駅前に着いた。夕方の改札口は帰宅する学生や会社員で混雑していた。人の流れに押されながら、結衣が修一の腕に手を絡めてきた。咄嗟のことで、修一は反応できない。柔らかい胸の感触が、二の腕に当たっている。ほんの一瞬。けれど、その一瞬は修一のなかで永遠に近い残像を残した。
「あ、もうこんな時間！」
早紀がスマートフォンを確認した。結衣はすっと手を離した。その動作があまりにも自然で、修一は何も言えなかった。
「結衣、電車あと何分？」
「えーっと……六分！」
「じゃあ急がなきゃ」
二人は改札のほうへ歩き始めた。修一も慌てて後を追う。両手にはまだ二人のスクールバッグ。その重さが、なんだか妙に嬉しかった。
「……あの」
「ん？　どうしたの、先輩？」
結衣が振り返った。その顔はもう先ほどまでの小悪魔的な表情ではなく、あどけない一年生のものだった。その切り替えの早さに、修一は気づかない。
「……僕反対方向なので……」
「あ、そっか！」
結衣は笑った。その笑顔は、無邪気で、可愛らしくて修一の胸を締め付けた。
「先輩、こっちじゃないんだったね」
「……はい」
早紀も振り返った。
「じゃあ、カバンここでいいよ」
「あ、はい」
修一はまず結衣のカバンを差し出した。結衣は受け取ると、軽々と肩に掛けた。その拍子に、制服の襟元が少しだけはだけた。白い鎖骨が、夕陽に照らされて浮かび上がる。修一は慌てて目を逸らした。
「ありがとー！」
続いて早紀のカバン。
「先輩、ありがとね」
「……いえ」
早紀はにっこり笑った。その笑顔は、以前と同じように見えた。けれど、結衣の言葉を聞いた後ではその意味が違って感じられた。
「今日めっちゃ助かった」
「そうですか」
「うん。明日もお願いしていい？」
「……はい！」
修一は即答した。考えるより先に、口が動いていた。
結衣が笑った。
「先輩、返事早っ！」
「あ」
「ふふっ。そんなに嬉しいんだ？」
「い、いえ……」
早紀も楽しそうに笑った。その笑い声が、修一のなかで甘く反響する。
「じゃあ明日もよろしくね」
「……はい」
修一は二人を見た。もう少し、一緒にいたかった。けれど二人は同じ電車に乗って帰る。自分だけが反対方向。
（……そうか。二人はいつも一緒なんだ）
早紀と二人きりになれた昨日の帰り道。あれは、結衣が途中で別れたからこそ生まれた時間だった。今日のように三人で帰れば、早紀と二人きりにはなれない。そのことに、修一は初めて気づいた。同時に、結衣が自分の恋の障害になり得る存在でもあることに。
「あ、そうだ！」
結衣が何かを思いついたように声を上げた。
「先輩、早紀ともうちょっと話したい？」
「……えっ？」
修一は思わず顔を上げた。早紀も結衣を見た。
「何、急に」
「だって、先輩さっきから名残惜しそうなんだもん」
「……っ！」
修一は慌てた。
「そ、そんなこと……」
結衣はにやにや笑った。その目が、修一の心の内を見透かすように細められる。
「えー違うの？」
「じゃあ私ちょっと先に改札行ってようか？」
修一の胸が跳ねた。
（二人きりに、してくれる？）
その言葉が、一瞬だけ光のように輝いた。けれど、早紀がスマートフォンを見た。
「えー、でも電車もうすぐだよ？」
「あ、そっか」
結衣はあっさり頷いた。その切り替えの早さに、修一の期待はあっけなく砕かれた。
「じゃあ今日は無理だね」
修一は何も言えなかった。ほんの数秒前まで、早紀と二人きりになれるかもしれないと思っていた。その期待は、あっという間に消えてしまった。結衣が修一の顔を覗き込む。その顔が、至近距離にある。吐息が頬にかかる。
「先輩、残念？」
「い、いえ」
「ふふっ。分かりやすいなー」
早紀も笑った。
「また明日会えるじゃん」
「……はい」
「そんな寂しそうな顔しないでよ」
「すみません」
「ふふっ。また謝ってる」
早紀は手を振った。
「じゃあね、先輩」
「また明日」
結衣も手を振る。その手が、修一の胸のあたりをくすぐるように動いた。
「先輩、明日もよろしくねー！」
「……はい！」
二人は並んで改札へ向かった。修一は、その後ろ姿を見送った。早紀と結衣が何かを話している。結衣が笑い早紀も笑った。そのまま二人は改札を通り、人混みの向こうへ消えていった。
（何の話してるんだろ）
修一には分からなかった。ただ、自分のことだったらいいなと思った。そして、結衣が自分のことを話してくれているのなら、それはきっといい方向に違いないと。
帰りの電車。修一は窓際の座席に座っていた。車内はそれほど混んでいなかった。いつもならスマートフォンでゲームの攻略動画でも見るところだった。けれど今日は、LINEの画面を開いたまま何度も確認していた。
（結衣さん早紀さんと何か話してるのかな）
二人は同じ方向の電車に乗った。きっと今頃、隣同士で座っているのだろう。何を話しているのか。自分の告白のことだろうか。それとも、全然関係ない話だろうか。
そんなことを考えていると。
ブブッ。
スマートフォンが震えた。結衣からだった。
**結衣：先輩ー！**
修一は慌てて画面を開いた。
**修一：はい！　どうしましたか？**
すぐに既読がついた。
**結衣：もう元気出た？笑**
**修一：はい、大丈夫です！**
**結衣：ほんとかなー？**
**修一：本当です！**
**結衣：じゃあ質問！**
修一は画面を見つめた。
**結衣：早紀のこと、まだ好き？**
「っ」
修一は思わず周囲を見回した。誰もこちらを見ていない。それでも顔が熱くなった。
（また、その質問……）
どう返せばいいのだろう。早紀には、もう付き合えないと言われている。けれど、結衣は応援してくれると言っていた。修一は慎重に文字を打った。
**修一：はい。まだ好きです。**
送信。すぐに既読。
**結衣：よかった**
（よかった？）
修一は首をかしげた。続けてメッセージが届いた。
**結衣：先輩、すぐ諦めちゃうのかと思った笑**
**修一：そんなことないです！**
**結衣：えらいえらい**
修一は画面を見つめた。
（……えらいって）
相手は二つ年下の女の子だ。なのに、自分は褒められて嬉しくなっている。その事実が、なぜだか心地よかった。年下の女の子に褒められる。それは、普段の自分では味わえない感覚だった。少しだけ、背徳的な甘さがあった。
**結衣：じゃあこれからも頑張ろうね！**
**修一：はい！**
**結衣：私も協力してあげる**
**修一：ありがとうございます！**
送信したあと、修一は少し考えた。
（協力してくれるんだ）
早紀と二人きりになれる機会も、結衣が作ってくれるかもしれない。早紀の好きなものも、教えてもらえるかもしれない。そんな未来を想像すると、胸が高鳴った。その想像のなかで、結衣はいつも笑っていた。自分の味方として、そばにいてくれる。そんな都合のいい妄想が、頭のなかで膨らんでいく。
数分後。再び結衣からメッセージが届いた。
**結衣：あそうだ！**
**修一：はい？**
**結衣：明日早紀と私の動画また編集してほしいんだけど**
**修一：もちろんです！**
**結衣：ほんと？　やったー！**
**結衣：あと早紀がレモンティー好きなの覚えてるよね？**
修一の指が止まった。
（……レモンティー）
今日の部室。早紀がレモンティーを飲み干した場面が蘇る。欲しいと言えなかった。結局、自分は一口も飲めなかった。その悔しさが、喉の奥にまだ残っている。
**修一：はい、覚えてます！**
**結衣：さすが先輩**
**結衣：じゃあ明日も買ってあげたら？**
修一は少し迷った。昨日も今日も、自分がお金を出している。明日も二本買えば三日で九百六十円。
（こんな計算するのが、けち臭いのかな）
アルバイトをしているとはいえ、自由に使えるお金は限られている。ゲームの新作も欲しかったし、そろそろヘッドセットも買い替えたかった。
（……もっとバイト増やしたほうがいいのかな）
そんなことを考えていると結衣から続けてメッセージが届いた。
**結衣：気遣いってめっちゃ大事だよ**
**結衣：年上の男の人ってやっぱり頼りになるほうがいいじゃん？**
修一は画面を見つめた。
（……頼りになる男）
確かに、自分は三年生だ。早紀と結衣は一年生。二つも年上なのだから少しくらい余裕を見せたほうがいいのかもしれない。そして、その「余裕」が、早紀の心を掴むのだとしたら。修一はその言葉を、都合よく解釈した。
**修一：分かりました！　明日も買ってあげようと思います！**
**結衣：いいねー**
**結衣：早紀喜ぶと思うよ！**
修一の胸が高鳴った。
（早紀さんが喜んでくれるなら）
三百二十円くらい惜しんでいる場合ではない。そう思い始めたところで、結衣からもう一通届いた。
**結衣：あ、でも私の分はいいからね！**
「……え？」
修一は思わず声を出した。
**結衣：先輩、早紀のこと好きなんだもんね笑**
**結衣：私は別に気にしないから**
修一は画面を見つめた。
（結衣さんの分は、いらない？）
昨日も今日も、二人分買っていた。明日は早紀の分だけでいいということだろうか。それなら百六十円で済む。少しだけ、ほっとした。
しかし。
（……いや待てよ）
修一は考え直した。早紀にだけレモンティーを渡す。その隣で、結衣は何も飲まずに見ている。その光景を想像すると、なんだか居心地が悪かった。結衣は早紀の親友だ。しかも、自分の恋を応援してくれている。今日だって、振られた自分を励ましてくれた。
『早紀、先輩のこと結構気に入ってるよ？』
『私も協力してあげる』
あんなに親切にしてくれた結衣に、自分は何もしなくていいのだろうか。
（いや、駄目だよな）
修一はスマートフォンを握り直した。結衣の「いらない」という言葉は、本当にそう思ってのものなのか。それとも、遠慮しているだけなのか。修一には判断がつかなかった。けれど、自分がここで何もしなければ結衣はどう思うだろうか。
（結衣さんにも、ちゃんとお礼しないと）
返信を打とうとしたところで、また通知が届いた。
**結衣：それに先輩毎回二人分だと大変でしょ？**
**結衣：無理しなくていいからね**
修一はその文章を何度も読み返した。
（……結衣さん、僕のお金のことまで気にしてくれてるんだ）
早紀との恋を応援してくれて。自分の気持ちを励ましてくれて。そのうえお金の心配までしてくれる。
（本当に優しい人だな）
それなのに、自分はさっきまで三百二十円を惜しんでいた。急に、それが恥ずかしくなった。年上の男として、情けない。こんなことで悩んでいる自分が、急に小さく思えた。
（……こんなに親切にしてくれる人に、僕は……）
修一は少し考えてから文字を打った。
**修一：いえ！　結衣さんの分も買います！**
送信。数秒後、既読がついた。
**結衣：えっ、いいの？**
**結衣：私、別にお願いしてないよ？笑**
修一は慌てて返信した。
**修一：はい！　僕が買いたいんです！**
**結衣：ほんとに？**
**修一：もちろんです！**
**結衣：でも無理してない？**
**修一：全然大丈夫です！**
本当は、少しだけ無理をしていた。けれどそれを結衣に伝えるつもりはなかった。ここで「無理です」なんて言ったら、かっこ悪い。年上の男なのだ。頼りになるところを見せたい。何より、結衣にはこれからも早紀との恋を応援してほしかった。そのためには、いい格好をし続けなければならなかった。
しばらくして、返信が届いた。
**結衣：そっか**
**結衣：じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかな**
修一の顔が明るくなった。
**修一：はい！**
**結衣：先輩、ほんと優しいね**
**結衣：早紀が先輩のこと気に入ってる理由、分かる気がする！**
「……っ！」
修一は思わずスマートフォンを持ち直した。
（……早紀さんが、僕を気に入ってる理由）
自分が気を利かせたことを結衣は褒めてくれた。しかも早紀もそういうところを気に入っているという。その言葉が、修一のなかで何よりも大きな意味を持った。自分の行動が、早紀の評価に繋がっている。そう思うと、自然と顔が緩んだ。
（よかった）
修一は胸を撫で下ろした。これで明日も二人に喜んでもらえる。そして、早紀に少しでもいいところを見せられる。そんな気がした。
**結衣：じゃあ明日、ミルクティー楽しみにしてるね**
**修一：はい！　任せてください！**
**結衣：ふふっ。頼りにしてるよ先輩**
修一は満足そうに頷いた。
（任せてください、か）
自分でも少し男らしい返事ができた気がした。結衣は一度も、自分のミルクティーを買ってほしいとは言わなかった。むしろ、何度も遠慮してくれた。それでも、修一は自分から買うと申し出た。結衣が喜んでくれたことが、嬉しかった。その喜びは早紀に褒められるのとはまた違う、甘やかされるようなそんな感覚だった。
（これでよかったんだ）
修一はスマートフォンを机に置いた。明日は早紀にレモンティー。結衣にはミルクティー。二人の動画を編集して帰りにはカバンを持ってあげる。
（……もっと頼りになる先輩になろう）
そう決めた。その決意は清々しいほどに純粋で、そしてあまりにも都合のいい勘違いに支えられていた。
ただ、修一は気づいていなかった。結衣が「私の分はいらない」と言う前、修一は二本買うかどうか迷っていた。結衣が「無理しなくていい」と言った後、修一は自分から二本買うことを約束していた。しかも最後には。
『僕が買いたいんです！』
とまで言っている。結衣は自分の飲み物をねだったわけではない。少なくとも、LINEの文章だけを読めばそうだった。修一自身も、そう信じていた。
だから明日、二人分の飲み物を買っても誰かに買わされたとは思わないだろう。むしろ、自分から気遣いのできる男になれたと、少し誇らしく感じるかもしれない。二本のジュースを買うという行動は昨日と何も変わっていない。変わったのは修一がそれを「頼まれた仕事」ではなく「自分の魅力を伝える機会」だと思うようになったことだった。


――第4話・終わり。
