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プロローグ -ファブニール- |
「すげえ戦車だな、これ、あんたの?」 感じ入った声に振り向くと、整備士の姿形をした16、7歳の少年がこちらを見上げてい る。 「まあな」 グレッグは面倒くさそうな響きが声に出ないよう気を使いながら答える。街道沿いの小さ な町の、吹きさらしの駐車場。故障を抱えたクルマをだましだまし走らせて駈けこんで、 ようやく一息ついた所だった。 (こいつには、おれがどんな風に見えているのかな?) 戦車を手に入れる程なら、きっと腕と幸運に恵まれたハンターなのだと、羨望のまなざし で捉えているのかもしれない。グレッグは苦笑した。 「戦車が好きなのか?」 「嫌いなやつなんているもんか。男だったら」 悪くない。それなら丁寧に修理してもらえそうだ。この前の町のドックの親父ときたら、 戦車で乗り付けた途端にものすごい剣幕で対戦車ロケット砲を持ち出してきたものだ。 (……どう見ても戦車の修理ドックだったがなあ) グレッグは今度はつとめて明るい口調で言った。 「合格だ。お前のとこのドックまで案内してくれ。左第三転輪のトーションバーが死んで るようなんだ。それに排気管のガスケットも交換したい」 ポカンと口をあけて怪訝そうにこちらを見つめる少年に、グレッグは片目をつぶって見せ た。 「見かけだけは立派だがな、俺同様のポンコツなのさ。こいつはな」 「大破壊」と呼び習わされる世界規模の破局が、人類の生活圏の大部分を破壊し、産業基 盤が失われて以来、記録が残る限りでもすでに100年以上が経過していた。人々はわず かに残った耕作可能な−化学物質による汚染が看過できる程度に少ない−土地を守り、荒 野に放置された機械から金属や部品を回収し、わずかな地下資源を採掘しながら、かろう じて文明の残り火を守って生きている。 グレッグ達ハンターは、その人々をいまも脅かす自動兵器の生き残りや武装した野盗、 突然変異で怪物化した野獣を、各自さまざまの装備で狩り、撃退することで生活の糧とす る、傭兵と猟師を足したような職業だ。 彼らのうちでも恵まれた者は、装甲を施し重火器を搭載した戦闘用の車両――「戦車」 と総称される――を使用する。ある程度以上の規模の町には、彼らのクルマを整備するた めの修理ドックが設けられるのが通例だった。 「ファブニールか。変わった愛称だな」 転輪のボルトを締めなおしながら、ドックの親父はグレッグの車の砲塔あたりをふと見上 げてそう言った。 「何だって?」 「この戦車の名前じゃあないのか?砲塔の下辺にペンキで書き込んであるぜ」 消えかけてるがな。言いながら立ち上がると、親父は機関部のほうへ歩いていった。 「気づかなかったよ。最近手に入れたばかりなんだ」 「古臭い戦車だからてっきり長い付き合いかと思ったぜ。いかんなあ、戦車乗りなら自分 の車のこたあ隅から隅まで頭に入れとくもんだ」 点検ハッチに半ば顔を突っ込むようにして検分しながら喋りつづける親父に、グレッグは 呟き気味に答えた。 「そうだな、気をつけるよ。短い付き合いになっちゃあ困るからな」 そうして自分だけに聞こえるように小さく声に出した。 「ファブニールか。いい名前だ」 整備はまだ時間がかかりそうだったので、グレッグは戦車を親父に任せ、適当に選んだ 安宿に引き取った。手荷物を部屋の隅に放り出し、湯を沸かす準備を済ませて、不釣合い にしっかりした椅子に身を沈めると、長時間クルマを操縦してきた疲れが全身にどっと吹 き出してきた。 (一体この世界は……『大破壊』の前には、どんな風だったんだろうなあ) そんなとりとめも無い考えがグレッグの脳裏をかすめた。先立った妻のジェインは、素晴 らしい理想郷があったように信じていたようだったが、グレッグにはそうは思えない。こ んな糞っ垂れな世界をもたらしたのは、やっぱり前時代の糞っ垂れな文明だろうと思う。 たとえばそこら中にうろつくあの自動兵器ども。あんなものを生み出すのだから、人殺 しの方法についていつも研究を重ねている奴らがひしめく世界だったのだろう。今グレッ グたちが使う戦車やその他の戦闘車両、それらもみんな人殺しの道具として造られた物た ちだ。 (ファブニールもそんな世界から来たんだろうか) テーブルの固形燃料コンロの上で、借り物の小さなヤカンが甲高い音を立てた。その湯 で腰のポーチから取り出した紅茶を淹れる。 ジェインと結婚したときに、遠い町の店で高々とふっかけられて買ったものだ。もうと っくに香りなど失われてしまって、色の着いた湯ができるだけの代物だが、彼にとっては 失われた暖かい日々の思い出へと導いてくれる、数少ないよすがだ。ジェインが生きてい た頃から、特別の祝い事のときしか飲まなかった。 戦車に名前がついた記念のつもりだった。 このオクタポンドの町は汚染されていない水脈の上にある為、周囲には染み入らんばか りに豊かな緑色の農地が広がっている。食料も安く新鮮。まさしくオアシスそのものだっ た。近郊の村からは、ラクダ(と呼ばれている動物)を連ねた交易隊がバギーなどの車両 に守られて、絶えず行き来している。 この前に来たのはもう何年前だろうか。あの時はまだ駆け出しで、やっと手に入れた装 甲車を廃墟にやむなく放置してしまい、ナマリ茸だらけにして洗浄しに来たのだった。 ナマリ茸は水分の多い場所に長いこと放置された車にしばしば生える、気色の悪いキノ コだが、本当のところ厳密な意味での「キノコ」ではない。 原始的な鉄バクテリアを菌類がくるみ込んだ一種の共生体で、菌糸の間に水分を保持し、 そこに溶けた鉄分をバクテリアが酸化させて、その時に生じるエネルギーを使って炭水化 物を合成、その一部を菌類が利用するというなかなか器用なやつだ。ジェインが勤めてい た学校の、ひょろりとした生物学教師がそんな話をしてくれたことがある。 普通に取り除こうとしてもなかなか取れない厄介物だが、乾燥した場所で水分を保持す るためにかなりの塩分を含んでいて、大量の水をかけると浸透圧で破裂してしまう。 生えたままにしておくとどんどん増えて装甲板を侵すので、ここのような水に恵まれた 土地に来たならば、必ず洗車しておくのがハンターの心得なのだ。 翌朝、ドックに行くと、親父が砲塔の上によじ登って、左側面の装甲板に40cm四方 ぐらいの磨いた金属のプレートを取りつけているところだった。 「そんな仕事を頼んだ覚えは無いがな」 「サービスだよ。わしゃこの戦車が気に入ったんでな。名前にふさわしくこいつを付けて みた」 見るとプレートには奇怪な獣のシルエットが描かれ、下に『ファブニール』と刻印されて いる。その獣をグレッグは知らなかったのだが、勇壮なシルエットは彼の好みに合ってい た。親父の話だと、その生き物の中にそういう名前の奴がいたのだそうだ。 それにしてもこんな生き物が現存したら、戦車で相手したとしてもかなりてこずるだろ う。架空の生き物だと請合ってくれた親父にちょっと感謝したい気分だったが―― 「この戦車な、五人乗りなんじゃあないのか?」 唐突に聞いてきた親父の言葉に、グレッグは冷水を浴びせられた気がした。 そうなのだ。 ファブニールは本来、ハンターが一人で動かすようには出来ていない。どうも戦車の操 縦系が電子化される前のものらしく、この町に来るまでも、グレッグは操縦席の横にある 通信士用の車体機銃を何とか片手で遠隔操作して、しつこいロードガンナーの群れを振り 切ってきたのだ。 「早いとこ自動装填装置と多重カメラセンサー、それに火器管制用か自動操縦用のコンピ ューターを買ったほうがいいだろうな。残念ながらここのパーツ屋には、それだけのもの は揃っとらんが」 親父の淡々とした口調が、かえってグレッグには厳しく響いた。主砲が使えなければいず れそのうちに自分は死ぬ。奴らにたどり着く前に。それだけはご免だった。 ハンターオフィスの係員の態度は実に事務的でそっけないものだった。それは仕方が無 い。彼の持ち込んだハンター用のヒットカウンターには、せいぜい1000G分ほどの記 録しかなかったのだから。 それにしてもこの程度の金額では、修理代と当座の補給品を買うのが精一杯、機銃を強 力なものにして次の町までなんとかしのごうという彼の算段は、あっさりと崩れる。 「惜しかったですね、もう少し早く出頭して下されば、駆逐キャンペーンの配当金も上乗 せして差し上げられたのですが」 そんなおざなりの外交辞令などに用はない。グレッグは歯ぎしりしながらオフィスを出た。 前触れもなく爆音が轟いた。 右手の崩れかけた廃ビルから、パラパラとコンクリート片が降ってくる。さらに二発、 三発。砲声だった。町の外から長射程の砲で、榴弾を撃ち込んで来ているらしい。おくれ ばせにサイレンが町中に響き渡った。 「何だってんだ!?」慌ててビルの下から離れながら、グレッグは毒づき、ドックへと走 った。 何人かの男たちが町の裏門のほうへと駆けていくのが見える。交易ルート護衛のハン ターらしい男の乗ったバギーに引っ掛けられそうになって、グレッグは地面に転がった。 急ブレーキをかけたバギーが10m程スリップして停まる。 「馬鹿野郎!」先に怒鳴り散らしたのはバギーの男の方だった。 グレッグは起き上がりざまそいつに駆け寄った。左ウィンドウから乗り出した男の首根っ こを捕まえて締め上げながら問い詰める。 「何があった、言え」 「この辺を最近荒らしまわってるって噂だった武装盗賊団だよ。どこで手に入れたのか、 戦車を五台も持ってやがる。ここの水に目をつけたらしいな。この町はもう終わりだ、あ んたも早いとこずらかったほうがいいぜ」 「それでもハンターか」 手を離してやると男は捨て台詞とともに走り去っていった。 「手向かおうってでも言う気かよ!勝てるもんか、くたばるがいいさ!」 あの男の言った事は正しい。今のグレッグには戦車五台をまともに相手取るのはかなり 無理がある。だが、それをすんなり受け入れるには、今日のグレッグはあまりにも機嫌が 悪すぎた。 (勝てないかどうか。やってみるさ、ここで死ぬくらいの器ならどのみちジェインの仇な ど討てはしないんだろうからな) ドックは砲弾を受けて半壊していた。砕けたコンクリートの粒子がまだ空中に漂ってい る。砲撃は一旦止んで、オクタポンドの町に降伏を呼びかける拡声器からの声が、遠雷の ように響いていた。 瓦礫の下から突き出ているのは親父の腕のようだった。 「あんたとは短い付き合いになっちまったらしいな」 そういえばまだ名前も聞いていなかった。このファブニールが最後の仕事になってしまっ たが、満足だっただろうか。 ハッチを開けていると後ろであの整備士見習の少年の声がした。 「どこに行くんだよ!まさかその戦車で・・・・・・」 買い物に行ってきた帰りらしく、手には酒や食い物の入った袋をぶら下げたままだ。 「そうだ。こいつで奴らと戦う。」 「だって、その戦車は一人じゃ」 あの親父め、要らんことまでペラペラとこいつに喋ったのか。 「それでもやるのさ。この辺で戦車に乗ってるハンターは俺だけらしいんでな」 その時、グレッグの頭の中でひとつの考えが閃いた。 「坊主、お前の名前は?」 「ト、トミーだよ」 「よしトミー、お前を臨時にファブニールの装填手として任命する」 何事かと恐怖に顔を引きつらせる少年にグレッグはさらに追い討ちをかけた。 「砲塔ハッチを開けて、乗り込むんだ」 今の状態では無論、ファブニールで五台相手の機動戦は無理だ。 ドックの親父とも話した事だが、本来この戦車には三人の砲塔要員が必要なのだ。 戦車長。 装填手。 そして無論、砲手。 だが幸いにしてファブニールを入手して最初にレストアしたときに、馴染みの整備士が 戦車長用のスコープも砲手座で使えるように改造してくれている。つまり、索敵と状況把 握は自力でやりながら主砲を操作できるわけだ。 エンジンの駆動音が響く車内で、グレッグはそこまでを手短に、砲塔にいるトミーに説明 してやった。 「だから装填手さえいれば、主砲は撃てる。動かずに戦う事さえ出来ればな」 「本気かよ」 冗談じゃない、やられちまうぜ。そう言って怖気をふるうトミーに、グレッグは意地悪く 付け足した。 「戦車が好きなんだろう?こんな機会、そうは無いと思うぜ」 町の門のそばまできて敵の姿を初認した時、グレッグは思わずほくそえんだ。どうやら 敵の戦車の主砲は75mmらしい。それなら側面に回りこまれない限りは、ファブニール の装甲は撃ち抜かれずにすむかも知れない。おまけに奴らは戦車を密集させすぎている。 付け入る隙はある。 「いいかトミー、俺はこれから戦車を一旦停めて砲塔へ上がる。お前は俺の右側に付け。 装填だけに集中すればいいからな」 グレッグはファブニールを敵の予想火線に対して右30度に位置させると、変速機のギ アをニュートラルに放り込み、エンジンの回転を限界よりやや下、2800rpmまで上 げてアクセルを固定した。これで砲塔はエンジンからの油圧を受けて敏速に旋回する事が できる。 「うわ、何だこの砲弾!こんなでかいのはじめて見た」 車内通話装置のヘッドセットからトミーの驚きの声が響いて来る。 「88mm砲弾だ。実は俺もこのクルマに乗るまでは見たことがない。重いから怪我しな いように気をつけろ。あと閉鎖器は装填後自動で閉鎖するから、指を挟むなよ」 「うう、わかった」 トミーのほっそりした腰にはあの砲弾はかなり負担だろう。ヘルニアなど起こさないでも らいたいところだが。 外ではまだ野盗どもの拡声器が、無法な要求を町に対してがなり立てていた。 「最後通告だ。10秒たって返答が無ければこの町を完全に破壊する。繰り返す……」 「下衆どもめ」 モンスターや自動兵器だけでもこの世界はこれだけ糞っ垂れだというのに。水がほしけれ ば普通に買えばいいだろう。戦車があるのなら、ハンターにでもなって人々の安全に貢献 しようとなぜ思わない? 「見てろよ……」 「5、4、3、2、1……」 ファブニールの主砲がくぐもった咆哮を上げた。 盗賊団の戦車の不恰好な砲塔が、車体からはじけ飛んでひっくり返るのが見える。 まずは一台。 「トミー、次弾装填だ。早くしろ」 ![]() 熱い空薬夾を二重に軍手を嵌めた手で砲塔後部バッスルの弾薬ラックに戻すと、トミーは よろけながら第二弾を装填した。その瞬間、轟音とともに車体に伝わる衝撃。敵の初弾だ った。だが貫通はしない。 「下手糞め」吐き捨てるような口調になるが、顔は笑っていると自分でもわかる。 よりによって一番装甲の厚い前面部、しかも斜め方向からの着弾だ。貫けはしない。 どうやら敵は戦車戦に関してはズブの素人なのだ。 敵は自動装填装置を使っているらしく、かなりのペースで撃ってくる。車体の左側面下 部で嫌な音がした。キャタピラ部分。履帯か転輪が破損したのに違いなかった。 「素人でもそのくらいのセオリーは知っていると見える。」 だがそれは野戦、尚且つ機動戦でこそ有効な戦法だ。グレッグはそもそも動くつもりなど 無い。戦車のもっとも原初的な意義は、移動トーチカとしての運用にある。彼はその「移 動」さえも捨てて勝ちを拾うつもりだった。ファブニールの巨体に施された強固な装甲は、 未だ一発の貫通弾をも敵に許してはいない。 そして二射目。今度は機関室を撃ちぬいたようで、敵の戦車は爆炎に包まれる。膝を折 って崩れるような様でその戦車は動きを止めた。 予想外の戦果にグレッグの心は高揚した。勝てる。戦って、勝つ。砲塔旋回ペダルを踏 みこんでファブニールの射界に敵の戦車を捉え、距離に合わせて砲の仰角を調整する。そ の一つ一つが今日の勝利と、明日の生とに直結している。 それは戦うものだけが、獣だけが持ちうる充足の時。 今、グレッグとファブニールは、始めて真の意味で一体となったのだ。 第三射。 アンテナを幾つもつけた指揮車両とおぼしい敵戦車が弾庫に直撃を受けて沈黙し、残る 二両はなおも遠慮がちに空しい砲撃を続けながら撤退を始めた。 ハンターオフィスで受け取った報酬はそれなりに満足できる額だった。どこかの裕福な 交易商人が、盗賊団にいくばくかの賞金をかけてくれていたのだ。これで、どこかの町で コンピューターユニットを手に入れられれば、一人でファブニールを操る事が出来るよう になるだろう。敵戦車の砲塔から取り外した自動装填装置も、自分の戦車に合うように改 造できるかもしれない。そうやって、少しづつでも自分の力を蓄える。そしていつか、ジ ェインを奪った奴らにふさわしい報いを呉れてやるのだ。 オクタポンドの町の出口、数日前ファブニールが陣取った場所よりやや外側で、グレッ グはトミーの見送りを受けて出発しようとしていた。 「これからどうするんだ?」 「おれ、勉強して親方のドックを再建するよ。戦車は好きだけど、乗って戦うのはもうご 免だな」 少し逞しくなったように思える横顔をみせて、少年はグレッグの問いに答えた。 「そしたらまた来てくれよ!あんたの戦車、地上最強にしてやるから」 「ああ」 地上最強か。そいつはいい、とグレッグは微笑した。いつかこの少年の助けを借りて、俺 の最後の敵に肉迫する、そんな日が来るかもしれない。 デュラン大佐。 忘れる事の許されないその名に。 オクタポンドの町を彼方後ろに見つつ疾駆するファブニールの操縦席に、グレッグの歌 う、ハンター達お馴染みの進撃の歌が低く流れつづけた。 |