(01)異世界のクレリック


 人間と魔物、文明と魔法が混在するイニシエの世界。
 人間と魔物は互いに殺し合い、文明の発展と共に魔法は衰退していた。

 この時代……後の世では中世ファンタジーのひとつと扱われる事となるこの世界にも文明があり、人々の営みがあり、多様な個性を持つ人々で溢れていた。
 その人々の生活を脅かす存在が魔物である。怪物・モンスター・魍魎など様々な呼び名があるが、人間や動物や植物などの生命体とは異なった異形異質の存在の全てが魔物である。異形異質ゆえに普通の生命体とは異なった生態系を持つと考えられていたが、その詳細は謎だった。

 無尽蔵に増殖する魔物と、魔物に繁栄を脅かされる人間とは、お互い相容れない存在だった。
 故に人間達は腕の立つ冒険者で徒党を組み、魔物の討伐をする事で日々の平和を守る事が常となった。
 冒険者は魔物を倒して日銭を得る賞金稼ぎであり、魔物との戦いで命を落としかねない危険な仕事でもあった。故に冒険者達が集まる「冒険者ギルド」が出来た。魔物には賞金がかけられ、ギルドに集まった冒険者達は魔物の情報を交換し、冒険の仲間を募った。

 ギルドでは様々な特技を持つ冒険者が集まり、その目的に適切な仲間を雇う。
 冒険者にはファイターの他にアーチャーやウィザードなどがいたが、中でも重宝される存在がクレリックだ。
 クレリックは目立った戦闘能力はないが、唯一の治療系魔法を操る事が出来、薬草や解毒剤などの知識を持つ。魔物との戦いは体力勝負なのでどれほど屈強なファイターでも僅かな怪我が命取りとなる。それを魔法で治す事が出来る唯一の冒険者がクレリックであり、クレリックを仲間にしているかどうかでパーティーの生還率が大きく変わる事となる。

 大きな酒場は大体において冒険者ギルドの役割を持っている。
 ギルドは各地を旅している冒険者とギルド界隈に居を構えている冒険者との交流の場でもあった。流れ者でも魔物退治の仕事を見つけられるし、地元の冒険者では歯が立たない魔物も流れ者の冒険者の助力で倒せる見込みも増える。魔物との戦いに敗れるという事は命を落とすという事なので冒険の仲間を探す事は命運を分ける事でもあったが、中には弱い魔物ばかり相手にして日銭を稼ぐ不真面目な冒険者も多かった。

「おっと、ギルドに女の子がいるぞ。パパの帰りでも待っているのかな?」

 流れ者の冒険者が一人の少女の前で嘲笑の声を上げた。その態度からも不真面目な冒険者である事は明らかだった。
 冒険者と言ってもその多くは居を持たぬ流浪の荒くれ者だ。魔物との戦いで生き残るには力こそ全てと考える粗野な輩も多かった。
 少女は不真面目な冒険者を一瞥し、そして無視した。

「ここは若い女の子が来るような場所じゃねーんだよ。それとも冒険者の稼ぎ目当てに身体でも売りに来てるのかい? なんなら俺が安く買ってやってもいいぜ」

「私に話しかけないでください。男の人はキライです」

「なんだぁ、お高くとまりやがって! 冒険者様をナメたらタダじゃ済まさねぇぞゴルァ!」

 慇懃無礼で不真面目な冒険者に、ギルドを取り仕切る女主人が声をかけた。

「そのへんで止めときな。その子はこの辺りじゃ有名な高位僧侶魔法を扱う凄腕クレリックだよ」

 不真面目な冒険者の顔が驚きの表情に変わり、そして疑心の目つきに変わった。

「まさか……こんなガキが高位僧侶魔法を扱うとか、そんな筈ありゃしねぇって。高位魔法なんて歳取った魔道師しか使えないもんだろ普通」

「信じないのは勝手だけど、その子に無礼な事を言ってると他のクレリックもアンタとは組みたがらなくなるだろうね。アンタは回復魔法も無しで魔物と戦うつもりかい?」

 不真面目な冒険者はギルドを見回し、ようやく自分の過ちに気が付いた。周囲にいる冒険者達は一様に不信の目つきで眺め、特に女冒険者は怒りを隠そうとしていなかった。経験豊富そうに見える高齢の僧侶も少女の味方であるようだ。……女主人の言っている事に嘘が無い事は明らかだった。
 居心地の悪くなった不真面目な冒険者は、気まずそうな表情でそそくさとギルドを出て行った。

 少女は女主人に礼を言った。

「ありがとうございます。私……どうしても男の人って苦手で……」

「わかっているさ。ホリイちゃんはこのギルドの女冒険者の守護神のような存在だから、変な虫は寄り付かないようにしているだけさね」

 冒険者ギルドであってもトラブルは多い。特に女性の冒険者が男の冒険者とパーティを組んだ時には性的なトラブルも珍しくはない。身体目当てに女冒険者を雇う者もいれば、技量の無さを身体で補っている女性冒険者さえいた。この世界の文明は発展途上であって、まだ先進的ではなかった。
 そういった世界では女のクレリックは女性冒険者にとって心強い存在だった。怪我を治すために身を委ね命を委ねる相手が男のクレリックだと間違いが起きやすいからだ。女同士ならば余計な心配をしないで済む。

 ……そして女冒険者の身の危険は男に限った話では無い。
 女冒険者は人間同士のトラブルを避ける為に女性だけでパーティを組む事が多いが、女冒険者が魔物に襲われた場合には必ずしも殺されるとは限らない。性欲の高まった魔物は人間とは比較にならぬほどの性欲をたぎらせ容赦無く女冒険者を犯すのだ。
 魔物に犯された女冒険者はたとえ生き残ったとしても冒険者を続ける事が出来ないダメージを負う事となる。もしくは人間社会に戻る事も出来ないまま世捨て人のようになる事さえある。女冒険者は生きる為に危険な冒険をしながらも失敗すれば生きる事が難しくなるほどのリスクがあった。

 そういったリスクを一手に委ねられるのが女性クレリックだった。
 クレリックの扱う回復魔法は微弱なものであっても冒険者にとって重宝される重要なものだ。多くのクレリックは「回復」と「解毒」の魔法を扱れば一流の扱いを受けた。回復魔法は人の生命の根幹に関わる極めて習得困難な魔法なので、多くのクレリックは老齢になるまで回復魔法の効果を高める事で精一杯だが、それでも冒険者にとっては命綱とさえ言える貴重なスキルだった。

 しかし女主人にホリイと呼ばれた少女「ホリイ・ホーネット」は回復魔法だけでなく、最も習得困難な「蘇生」の魔法をマスターしている最高位のクレリックだった。

 幼少の頃に両親を亡くし教会の孤児院で育ったが、天性の才能と知的好奇心で苦も無くクレリックの扱う魔法の数々をマスターした。僅かな文献の曖昧な情報からクレリックの魔法を習得し身につけたのだ。
 しばらくは教会からの紹介で医者の手伝いをしていたが、蘇生魔法までマスターしてしまったホリイは医者の仕事を無くしてしまうほどの存在になってしまい、その評判は街を統治する貴族の耳にも届き、一般人への魔法の使用を禁じられ、かわりに冒険者としての仕事を任されるようになった。冒険者としての仕事は医者の手伝いとは比較にならぬほど収入が得られ、また教会育ちながら信仰とは無縁だったホリイには適職だった。

 この世界にも文明があり、人々の営みがあり、多様な個性を持つ人々で溢れていた。

 ホリイは若くして最高位の僧侶という個性の他に、もうひとつ人には言えない個性を持っていた。
 それは……ホリイが変態だという事である。