「ふゎっ…ぁ……しまった…すっかり眠っちまっていたようだ……それにしても、やけに暗いな…いま何時だ…?」

 俺は居間のソファでクラシックを聴きながら午後到着予定の荷物を待っていたのだが、いつの間にか眠り込んでしまっていたようだ。陽はすっかり落ち、窓の外はすでに真っ暗になっていた。
 俺は部屋の灯りを点け、壁掛け時計に目をやった。

「…8時…だと?」

 約束の時間は午後5時のはずだが、予定の時間を大幅に過ぎていた。どうなっているんだ? …と思った丁度その時。

ピンポーン…

 部屋の中が静まり返っていたせいか、インターホンの音は一際大きく聞こえた。

「…やれやれ、やっと来たか」











「…遅かったな、お前ら。何をやってたんだ?」
「あぁ…、やはりいらっしゃったんですか。約束のお時間に一度伺ったんですが、返事が無かったものでてっきりお留守かと思ってましたよ」
「…それで表でずっと待たせてもらっていたんですが、先ほど部屋が明るくなるのが見えたので早速お邪魔させてもらった次第です。お昼寝でもされてたんですか…?」
「まぁ、そんなとこだ。それより荷物だ…首尾はどうだった?」
「はい。もちろん上手くいきました。荷台に積んでありますので…今、お持ちします」
「ああ、頼む」

 男たちは表の車道に停めてあるトラックへ荷物を取りに向かった。それにしても、彼らの仕事の早さにはいつも感心させられる。今回も俺が依頼してからまだ一週間足らずだというのに、もう仕事を完遂してきたのだから。

「さて…、忙しくなるな」











 一週間前…

 近年類を見ない記録的な大雪に見舞われた厳しい冬が終わり、すっかり春らしくなった先週の日曜日、俺は近所の商店街をひとりで歩いていた。

「ねぇ、お願い〜! ママぁ、これ買って〜!」
「また〜? 沙紀ちゃん、もうこれと同じのいくつも持ってるでしょう?」
「え〜!? 全然違うもん。ねぇ、お願い〜!」

 おもちゃ屋のショーウインドウの前で全然知らない少女が両親におもちゃをねだっていた。普段は他人の振る舞いなど気にもとめない俺だが、その日はなぜだかその少女の声が気になって足を止め、彼らのやりとりに目を向けた。

「これ欲しい〜! 絶対欲しい〜! ねぇ、パパ〜!」
「う〜ん…、そうだね」
「おねがい〜! 大好きだから、パパぁ!」
「ハハハ! まいったな…まぁいいんじゃないかな、ママ? 沙紀の進級祝い、そういえばまだだっだだろう?」
「パパったら、またそうやって甘やかす…もう、しょうがないわね」
「やったぁっ! パパ! ママ! だ〜い好きっ!」

「…ほぅ、これは驚いたな」

 俺は驚き、震えた。少女があまりにも冷たい目をしていたからだ。両親に笑顔で抱きついた少女だが、その視線は虚を見つめていた。あの目は間違いなく被虐趣向者の目。こんな場所にあれ程の目をしたやつがいようとは…
 今の少女の姿は偽りの姿、今の少女の振る舞いは偽りの振る舞い。こいつは心底誰かに支配され隷属することを望んでいる、本物の被虐趣向者。奴隷少女を調教・拷問することを生業としている奴隷調教師の俺の経験に基づく勘が強くそう訴えた。

「わ〜い! パパ、ママありがとっ!」
「でも、しっかり勉強もするんだぞ」
「うんっ!」
「もぅ〜、臨時出費だわ。今月のパパのおこづかい少し減らさなきゃね」
「え〜っ! ママぁ…それはないよ」
「ふふっ!」

 ごく普通の他愛のない家族の会話。その時折、一瞬だけ見せる少女の寂しげな表情…

「…間違いない」

 あいつは今の環境に満足していいような、その程度の存在ではない。あいつは誰かに支配された下で生きていくべき資質を持った真の被虐趣向者…マゾヒストだ。
 俺があいつを救ってやらなければ…俺があいつを目覚めさせてやらなければ…居ても立ってもいられなくなった俺はすぐに行動に出た。

ピッ…

「ああ、もしもし…俺だ。挨拶はいい、頼みたい仕事がある…」











「…よっと。お待たせしました。こちらがご依頼いただいた商品です」
「悪いが奥まで運んでくれ。ひとりでは運べそうにない」
「かしこまりました」

 俺が依頼した「商品」の入った木箱は男たちによって地下室へと運び込まれた。

「…それにしてもずいぶん静かだな。なにか薬品でも嗅がせたのか?」
「いえ。最初のうちはわめき散らしながらずいぶん暴れていたんですがね…、疲れたんでしょう」
「そうか。とにかく開けてくれ、モノを確認したい」














「……」
「まあ、お前のこれからの暮らしに成績や運動神経なんか必要無いわけだが…」
「……」
「…どうした、泣かないんだな?」
「……」
「なんか喋れよ…?」
「……」
「ここに来る途中もずっと大人しくしていたそうじゃないか。暴れれば逃げられたかもしれんのに…」
…こんなことをするやつらの親玉がどんな奴か、この目で見てやりたかったからよ!
「ほぅ…」

 少女の声は力強かった。

「これは手強そうだ…フフッ…」
「…何が可笑しいの?」

 俺は少女の反応が嬉しくて、つい噴き出してしまった。これでこそ調教のし甲斐があるというものだ。

「いや…すまない。それよりお前、弟と妹がいるんだな…? 資料では双子となっているな。先週街で見かけた時は両親と三人だけだったようだが」
「……」
「…だんまりか。どうなんだ? お前たち」
「はい。こいつの弟妹はまだほんの赤ん坊でして、その日は祖父母の家に預けられていたそうです。連れてきましょうか?」
「…いや、いい。赤ん坊などに用は無い。それとお前ら…もう帰っていいぞ」
「…そうですか。で、仕事料のほうは…?」
「礼金はいつもの口座に振り込んでおいた。明日には確認できるはずだ。ああ…それと、頭取にもよろしく言っておいてくれ」
「はい、伝えておきます。それでは俺たちはこれで失礼いたします。毎度ありがとうございました…」











「さて…沙紀。今日はいろいろあって疲れただろう…もう寝なさい、それじゃ…」
「は…? 寝ろって…このまま?」
「ああ」
「ここで?」
「…そうだ」
「ふざけないでよ! 縛られてて、こんなもの背負ったまま寝られるわけないでしょ!? お布団も無いし…」
「グズグズ言ってないでさっさと寝るんだ。明日からはこんな良い環境で寝られなくなるんだからな」
「ち、ちょっと…!」
「…なんだ?」
「お金が目的なの…?」
「……」
「あたしん家、お金なんか無いわよ!? パパは普通のサラリーマンだし、ママは専業主婦だし…家だって建てたばっかりでまだローンが二十年以上あるって言ってたし…」
「…金は腐るほどある。身代金なんか取らんよ」
「じゃあ…何の為にあたしを…?」
「……」
「待って! そ、それじゃ…、いつ帰してくれるの?」
「……」
「……」
「…それは、本当のお前を見せてくれた時だ」
「はぁ…? なによ…それ…?」
「じゃあな、今日はもうおやすみ…」

 こうして俺と沙紀の狂気の生活が始まった。



次へ




戻る