(03)冒険者の生存戦略


 冒険者ギルドは冒険者同士の交流の場であり、魔物に関する情報が集まる場であり、パーティメンバーを雇う場でもある。

「あなたが有名な、ホリイ・ホーネットさんね? 私は単身でオークの住処を探る予定なんだけど、よければ貴女のクレリックの力を貸してくれないかしら」

 女の冒険者は珍しくない。魔物を狩る冒険者の仕事は実力主義で、その稼ぎに男女の差はない。一攫千金を望んだり、貧しい村からの出稼ぎであったり、手っ取り早い収入を得たい場合であったりと、女性が冒険者となる理由は様々だ。
 一方で男女差別が無いわけでもなかった。女性の冒険者が男の冒険者と行動を共にすると性的な嫌がらせを受ける事が日常茶飯時だった。決まったパーティメンバーがいなければ見知らぬ冒険者と組むしかなくセクハラ被害に遭う事も増える。なので女性冒険者は女性同士でパーティを組む事が多かった。
 そして男性恐怖症のホリイは女性パーティ専門の雇われクレリックとして活動していた。

「はい、私でよければ……」

「あなたが良いのよ。あなた以上のクレリックがこの辺りにいるなんて話は聞いた事がないわ。でも……こんなに若い女の子だったとは思わなかったわ」

「まだ冒険者としての経験は浅いですが、クレリック系の魔法は一通り扱えます」

「噂では賢人レベルでも難しい蘇生の魔法も扱えるって話だけど」

「はい。回復・解毒・蘇生の他には防御と隠密の魔法などをマスターしています」

 冒険者のパーティにおいてクレリックは特殊な存在である。
 クレリックは基本的には戦闘に参加せず常に身を隠して行動する。パーティのしんがりの更に後ろに位置する。理由はパーティメンバーの最後の命綱だからで、クレリックが行動不能になればパーティが全滅する危険があるからだ。逆にクレリックさえ生き残っていればパーティの全滅は有り得ないので、クレリックのみ最後方で魔物に見つからないよう行動し、パーティメンバーが負傷した時には戦闘後に回復する。

 数々の英雄談ではクレリックも戦闘に参加しているように語られるが、実際には戦闘中に逐一回復するような余裕はない。またクレリックが魔物に目を付けられパーティメンバーが回復の手段を失う事になりかねない。なのでクレリックは戦闘が終わるまで身を隠さなければならないのだ。

「私もこの稼業をやって長いからクレリックの作法は知っているわ。普段は旦那と組んで仕事しているんだけど、流行り病に臥せっていてねぇ。でも貴女は女性としか組まない事は知っていたから今回はお願いしようと思って」

「わたし、昔から接する事が無かったので男の人がどうしても苦手で……」

「不埒な男は多いから、そのほうがいいよ」

 ホリイと女冒険者は仕事の打ち合わせをして、パーティを組む事となった。

 ホリイの扱える魔法は習得困難なクレリック系の魔法も多々含まれていた。

 「解析」の魔法はクレリック系魔法の中でも一番簡単なものだ。
 この呪文を唱えると対象の健康状態が詳細に理解できる。視覚や知覚によってわかるのではなく、感覚的に理解できるのだ。毒によって内臓が弱っているとか、武器の小さな破片が体内に残っているとか、他者の体内の様子が自分の身体の事のように理解できるようになる。

 「回復」の魔法はクレリックの扱う魔法の定番だ。
 この呪文は対象者の治癒力を部分的に加速させる。怪我をした直後がもっとも効果が高いが、術者の能力が高いと古傷さえ治す事が出来る。ただし出血した血液などが補われるわけではなく、慢性の病気が治るというものでもないので、回復の呪文が万能という事ではない。

 「解毒」の魔法もクレリックの定番魔法と言えるだろう。
 この呪文を唱えると、その対象者の体内には存在しなかった異物が排出または消滅する。その効果は毒物に限らず、有益な薬物の効果も打ち消してしまう。またハイレベルの術者がこの魔法を用いれば体内に取り込まれた異物も除去する事が出来る。魔物の放つ「幻液」の効果も打ち消す。

 「蘇生」の魔法は究極の魔法とさえ言えるものだ。
 死んだ者を生き返らせる効果を持つこの呪文は、魔法というより錬金術に似ている。戦闘で身体の一部分を欠損して死亡した場合でも「蘇生」の魔法で復元され蘇るからだ。死亡する前の肉体の生存に必要な血液量が錬成される。ただし脳を損傷した場合は記憶の欠損などが起きるし、蘇った直後は自分の身体に違和感を感じる事も多い。また病気や老衰などの自然死には全く効果を為さない。

 「防御」の魔法もクレリックの定番魔法と言える。
 戦闘の矢面に立たないクレリックはこの魔法で仲間をサポートする事となる。対象者の周囲の気の流れを変え、敵の攻撃を逸らせてダメージを半減させる。敵の攻撃を完全に防ぐ事は出来ないが、対象者から離れた距離からでも魔法をかける事が出来る。

 「隠密」の魔法はクレリックが生き残る為に必須の魔法である。
 クレリックは戦闘力は一般人と等しいが、仲間にとっては命綱であり、敵にとっては最も倒すべき存在である。なので戦闘中には敵に存在を知られないよう身を隠すことが最も有用な自己防衛手段となり、この「隠密」の魔法は気配を消す事で敵味方問わず空気のような存在となる。

 ホリイは自宅に戻ると旅の予定を考え始めた。
 ホリイの自宅は魔術系の薬品を売る薬屋の店舗を兼ねていた。一階が薬屋、地下が住居スペースになっている。

 この地域を治める領主は近代的な考え方が出来る者であったが、それゆえ若い少女ながら賢者や聖人レベルでなければ習得できない「蘇生」魔法を身につけたホリイを危険視した。気軽に死者を蘇らせてしまっては倫理観や道徳心が乱れ、治安が乱れると考えたのだ。
 なので領主はホリイに冒険者として以外にクレリックの魔法を使う事を禁じ、冒険者以外に魔法を使った場合には死罪まで視野に入れた厳しい処罰を下す事を伝えた。これは領主直属の僧侶にも課せられている厳命であり、流れ者の冒険者の間でも街中で無闇に魔法は使うべからずという事は暗黙の了解だった。

 ホリイの才能は日常的に扱う事を禁じられたが、その救済措置として薬屋の店舗として使える家を与えられた。危険な冒険者の仕事が出来なくとも商売で生計を立てられるようにとの配慮であり、ハイレベルのクレリックを冷遇すれば領主の器量が問われるからでもあった。
 その能力の高さからホリイの冒険者としての稼ぎは年に数回雇われれば生活に困らないほどの実入りがあった。また薬が高価な世界なので薬屋での利益も十分なものだった。薬草などから作ったポーションに魔法効果を付与する事は禁じられていなかったのでホリイの薬屋の評判は良く、医者から頼まれる薬の利益だけで生活に困らない程度の収入が得られた。

「旅の支度は、普段より軽めのほうがいいかしら?」

 冒険者の装備は基本的に軽装が常識である。
 古来の英雄譚ではフルプレートの鎧に身を包み、重い武器を振り回してドラゴンを討伐する……そんなイメージが根強くあるが、重装備の格好で長旅を続けては戦う前に体力を消耗してしまう。数日分の食料に最低限の衣類など必要不可欠な荷物も含めると、重い装備では目的地に辿り着く事さえ出来なくなる。
 侵略戦争に抗う場合やよほど大きな討伐隊であれば牛車の編隊を組んでの大遠征で重装備での戦いという事もありえるが、魔物の討伐を生業にしている冒険者が重装に身を包む事はありえない事だった。新米冒険者ほど装備が多く、熟練者ほど最低限の装備となる。冒険者の見た目でその熟練具合が計れるとさえ言われている。

 ホリイは冒険者としては新米だったが、その技量はクレリックとして最強と言えるほどだった。元々クレリックは重装備とは縁遠いが、ホリイは初心者ソロキャンパーのごとく荷物を大目に用意してしまいがちだった。実際には不要なワンドも雇われクレリックとしての身分を示す為に必要だ。ホリイのクレリックの能力なら小旅行に行く程度の荷物で十分なのだが、そういうわけにもいかないところがあった。

 今回の同行者はオーク討伐で稼ぐ目的のソロプレイヤーの女冒険者だ。基本的にホリイは後方支援に徹し、無事に帰還する事が最終目標となる。女冒険者が無茶をしなければ目標は余裕で達せられる筈で、「蘇生」魔法を扱うホリイが同行した冒険者の生還率は100%だった。油断や慢心はしていないが、ホリイが魔法を扱う事が出来れば確実に生還できるのだ。

「改めて説明しますが、私は常に貴女の後方に位置しますので、探索時は別行動になって、休憩や宿営などの通常時のみ一緒という事になります」

「多人数パーティではさほど気にしていなかったけど、2人組みで別行動ってちょっと妙な感じよね」

 多人数パーティでも全員が一箇所に固まって行動するわけではないので、クレリックの影が薄くてもさほど気にならない。また大人数でのパーティであればクレリックも複数いるので、交代で戦闘にも参加するという事もある。
 ホリイは後衛専門のクレリックなので実質的に別行動のようになってしまう。滅多にない事だが敵前逃亡する雇われ冒険者もいるので、そういった誤解を受けぬよう予め説明する必要があった。

「私は魔物がいそうな場所では「隠密」魔法で身を隠し、戦闘時にも目立つような事は出来ず、モンスターが去った後にしか手助けが出来ません」

「もし私が魔物との戦いに敗れた時の為に、って事よね」

「戦闘中に「回復」魔法を使っても新たな手傷を負っては治しきれませんし、「回復」魔法と同時に「隠密」魔法は使えないので……。保険付の単独行動と思ったほうが良いかもしれませんね」

「その保険で万が一の時には、魔物が去った後で「蘇生」してくれるのよね?」

「勿論です。魔物が去った後にできるだけ早く「回復」や「蘇生」の魔法を用いる事になります」

「怪我や死の心配をせずに戦えるのは心強いけど……蘇生の魔法って、どれくらいまで大丈夫なの?」

 女冒険者はつい素朴な疑問を呈した。
 死んだ人間を蘇らせる事は神の領域の事と言えるだが、ホリイは呪文ひとつでそれを成し遂げてしまうからだ。
 ホリイはこういった質問には慣れているので事も無げに説明した。

「凄く大雑把に言えば、魔物に食べられたり身体が腐っちゃったりしていなければ無事に蘇生する事が出来ます。損傷が酷いほど蘇生には時間がかかってしまうのですが、きちんと治っている状態で目を覚ます事が出来ます。ただし記憶までは元通りにならないので危険な時でも頭は守って頂いたほうが宜しいかと」

「あなたって本当に凄いのね……。とりあえず魔物に食べられないように気をつけるわ」

 女冒険者はそう言って笑った後、テーブルに地図を広げて今回の冒険の予定を話し始めた。
 目的地は片道数日の先にあるオークが住み着いているという洞穴だ。山に入った村人が何人か襲われており、被害が起きぬようオークを討伐する依頼が冒険者ギルドに寄せられていた。
 女冒険者は長年の経験を持つベテランであり、オーク討伐には慣れていた。クレリックも不要なほどの技量はあったが、万が一の時の保証としてホリイを雇ったのだ。

 そうしてホリイと女冒険者は、オーク討伐の旅に出た。
 予定した計画ではごく短期間の冒険であり、女冒険者の腕前ならホリイの出番は無さそうだったが、後に女冒険者は僅かな油断から屈辱的な目に遭う事になるのだった……。

(Act-00 END)