第4話 不安と恐怖の始まり

「フフフ、怯えているようですな。ヴィーナス」
 ヴァルカンは面白そうに笑む。
 相手に対して恐怖を覚えてしまったヴィーナスの瞳は、怯えの色を見せ、膝がガクガクと震えているのが分かった。だが、今のヴィーナスにはどうすることもできない。
 まだ少女のヴィーナスにとっては、真の恐怖を始めて感じてしまい、どう対処して良いのか分からずに、内心の怯えを必死に隠そうと強がって見せることしかできなかった。
「では、まいりましょう」
 ヴァルカンの声にヴィーナスは緊張する。再びあの攻撃を受けると思ってしまう。
「えっ、な、なに!!」
 だが、ヴァルカンはヴィーナスを見詰めたまま、その場に立ち止まったままだった。
 しかし、ヴィーナスは、いきなり身体が宙に持ち上がり、床から数センチ足元が離れて浮いた状態になってしまった。
 自分の状態に戸惑うヴィーナス。いきなり宙に浮いて、もがいてもどうすることもできなかったのである。
「では、はじめますよ、ヴィーナス。美しい舞をご披露下さい………」
 ヴァルカンの不気味な声が聞こえる。そして、ヴァルカンは両手を横に掲げると、その手の平から、淡く光る円盤状のものを生み出したのである。
「な、何をする気なのっ!」
 ヴィーナスは恐怖と不安の入り混じった戸惑いの声を上げた。

――――中略――――

「――――う、嘘です! そんな事ありません!!」
 ヴィーナスは恐怖と絶望に震えてきた体に鞭を入れるように声を荒げた。
 ヴァルカンが再び動き出し、自分に迫ってきたと思うと、逃げ道を探すように、キョロキョロと辺りを見回した。
 だが、部屋の奥に追い詰められたヴィーナスには、ヴァルカンの横を通って、反対側に向かう勇気がなかった。
 それでも諦めきれないヴィーナスは、自分が背にしている扉の取手を握り引き始める。
 鉄の扉は重かった。セーラー戦士のヴィーナスでさえ、なかなか開けるのは容易ではない。
(開いて! お願い!!)
 鍵がかかっているのかもしれないと、絶望が支配しだしたとき、ゆっくりとではあるが、扉が動き始めた。
 それでも扉は重く、勢い良くは開かない。ヴィーナスは歯を食い縛り、渾身の力を込めて、扉を引き続けた。
「その奥に逃げようというのですかな、どこへ行こうとも、逃れる術はありませんよ、ヴィーナス」
 ヴァルカンの声が間近まで迫ってきた。ヴィーナスはそれでも扉を引き続けた。
 ようやく自分ひとりが入れるほど扉が開くと、ヴィーナスはそこから扉の中に入った。
 扉の向こう側は、真っ暗で扉の隙間から今までいた部屋の明りが僅かに射すだけだったが、中の様子を気にする余裕さえないヴィーナスは、今度は扉を閉め始める。
 重い扉がバシャンッという重たい音をたてて閉まった。奥の部屋の中は完全な暗がりになってしまったが、ヴァルカンがこの部屋の中に入って来た気配がないことから、ヴィーナスはほっと胸を撫で下ろした。
 ここに避難していれば、いずれ自分の行方がわからなくなった事に気づいたアムールナイツの面々が助けに来てくれると思っていた。
 密閉された暗闇の空間は、恐ろしくもあったが、セーラーヴィーナスを引き継ぐための訓練で、まる五日堪えた自信もあった。それにヴァルカンの恐ろしさに比べれば、ここの恐ろしさなど、なんとも思わなかったのである。
 ヴァルカンの脅威が去って、ようやくヴィーナスは安心し、ヴァルカンの言葉を思い出して、その意味を考えようとしたその時。
「その扉を自力で開けるとは、本当に優秀なセーラー戦士ですな、あなたは」
 悪魔の声がヴィーナスの背後から聞こえた。
「う………嘘………な、なんで――――きゃあ!」
 扉に頭を持たれかけて安堵していたヴィーナスは、驚愕と恐怖に顔を上げて振り返ろうとした。が、いきなり背後から男によって抱きすくめられてしまったのである。
「いやぁぁああ! 放してぇぇ! 放してぇぇぇえええ!!」
 両腕の横から腹部に腕を組んだ形で、背後から抱きすくめられたヴィーナスは、必死に身を捩り、男の腕を払いのけようとした。だが、男の腕の力は強く、ピクリともしない。 「本当に素晴らしいセーラー戦士ですね、あなたは」
 ヴァルカンの恐るべき声が頭の上から聞こえ、ヴィーナスの身体は硬直した。あまりにもおぞましき悪魔のささやきに身体が動けなくなってしまったのである。
「その扉は、歴代のセーラーヴィーナスは、誰一人として開けることはできなかったのですよ。本当に素晴らしいです」
「い………いやぁぁ………あううぅぅ」
 ヴァルカンの腕は片手だけが、身体を抱きしめるように残され、もう片手が、ヴィーナスの顎を捉えた。骨が折れてしまいそうなほどの痛みが走り、体を持ち上げられた。
 真っ暗な闇の中、ヴィーナスはあまりの恐怖に動けず、顎を引かれて、背後から覗くように顔を出したヴァルカンの間近に、怯えた顔を近づけさせられた。何とか絞り出る言葉も弱々しい、吐息のようであった。
「実に素晴らしいですよ、ヴィーナス。そうですな、せっかくあなた自身からこの部屋に来られたのですから、この部屋であなたを歓迎することに致しましょう」
 ヴィーナスは、部屋の奥の方へ正面を向けさせるように、身体を反転させられた。
「じっくりとこの部屋の中をご覧下さい、ヴィーナス」
 ヴァルカンの低い邪悪な声に、ヴィーナスは怯える目を、まだ真っ暗な部屋の奥に向けることしかできなかった。
 部屋の中は、次第に明るくなっていく。前の部屋のように急激な光で照らされるのではなく、徐々に光が点いていくようだった。
 ヴィーナスの目には、徐々に明るくなる部屋の奥が見え始めた。
「なっ………!?」
 闇が薄くなり、奥の様子が分かりだすと、そこにある数々の道具類に、ヴィーナスは戦慄を覚えた。
 その道具が、ヴィーナスにはどういう使われ方をする道具なのか、一切分からなかったが、それは紛れもないほどに、妖しく禍々しい雰囲気を漂わせていた。決してヴィーナス自身にとっては、良くない結果しか出ないような道具類だった。
 先ほどの部屋の方が、はるかに良かったと思えてくるほど、この部屋は凶悪な巣窟のように思えてくる。まるで、拷問部屋のように………

第5話へ続く