ネクロ☆ロマンティック

〔IV´I〕 身代わり

考えるよりも早く、ハロルドの体が動いた。

ハロルドは無我夢中で台座の上に駆け上がり、首枷をこじ開けると、まず少女の頭を枷から外しにかかった。しかし何かが少女の身体に引っかかり、うまくいかない。

手元は暗く、辛うじて届くランプの薄明かりだけを頼りに、手探りで事を運ぶ。

必死に身を乗り出し、自分の腕を刃の下にさらし、とにかく、台座から彼女の身体を引きずり降ろそうとした。


その時、死神は無常にも刃を振り下ろした。

金属が擦れ合う音と、鈍い轟音とが地下室に鳴り響く。

少女の身体が断頭台に一瞬引き寄せられ、その一部が切断される感触があった。


間に合わなかった‥‥と絶望したハロルドの腕の中には、少女がいた。

生きている、ようだ。少なくとも。

少女はただ、うつむいたまま、ゆっくりと肩で息をしていた。

ハロルドは少女を椅子に座らせると、裁縫箱に入っていた鋏を借りて、無残に切り落とされてしまった彼女の後ろ髪を短く切り揃えた。息子の髪を切るのと何ら勝手は変わらないし、彼女は何も注文をつけなかったが、女の子の髪に鋏を入れるということは、いささか気を遣うものだった。

「これでよし」

髪を切ったことで、その小さな肩と背中があらわになった。

奇跡的に、身体には目立った外傷は無い。

しかしながら、あれほど美しく伸ばしていた髪を失うことは、少女にとってどれだけの喪失感を伴うものなのだろう。それを思えば、命が助かってよかったなどと気安く言えるだろうか。まして死を望んでいた彼女にとって、髪と命の重さにさしたる違いなどあるだろうか。あるいは、命を失うより髪を失ったまま生きることの方が残酷かもしれない。

ハロルドは鋏を手に立ちつくしたまま、少女の背中を見つめ、深く考えていた。彼女も身じろぎひとつすることなく、じっとうつむいている。まるで、ふたりだけが時の流れから置き去りにされてしまったように。

ハロルドは図らずも、あの時に見た彼女の淫靡な姿を、その背に重ね合わせていた。決して侮蔑するつもりなどない。ただ、彼女もそうした劣情を懐く、血の通った人間であると思うと、安心したのだ。

あるいは今ここに、彼女が存在していなかった可能性を思えば思うほどに。



──断頭台から少女を救出した後、ハロルドは取り敢えず彼女を連れて庵に戻った。彼女はとりわけ動揺した様子もなくハロルドに従っていた。だが、そのまま彼女を放って帰るのは心許なかったので、しばらく様子を見るつもりで彼女に髪を切らせて欲しいと頼んだのである。そして彼女は、彼を快く庵に招き入れた。

この庵に住んでいたのは、彼女ひとりで間違いないようだった。庵の中には生活に必要な物資が何不自由なく揃えられていたことにハロルドは驚く。しかし、家具もカーテンも無地で彩りはなく、部屋には花瓶もぬいぐるみも小物さえも置かれていない。年頃の少女にしてはあまりに殺風景な部屋であるというのが、正直な印象だった。


髪を切り終わった後も、少女は椅子に腰掛けたまま、放心したように前を見据えていた。

彼女は何も話そうとしなかったが、いろいろと聞き出すのは彼女をとがめるようで悪い気がした。自分で自分の考えを改めるまで、そっとしておいた方がいいだろう。

それでも、せめて名前くらいは聞いておきたいと思い、その背に向かって話しかけた。

「僕はハロルド。きみは?」

‥‥‥

少女は押し黙ったまま、左右の足をぶらぶらと交互に揺らしている。

いや、いいんだ。また来るよ」

ハロルドは少女の両肩をぽんぽんと叩いた。彼女の様子からして、ふたたび凶行に走ることは無いと信じよう。ハロルドが帰り支度を整え、ドアを開けて外に出て行こうとすると、少女は彼を呼び止めるように答えた。

「コレッタ」

「それじゃあ、コレッタ。また、明日‥‥いいかな」

コレッタは、黙って二度頷いた。

目が覚めると、日は既に高く昇っていた。昨日のような出来事があったにもかかわらず、余程疲れていたのか、ハロルドはぐっすりと眠ることができた。

空は晴れ、陽射しが心地良く、爽やかな風も吹いている。

今日はこれといった用事もない。ハロルドは井戸から水を汲んで顔を洗い、鉢植えのパキラに水を遣り、ありもので簡単に食事を済ませると、心持ち足早に庵に住む少女のもとへと向かう。時間は正午をまわっていた。

コレッタのことが気がかりであった。自らの命を絶つにしても、よりによってなぜあのような手段を用いたのか。まだ昨日のことを思い出すだけで心臓の鼓動が早くなる。そして、彼女と〈ヘクター〉との繋がりも気になっていた。もし彼女の言う〈ヘクター〉が息子のことであるならば‥‥いや、もうあれこれ考えるのはよそう。気がはやって彼女を問い詰めてしまっては元も子もない。少しずつでも話が聞ければ、それで良いのだから。


庵を訪れたハロルドは、少し呼吸を落ち着けてから、ドアをノックした。

返事は無かった。

再三悪いと思いつつ窓から中を覗くと、テーブルの椅子に腰掛けているコレッタの背中が見えた。心なしかくつろいだ様子で、じっと部屋の奥の方に顔を向けている。少なくとも裸ではないし、ハロルドの来訪に抵抗を示している訳でもなさそうだ。あるいは、彼女は返事をしたが耳に入って来なかっただけなのかもしれない。

ハロルドは念のため、遠慮がちにもう一度ノックをして、ドアを開けた。

「コレッタ。入るよ」

ハロルドが中に入りドアを閉めると、コレッタはおもむろに振り向き、穏やかな表情でハロルドを見た。

昨日の事など、とうに忘れてしまったかのような彼女の様子に、ハロルドは安堵した。

テーブルには二人分のティーカップと、ハーブティーの淹れられたガラスのポットが用意されていた。ハロルドはコレッタの向かいの椅子に座り、さりげなく部屋の中を見回す。昨日と変わらず、取り立てて見るものの無い殺風景な部屋であった。部屋の奥の方は色褪せたカーテンでぴったりと仕切られていたが、それ以外に気になる節は見当たらない。彼女はじっと座ったまま、まっすぐな瞳で、ポットの中を漂うハーブの葉を眺めていた。

「お茶、ついでもいいかな」

コレッタは黙って頷いた。


ハロルドはポットを手に取り、用意されていたハーブティーを二つのカップに注いだ。ほくほくと湯気を立てながら琥珀色の液体がカップを満たしていく。──たった今淹れたばかりのような熱々のハーブティー。それは、ハロルドを何となく奇妙な気分にさせた。彼女には今日ここに来るとは伝えていたが、何時来るとまでは伝えていない。


やがてコレッタは、胸の中でじっと温めていた夢物語を語るようにゆったりとした口調で、ハロルドに〈ヘクター〉のことを話し始めた。彼女の言う〈ヘクター〉とは、間違いなくハロルドの息子ヘクターであったし、ハロルドがヘクターの父親であることも知っていた。ハロルドは湧き上がる複雑な感情を抑えながら、彼女の話に耳を傾けていた。


コレッタは、ハロルドがかつて住んでいた北区に屋敷を構えるデメター家の末娘であった。ハロルドはデメター家の当主とつきあいはあったが、直接彼女を紹介された訳ではないので知るよしは無い。

そして彼女は、3つ年上のヘクターと逢瀬を重ねていたのだという。ハロルドはそのことを知らなかった。いつしかヘクターは彼女と出逢い、そういう関係になっていたのだ。しかし、デメター家の体裁や、ハロルドが病弱だったヘクターを過保護に扱っていたことが、ふたりには障害となっていたのだろう。ヘクターが死んだあの冬の日も、ふたりは秘密の場所で落ち合う約束をしていたという。ヘクターはハロルドが就寝した後に家を抜け出し、無理を承知でコレッタに逢いに行ったのだ。そして、家に戻り、力尽きてしまった。

彼女はヘクターがこの墓地に埋葬されたことも、ハロルドが墓守になったことも知っていた。そして自分も家を出てこの庵に身を移した‥‥その理由は、あえて訊くまでもないだろう。

ちなみに生活物資は、父親には内密に、屋敷の小間使いに誂えさせていたという。


コレッタは、そこまで話し終えると、深くうつむいてしまった。

彼女が〈ヘクターを死なせてしまった〉と言う理由はよくわかった。ゆえに、あのような形で償いを得ようとしたのだろう。あまつさえ僕を立ち会わせる折まで窺っていたのだとすると、度を越した周到さに驚嘆せざるを得ないが

しかし、ハロルドの胸の内には、言いようのない思いがぐるぐると渦を巻いていた。

ハロルドは、気持ちを落ち着かせるように、すっかりぬるくなったハーブティーを喉に流し込んだ。そして、慎重に言葉を選び、彼女に語りかけた。


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