ムーン・バックヘルの広大な面積を誇るクレータの窪みの底に、彼女は八名の戦闘着を纏った戦士を背後に従え、悠然と立っていた。
白とオレンジの鮮やかなセーラーカラーのコスチュームを身に纏い、膝の裏まである長い黄金の髪をそよ風に靡かせていた。
そして、黄金の髪に守られるように収まる顔は、深海に眠る宝玉のような藍色の、見るものを吸い寄せるように大きく、長い睫毛によって縁取られた瞼の奥で永劫とも言えるべき輝きを讃えて、すっと伸びた鼻筋と高い小鼻とその下にある鮮やかな薄桃色の禁断の果実のような形の良い唇が、柔らかく丸みを帯びた頬を全て包み込み、彼女の造形美を、十二分に醸し出していた。
大きな瞳と丸みを帯びた頬が幼さを隠しきれていなかったが、それはまるで美の天使のような可憐な美しさだった。成人した大人の女性になったら、比べるものがないほどの、美しい女性になるであろうと、誰もが思ってしまうような、そんな美しい少女であった。
それもそのはずである。彼女こそ、美の女神アフロディーテに選ばれ、美の女神を守護に持つ金星のプリンセス、セーラーヴィーナスなのだ。
肩当てから伸びる腕は肘までを、細くしなやかな素肌をさらし、肘から手の先までをぴったりと張り付いたような白いグローブで覆われていた。
オレンジのミニスカートの下から延びる二本の長く細い脚は、たおやかに伸び、無駄な肉が一切ない優美な脚線を描き、オレンジ色のヒールがしっかりと大地を踏みしめていた。
オレンジに白い一本線が入ったセーラーカラーのV字に開いた襟元からは、艶かしく鎖骨を覗かせ、細い首筋から艶のある瑞々しい白磁のような透通る肌を胸元まで曝け出していた。
小柄な体ながらも、すでに美の女神の寵愛を受けているように、その姿は芸術品のような優雅さを誇っていた。
まだ十四歳の彼女は、真直ぐ大地の先を見て、幼いながらもしっかり戦士としての風格を備えてもいた。
このムーン・バックヘルの番人と称されるヴァルカンはヴィーナスの前に進み出る。ヴァルカンは、ヴィーナスより頭二つ半大きかった。
「ようこそいらっしゃいました、そしてはじめまして、セーラーヴィーナス。わたしがこのムーン・バックヘルの番人、ヴァルカンと申すものでございます」
ヴィーナスの前で立ち止まると、片手を胸の前に添えて、恭しく腰を折り頭を下げる。
「はじめまして、ヴァルカン」
涼やかで高い声がヴァルカンの耳に入ってくる。
「わたしが新代のセーラーヴィーナスです。これからこの地で、しばらくの間お世話になります」
頭を上げたヴァルカンを見上げるように上目遣いに見据える瞳は、意思の強い光を宿していた。しっかりとした口調も、とても十四歳とは思えずに、セーラー戦士としての自覚を十分に持っている言葉だった。
「おって五日のうちには、残りのアムールナイツのメンバーも到着します」
それでも少しは緊張しているようにヴァルカンは感じた。
「では、こちらへ。皆様をお部屋にご案内いたします。今日はごゆっくりお休みになり、明日からの英気を養ってください」
ヴァルカンは、セーラーヴィーナス以下アムールナイツの面々を地下の居住区へ案内した。
出入り口の先は左右に別れ、左側が居住区へ続く長い回廊であった。ちなみ右側が、集団生活に必要な調房や倉庫、浴場などの雑居区である。
ヴァルカンは先頭を進みながら、各部屋にアムールナイツをそれぞれ案内した。
アムールナイツの部屋は、比較的出入り口に近く、それぞれ二名から五名の相部屋を紹介された。
今日ヴィーナスと一緒に来たのはアムールナイツの中でも将軍クラスと呼ばれる四名を含めた八名だけで、四人の将軍クラスは二部屋を与えられて、他の四名は一つの相部屋だった。
アムールナイツがそれぞれの部屋に消えていくと、残ったのはヴィーナスとヴァルカンだけとなった。
「まだ、私の部屋へは付かないのですか?」
しばらくしてから、さすがのヴィーナスも不審がり声を上げた。
その間、廊下は奥へどんどん進んでいるようで、廊下の壁にかけられたランプの明りさえ細々となり、薄暗くなっていった。
「もうしばらくのご辛抱を、なにぶんヴィーナスのお部屋は特別のあつらえですので、一番奥になっているのですよ」
ヴァルカンが答える。
「そう………初めてだからかしら、なんとなく薄気味悪く感じるわ。あっ、ごめんなさい」
ヴィーナスは周りをキョロキョロと見回しながら率直な言葉を吐いたが、すぐに、その薄気味悪いところにずっと一人で住んでいるヴァルカンに、嫌なもの言いをしてしまったと思ったようで謝ってきた。
この辺りがまだ、子供だなとヴァルカンは内心でほくそ笑む。
「いいえ、大丈夫ですよ。歴代のヴィーナスも最初はみなそう仰いますので。それに私は気にしませんし、結構気に入ってもいるのですよ。」
ヴァルカンはいたってのんびりと返答した。
この地でヴァルカンは何年も住んでいた。いや、何万年といっても過言ではない。特殊な任務を与えられて、ヴァルカンという男は、この地にずっと一人で住んできたのである。
ヴァルカンの本当の年齢を知る人物は、ヴァルカン自身しかいなかったのである。
途中で、「ここが私の部屋です」と、ヴァルカン自身の部屋を紹介し、そのままさらに進むと、ようやく廊下が行き止まりになった。
廊下の行き止まりには豪奢なつくりの観音開きの扉がある。左右の扉には、ヴィーナスを模した女神像らしき裸の女性がそれぞれ向き合い、天に腕を伸ばし何かを乞うような姿の彫り物がなされ、その周りに幾人もの戦士が控える光景が彫られていた。それはまるで幻想的な風景でもあった。
「到着いたしました、ヴィーナス。ここがあなたのお部屋でございます」
ヴァルカンが恭しく言い、扉の脇の壁に掌を当てるように置くと、ゆっくりと観音開きの扉が左右に開かれていった。
「何も………見えないわね。明りはないの?」
ヴィーナスが廊下からその中の様子を伺うが、開いた扉の先は真っ暗で何も見えなかった。
ヴァルカンは、扉の脇でヴィーナスに入室を促し、ヴィーナスがキョロキョロ見回しながら先に部屋の中へ入る。
「今お点けしますよ、この地に居る間のあなたのお部屋はここでしかないのですよ。ヴィーナス」
ヴァルカンがヴィーナスの後に続いて入るとそう声をかけた。
「えっ!?」
驚いて振り返るヴィーナス。
と、突然今二人が入って来たばかりの扉が、大音響をだして閉じられた。
ヴィーナスは反射的に耳を押さえる。
そして、扉が閉じられると同時に、ぱっと部屋の中が眩い光に包まれた。
眩い閃光がいっきに放たれて、ヴィーナスは眩しさのあまりに、目を瞑り、腕を翳してしまった。
「なっ、何なのこれは!?」
あまりの突然の扉の閉まる音と閃光に、扉の傍にいるはずのヴァルカンに抗議の声を上げた。
「………」
しかし、ヴァルカンからの返答はなかった。
ヴィーナスは、腕を翳したまま、ゆっくりと瞼を開けていく。まだ少し目がチカチカしたが、次第に部屋の明りに慣れていった。
「ヴァルカン………」
ヴィーナスは、ようやく瞼を広げ、その澄み切った瞳を扉の方に向けた。が、そこにヴァルカンはいなかった。
「どこにいるのです!」
ヴァルカンがいないことに声を上げ、慌てて部屋の中を見たヴィーナスは、言葉を飲み込んでしまった。
「どうですかな、ここがあなたのお部屋ですよ」
ヴァルカンは部屋の中央にすでに移動していた。そこで、口元を歪め不気味な笑みをたたえて答えた。
「――――これが私の部屋………」
ヴィーナスは、呆然とした表情で声を絞り出す。
その部屋の中の様子を見て、言い知れぬ不安が襲ってきていた。
白色の明りで浮かびあがった部屋の中は、ヴィーナスが知るどの部屋とも、まったく異質のものであった。
くすんだ赤茶けた色のタイルが張られた壁と天井。奥には重たそうな鉄の扉がある。窓さえない狭い殺風景な印象で、陰湿なこじんまりとした部屋であった。
左側に粗末なベッドがあるだけで、その他のものは何もなかった。ベッドの上にはマットレスと一枚のシーツがあるだけだった。
シルバーミレニアムの守護戦士セーラー戦士に与えられる個室とは到底思えないほどの粗末な部屋である。
「じょ、冗談でしょ、ヴァルカン。ここが私の部屋だと言うのですか。これではまるで――――」
ヴィーナスは、不安を覚えながらも、正面に立つヴァルカンに声を上げる。いくらなんでも自分に与えられるような部屋ではなかったのである。
そして、ヴィーナスの記憶の中でこういう部屋の造りを思い出した。セーラーヴィーナスを引き継いでから、様々な文献を読んでいたが、その中にこの部屋とまったく同じものが図解入りで載っていたのを思い出したのである。
罪人などの捕囚を閉じ込めておく囚人部屋。それと作りが同じだったのである。
その記憶を思い出し、背筋に冷たいものが流れ、額から汗が噴出してくる思いだった。
「冗談ではありませんよ、ヴィーナス。ここがあなたのお部屋です」
ヴァルカンはニヤつきながらヴィーナスの方を注視し、口元に笑みをこぼしながら答える。
「この地に滞在される間、あなたにはこの部屋で寝泊りしていただきます」
「いい加減にして! 冗談にも程度というものがあります。ここは捕虜を閉じ込めえおく部屋ではないですか、私がいるような部屋ではありません!」
ヴィーナスは叱責を浴びせる。
これでもセーラー戦士である。まるで捕虜のような扱いを受けると思えてしまう部屋を与えられたことに憤激していた。
まだ歳若く子供だと蔑まれていると感じてしまったのである。
「言ったでしょ、冗談ではありませんと。ここがあなたのお部屋です。この部屋こそが、あなたのために、セーラーヴィーナスのために用意された、お部屋なのですよ」
ヴァルカンが、ゆっくりと近づいてきた。
ヴィーナスは、そのヴァルカンの言葉と、その不気味な表情に圧倒され、後退ってしまった。が、それでも、セーラー戦士としての威厳は保っていた。
「冗談ではありません! このような部屋に私が入られるいわれはありません! 今すぐ別の部屋を用意しなさい!!」
ヴィーナスは、声を張り上げヴァルカンに言う。
だが、ヴァルカンは黙ったまま、尚も近づいてくる。
その異様な姿に、言い知れぬ不安を感じたヴィーナスは、毅然とした態度を保ちつつ踵を返し、入って来た扉を開けて出て行こうとした。
しかし、そこに入ってきたばかりの扉の痕跡はなく、やはりくすんだ赤茶けた色のタイルの壁があるだけだった。
「こ、これはっ! これはどういうことです、ヴァルカン!!」
完全に閉じ込められた部屋の中で、ヴィーナスの不安はますます高まる。
「無駄ですよ、ここからしばらくあなたはこの部屋の住人になるのです。あなたはここから出る事しばらくの間許されないのですから、出入りの扉など必要ないでしょう。この部屋の中から出るには私しか知らない特殊なキーワードを唱えないといけません」
ヴァルカンは、近づきながら答える。
「ど………どういう意味です」
毅然とした態度を保っていても、まだセーラー戦士になりたての今のヴィーナスには、事態を把握し最善の対処をする考えが浮かんでこなかった。
それ以上に目の前の男が、何か凶悪なもののように思えてしまい、不安と恐れが沸き起こってくる。
「おいおいお話して差し上げましょう。なぜあなたがこういうところに閉じ込められて、どういう目にあわせられるかを………」
「どういう目………それっ………」
ヴァルカンの言葉をまだ理解できないヴィーナスは、ヴァルカンが近寄るたび後退ってしまう。
不安と恐怖のために身体が震えてきていた。ヴァルカンの言葉には、よからぬ響きが含まれており、決してヴィーナス自身にとっては良い事ではないと感じ取れた。
ヴァルカンは一歩一歩確実に近寄ってくる。遂にヴィーナスは扉があったはずの壁に追い込まれた。
まだ歳若いヴィーナスは、まだまだ精神的に弱い部分がありすぎた。
その顔からは血の気が失せ身体が震えていた。それほど目の前に迫りくる男の姿が、ヴィーナスには恐ろしく感じた。
「一つだけ、言っておきましょう」
ヴァルカンがふいに立ち止まり言う。
ヴィーナスは声さえ出せずに、怯えた瞳でヴァルカンを見た。
「歴代のセーラーヴィーナスの皆さんも、通ってこられた道です。無論、あなたのように最初は激しく抵抗いたしましたがね」
「えっ!?」
歴代のヴィーナスも、同じようにこの部屋に連れて来られていたと知り、そして最初はみんな抵抗していたという言葉に、ヴィーナスの不安と恐怖はいっきに膨れ上がった。
「では、始めましょうか、ヴィーナス」
立ち止まっていたヴァルカンが、口元に笑みを浮かべて言い放つと、向けていた目の中の瞳が妖しく光った。