モルンゼ攻略戦は、王国史の直近百年間で、
もっとも多数のゾンビ被害を出した出来事だった。
ベルム327年6月3日。
アルメキア王国軍は、魔王軍のモルンゼ砦に対峙した。
しかしその夜、陣地の中で、大規模なゾンビ感染が始まった。
その被害と大混乱に加えて、魔王軍も襲来し、王国側は完膚なきまでに撃滅された。
二個軍団7,000名の兵力を投入したあげくの、痛恨の惨敗だった。
この敗戦による人間側の死者は、
ゾンビ化によるものだけでも2,400名にものぼるといわれている。
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魔竜ザラームの復活以降、
アルメキア王国はまたたく間に東部地方を侵略された。
中でも穀倉地帯を占領されたのは痛手であった。
後退につぐ後退。
その流れを食い止めるために、
アルメキア国王は二個軍団を投入した大作戦を決意する。
すなわち東部地方においては、端っこの守りを捨てて、
戦力を結集し、まずひと息に、魔王軍の中心拠点を潰そうというのだ。
その敵拠点こそ、モルンゼ砦だった。
モルンゼ砦は、森丘の地形を利用して作られた拠点だ。
粗雑な造りで、砦というより野戦陣地だが、
山一つをほぼ丸ごと包んでおり、規模はかなり大きかった。
砦にはゴブリン兵やオーク兵を中核として、
2,000〜2,500体の魔物が駐留していると思われた。
この防御力の低そうな大山塞に対して、
王国軍は三倍以上の兵力をそろえ、必勝を構えた。
しかし当時、”屍蟲”を病原として感染するゾンビ化は、
王国軍にとって未知の疫病だった――
bel 327.6.3
王国軍は、攻撃予定日の前日である。
軍本営の将軍たちは、いくつものパーティー(分隊)を派遣して、
モルンゼ砦の偵察に余念がなかった。
正騎士グロス=アルティ卿が率いるパーティーも、
そんな斥候たちのひとつであった。
騎士アルティは、モルンゼ砦に近い森の中で、魔物たちの一団を見つけた。
魔王側の斥候だろうか?
撃破して、捕虜につかまえるには手頃な相手だ。
奇襲を仕掛けることも出来そうだったが
騎士は堂々と名乗ってから剣を抜く。
「みなの者、仕掛けるぞッ!」
若くて精悍な騎士は、良く通る声で号令しながら斬り込んだ。
「はッ、アルティ様!」
「お任せ下さい!」
二人の臣下がそれに応えて、両翼に広がった。
「シルフよ、キモち悪いオークを八つ裂きにしちゃって!」
「私は――逃げる奴から狩ります」
さらに二人の女性が続く。
森エルフ族のシャーマンと、黒衣に身を包んだ女アサシンは、
騎士に雇われている冒険者といった風だった。
『ブルアアアアアアアッ!!
ニンゲン、ぶっ殺すブゥ!』
迎え撃つオークたちは、嬉しそうに興奮していた。
ゴブリンたちは、すでに半分逃げ腰だ。
「せいやああああああっっ!!」
『ブッヒイイイイイイイッッ!!』
騎士は、オークの剛力と正面から切り結ぶ。
ガァンと鉄の火花が散った。
オークの巨体に、全身から筋肉が浮く。
しかし騎士も負けてはいない。
突破力では誰にも譲らない、グロス=アルティ卿その人だった。
「いくぞ!!」
突き放して、二合目。
騎士の盾が、オークの一撃を横にそらした。
騎士は素早く盾を投げ捨て、片手剣に両手を添えて、
オークの心臓を、鎧ごと刺し貫いた。
ガンッ!
ズゴッ!
『うぼあッ!!?』
人間なら、即死だ。
胸から大量に血を噴きながら、オークも、とっさに長すぎる武器を投げ捨てた。
オークの太い鉄拳が、密着している騎士の顔をブン殴る。
バキィッッ!!
しかし騎士にダメージは通っていない。
攻撃力も、耐久力も、騎士がモンスターを圧倒している。
騎士は少し切れた唇でニヤリと笑った。
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『ハァッ! ハァッ! はぁッ……!』
ゴブリンは森をひた走る。
命令には忠実な種族だが、命令が無ければすぐ逃げる。
『ニンゲンたちに気付かれた』と、報告さえすれば良い。
そこから先は知らない。
もう少しで砦の足元だ、このまま走れば、逃げ切れる。
『ハァッ! ハァッ! ……ウグッ!!?』
しかしゴブリンは急に息が切れ、
続いて、グブッと泡を吐いて倒れた。
そのお尻には、女アサシンの投げた毒ナイフが刺さっていた。
(首尾は上々……取り逃しはゼロ)
殺さないていどの毒で倒して、ゴブリンの捕虜が一丁あがりだ。
女アサシンは毒ナイフをひっこ抜いて回収し、
ゴブリンの手足をロープで縛った。
ひとまずゴブリンは木に縛り、
女アサシンはもと来た戦場に引き返す。
彼女の名前はヴィオラといった。
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騎士アルティたちは、魔物の群れをやっつけた!
人間がわに死者はなく、
オーク二頭とゴブリン二匹が、鮮血の海に沈んでいた。
オークの片方は、
『ブヒヒ、今さらもう遅いブゥ……』と言い残してから息絶えた。
けっきょく魔物たちが、
砦の外で何をしていたのか分からない。
しかしどうも、偵察隊では無さそうだった。
「ゴブリンを一匹、捕虜にとりました」
ヴィオラが報告すると、
アルティ卿は大いに喜んで彼女を褒めた。
女アサシンははにかんで、エルフ娘はムッとした。
「ヴィオラ、もう一つ良いだろうか。
君にはこれが何なのか分かるか?」
アルティ卿は、割れてしまった骨の笛を差し出した。
オークが身に着けていた、実に不自然なアイテムだった。
こういう物品の正体は、軍人より冒険者の方が詳しいのではないか。
「笛……ですか?」
ヴィオラは、ざっと脳内の記憶を洗う。
エルフ娘も張りあって考えているようだ。
怪しい笛といえば、
異国の蛇使いや、蟲(むし)使いが用いるアイテムだ。
ヴィオラがそう言おうとしたときに、
アルティ卿と仲間たちは、
おぞましい障気が周囲にわき起こるのを感じた。
『ウァぁぁ…… あぁ……』
『オォォオゥ……ゥオッ……』
最初は一つ。二つ。
そこから、みるみる数が増え、
あたり一帯が敵の気配で満ちあふれた。
砦から増援が来たわけではない。
敵の気配は”その場から”急にあらわれた。
ざっと百体分ほどの黒い気配は、
冒険者たちを中心にして集結を始めた。
「アッ、アルティ様、ゾンビです!
ものすごい数です、伏せって居たのか!」
「グリーネ君、近くにネクロマンサーが居るのか!?」
「そ、そんなはずは無いわ!? だって何の呪文力も感じられない……!」
騎士に尋ねられると、名指しされたエルフ娘は、叫ぶように否定した。
操っている術者を発見できなければ、
この数のゾンビを倒しきるのは不可能だ。
騎士は仲間に、密集する陣形を組ませた。
パーティーは人間がわの陣地に向かって、
突破・退却戦を始めた。
「邪魔だ、どきやがれッ!!」
ガスッッ!!
戦士のバトル・アクスを肩に受け、ゾンビの身体が斜めに裂けた。
しかしゾンビは崩れない。
死体の鮮度が良いのか、まったく腐敗が進んでいない。
なのでゾンビたちは、見た目の人数以上に手強かった。
ゾンビの壁をこじ開けるように、パーティーが移動していくが、
密集の陣形が、少しずつ崩されていく。
「キャァーーっ! い、いやっ、離して!?
助けてぇ!」
エルフがゾンビに捕まった。
「デヤアアアアッ!!」
ズバアアッ!!
剛剣一閃。
騎士のバスタード・ソードがうなりを上げて、
ゾンビの上半身を斬り飛ばした。
大量の返り血と、ゾンビの中に居たウジ虫たちが飛び散った。
おかげでアルティ卿のナイト・アーマーはひどく汚れたが、
彼は嫌そうな顔もせずに、エルフの娘を救った。
「グリーネ君、こっちだ!」
「あ、ありがとう……!」
エルフ娘は、嬉しそうに頬を赤らめながら、
アルティ卿に追いついた。
「ゾンビの固まりは、もう抜ける!
ここから先は各自で離脱!
我が方の陣地まで、自由なルートで撤収せよ!」
騎士はそう言うと、
パーティーの最後尾に回ってゾンビと戦いながら、
味方全員を無事に逃がした。
五人のパーティー・メンバーは、
ゾンビを引き離しながら、敵の陣から退却していく。
だが森を抜けるまでには、徒歩ではかなり距離がある。
この時点では、メンバーの全員がまだ人間だった。