【オークに敗北するハルカとカノン・前編】



 まだ十月だというのにやけに冷たい風が吹く中、渋い色合いコートを羽織り、ポケットに手を入れて繁華街を歩く一人の少女……
 ハンバーガーショップの前で足を止めて、入り口のガラス戸越しにメニューをジッと見つめる。
 美味しそうなハンバーガーの写真が載ったメニュー……、それを暫し見据えてから、財布を取り出して中身の勘定を始める。
 お札が一枚に小銭が数枚……、心細い財布の中身に溜息をついてからその場を離れようとする少女を、溌剌とした声が呼び止めた。
「はーるーかーちゃん、何してるの、こんなところで?」
「………カノン……、先輩……」
 聞き覚えのある声の主に対し、遥は振り向きざまに無関心そうな視線を向けながら素っ気ない返事をする。
「別に……、何も……」
「そっかぁ……。じゃあさ、良かったら一緒にハンバーガー食べて行かない? 私の奢りでいいからさ」
 遥は無言のまま、じっとりとした眼差しで榎音を見つめる。
「ひとりで食べるより遥ちゃんと一緒の方が楽しそうだからさ。ね、お願い……っ!」

 遥と榎音の初対面は一月ほど前の話であった。
 隣町との境にある山脈に出没した触手生物……、それは非常に狂暴化しており、日中まで活動して登山者に危害を加えていた。
 妖魔が放ったと推測されるこの触手生物の駆逐は相当な危険が伴うと判断されたのか、フェレスティア・ショコラと同・ハルカのペアに加えて、隣町から救援のフェレスティアが参戦することになる。
 それが玉城 榎音の扮するフェレスティア・カノンであり、ショコラ・ハルカ・カノンの三名からなる臨時編成チームは見事な連携で魔物の駆逐に成功した。
 ……と、ここまでなら特に問題のない話であるが、その後が少々まずかった。
 フェレスティア・ショコラこと柊 結衣は、初めての協同であるにも関わらず見事な連携を披露するカノンを高く評価し、先輩フェレスティアであることも含めて尊敬の眼差しを向けたのだ。
 これに対して遥は、率直に言えば嫉妬に近い感情を抱いてしまう。
 当然と言えば当然かもしれない。結衣はあくまでもカノンの戦いぶりに素直な評価をしたまでだが、結衣との協同歴は遥のほうが断然長いのである。
 カノンの戦いは確かに素晴らしいものであった。それについてハルカ自身も異論はなかった。
 僅かな時間で結衣と遥の戦闘スタイルを分析し、華麗な近距離戦闘と適切なサポートでショコラ・ハルカ組みの穴を補う……
 一緒に戦っていて遥自身も戦いやすさを感じていたし、まさに非の打ち所がない完璧さであったと言えるだろう。
 しかしその完璧さがかえって、遥の中でのモヤモヤした気持ちを膨れ上がらせてしまったのである。
 性格面での相性の良さもありすぐに意気投合する結衣とカノンを見ているうちに、言い知れぬ劣等感を覚えてしまう遥。
 学園で結衣が他の女子と話している姿を見ても、さして劣等感を覚えることはなかった。
 それは内心、フェレスティアという秘密を共有し共に戦う自分が、結衣にとって最も近い存在であり最大の理解者であるという自信があったからだ。
 しかし、フェレスティアとして遥に劣らないほどの連携を見せつけ、さらに長年の友達付き合いがあるかのように親しく接するカノンを見て、遥の自信は大きく揺らいでしまう。
 もちろん理解はしていた。結衣は気さくな性格で誰とでも親しく接するし、カノンとも同じように接しているだけだと。
 だからこそ、結衣を責めることもできず、完璧な存在であるカノンを否定することもできず、遥の嫉妬や不安は行き場を失ってしまったのである。
 つまるところフェレスティア・カノン……、いや、玉城 榎音は、遥にとって恋敵とも言える存在になっていたのだ。

***

「えーっと……、私このチーズバーガーをダブルサイズで。セットでポテトのレギュラーサイズと、あとウーロン茶ください」
 注文を終えた榎音はくるりと振り向き、にこやかな笑顔で言う。
「遥ちゃんは何にするか決まった?」
 笑顔を見せる榎音の隣には、恋敵の奢りでハンバーガーを注文しようとする遥の姿があった。
 背に腹は代えられないとでも言うべきか、腹減らしな上にお金にも余裕のない遥にとって、大好物であるハンバーガーの奢りというのは非常に魅力的な誘いだったのだろう。
 気恥ずかしさを隠すかのようにカウンターのメニュー表を見据えたまま、遥は控え目な声で注文を取る。
「……ハンバーガーのレギュラーサイズ……、あと、ポテトのレギュラーと……、紅茶ください……」
 店員が笑顔で注文を繰り返し、最後に『以上でよろしいですか?』と確認してくる。
「それだけでいいの、遥ちゃん? 遠慮しないでなんでも頼んでいいよ」
 メニューから顔を上げた遥は、じっとりとした眼差しで榎音を見据える。
「他人の奢りで食べるハンバーガーほど美味いものはないってね。気にしないでいいからさ、じゃんじゃんいっちゃおーう!!」
 すると再びメニューに視線を向けた遥は……
「……さっきのハンバーガーとポテトはメガサイズで……、あとキングバーガーのメガサイズと……、ポテトのメガサイズをもうひとつ……、それからナゲットと……、あとメロンサイダーも追加で……」
「………!!!」
 驚愕する榎音を、してやったと言わんがばかりの無表情がジッと見据える。
「い、以上でよろしいでしょうか?」
「は、はい!! 大丈夫……だよね……?」
 いささか引き攣った笑顔を見せる榎音に対し、遥は実に満足げにコクリと頷くのであった……

***

 遥にとって榎音は恋敵のような存在であり、その認識が完全に覆ったわけではない。
 しかし、初対面のあの日に心情を隠しきれなかった遥に対し、後日、結衣を通じて榎音のほうから謝罪の申し入れがあった。
 ただ結衣と親しくしてたという理由だけで不快感を顕にしてしまった、そんな自分の大人げなさを自覚していた遥はこの申し入れを素直に受け入れ、結衣、遥、榎音は改めて三人で食事会を開いた。
 そこで榎音は遥を不快にしてしまったことを謝罪し、遥は自分の大人げなさがあったことを認め、結衣もまた遥の心情を汲めなかったことは自分の落ち度だと遥に謝り、事態は一定の収束を見せたのであった。
「はー、お腹減った。ほら、食べよ食べよ」
 窓際のテーブル席についたふたり。手袋を外した榎音は早速ハンバーガーの包みをあけ、おいしそうにかぶりつく。
 その様子をジッと見つめる遥。視線に気づいた榎音は頭の上にクエスチョンマークを浮かべる。
「どしたの遥ちゃん?」
そう尋ねられ、少し困ったような、或いは戸惑うような表情を見せた遥は、少しの間を置いてから小さな声でつぶやく。
「あ、ありがとう……。いただき……ます……」
 律義に礼を言ってから、視線を伏せて黙々とポテトを食べ始める遥。
 その姿を見て心底可愛い後輩だと萌える榎音であったが、その感情をグッと胸に押し込めて『食べて食べて』と促すのであった。

 それにしても大量である。三人前はあろうかという量のメニューを、遥は着実に食べ進めてゆく。
 ポテトをつまみながら大きなハンバーガーに豪快にかぶりつき、それらの合間にナゲットも口に運んでゆく。
 以前、レストランで食事会を開いた時は、ここまで大食らいな印象はなかったが……、やはりお金がかかるからセーブしていたのであろうか。
「ねぇ、結衣ちゃんの具合はどう?」
 そう尋ねられた遥はチラリと榎音に視線をくれてから、頬張っていたポテトとハンバーガーをメロンソーダで流し込み、そして一言『まあまあ……』とだけ返す。
 件の騒動があってから、榎音は結衣や遥と不定期で連絡をとるようになっていた。
 それは同じフェレスティアである以前に、友達付き合いという意味合いでの連絡である。
 故に、数日前から結衣が体調を崩して寝込んでいる事態について、榎音も把握をしていた。
 不便なことに、フェレスティアの持つ神聖な力は風邪に対して無力である。それは榎音自身も実体験を元に痛感していた。
 遥の表情は沈んでいる。恐らくは本当に、結衣の体調が今ひとつ優れないのだろう。
「随分こじらせちゃったんだねー。早く治るといいけど……」
 するとポテトをついばんでいた遥がふと口を開いた。
「……私の……、せい……。ユイを……、ちゃんと止めなかった……、から……」
「止めなかった……?」
 遥は視線を伏せたままコクリと頷く。
「体調が悪いの……、知ってたのに……、任務で……、ユイを止めなかった……」
「えぇ……!! 体調悪いままフェレスティアやっちゃったの……!?」
 声のトーンを抑えながらも驚きを隠せない榎音に、遥は項垂れるように頷いて返す。
 フェレスティアとして戦うことは、決して少なくない体力の消耗を伴う。体調が悪いなら避けるのが道理だろう。
 しかし思い返してみれば、結衣はフェレスティアとして戦うことを誰よりも楽しんでいたように思える。
 初めて任務を共にしたあの夜も、遥と榎音のサポートを受けながら、結衣は先頭を切って大暴れしていた。
 フェレスティアとしての戦いを楽しんでいるが故に無理をしてしまい、そして結衣への想いが一途であるが故に、遥は結衣を止めることができなかったのだろう。
 結衣に対する遥の一途さは、榎音も文字通り『痛感』していた。結衣を止められなかったことについて、それ以上何も言うことはできなかった。
 遥は大きいサイズのハンバーガーふたつとポテト一箱、ナゲット一箱を完食したが、未だトレイの上にはカップから溢れんばかりに盛られたポテトが残されている。
 よく食べるなぁと感心しつつも、榎音は少し物足りなさを感じていた。
 遥がこれほど景気良く食べるなら、かわいい後輩の前だからと遠慮せずにもう少しがっついておいても良かったかもしれない。
 遥ほどの大食らいではないにせよ、成長期でフェレスティアもやっている榎音もまた、食欲は旺盛であった。
 トレイにナプキンを並べて敷き、残るポテトに手を付ける遥……、と思いきや、おもむろにカップごとポテトを持ち上げると、敷いたナプキンの上にカップの中身を大胆に広げたではないか。
「………?」
 その挙動を不思議そうに見つめる榎音の前で、遥は山盛りのポテトをテーブルの中央に差し出す。
「食べて……、一緒に……」
 恥ずかしそうに視線を逸らしながらそう口にする遥に対し、榎音はまたしても強烈な萌えの衝動を感じてしまうのであった。

***

 ところで、ふたりがこの場所で一緒に食事をしている状況は、決して偶然だけの産物ではない。
 ふたりはある共通の目的を持ってこの場所に来ている。そう、駆逐指令だ。
 ここから少し離れた山の麓に詳細不明の敵性反応が確認された。それを確認し、可能であれば協力して駆逐することが、ふたりに与えらえれた今回の任務である。
「遥ちゃんとペアなんて初めてだねー。なんかちょっとワクワクしちゃうなぁー! ねぇねぇ、遥ちゃんはどぉ?」
「……別に。私ひとりでも……、たぶん問題ない……」
「えぇー!! 先輩と一緒に戦うの楽しみだなー、とか、ドキドキするなー、とか、そういうの全然ないの?」
「……全然ない。 早く倒して……、帰る……」
「ズコー!! ううーん、遥ちゃんってアレだね……、良くも悪くも超クールな感じなんだね……」
「……別に、……先輩のほうが……、騒がしいだけ……」
「がーん……!! た、確かに私、騒がしいかもしれないけど……、うぅ、こんなにストレートに言ってくるの遥ちゃんが初めてだよぉ……」
「まぁ……、別に、いいけど……」
 傍から見ても遥と榎音は全く正反対なタイプであり、それは水と油にも例えられそうな関係であった。
 しかし当の本人らはまんざらでもない様子であり、遥も『騒がしい』と言うワリに、その騒がしさを楽しんでいるような節もあったりする。
 尤も、遥は基本的に騒がしい人間が苦手だ。幼少期から長らく孤独に生きてきた遥は他人とのコミュニケーションに長けておらず、あまり騒がしくされるとそれだけで気疲れしてしまう。
 それは、表向きでは社交的である榎音のにも言える話であり、榎音もまた騒々しい相手との交流は内心苦手としていることから、互いに絶妙な距離感を保つことができているのだろう。
 趣味が多少似通っていることや、榎音が冗談を冗談として受け入れて笑いにできる懐の深さを持っていることも、プラスに働いていることは間違いない。
「はぁー、結衣ちゃんや遥ちゃん見てると思うんだよね、一緒に戦える相棒がいるのってちょっと羨ましいなぁって」
「………」
 もそもそとポテトをつまむ遥は、しかし榎音のほうをジッと見据え、聞いてるよという無言の意思を示す。
「私の町にもさ、私が知らないだけで他のフェレスティアがいたりするのかなぁ……」
「……天使は?」
「うん、指示出してくれる天使はいるよ。たまに学園でも会うんだ、同じ学園に通っててさ。でも、なんか私と距離置こうとしてるみたいだし、学園にも滅多にこないし……」
 遥と一緒にポテトをつまみながら、大きな溜息をつく榎音。
 その心情は遥にも理解できるところがあった。結衣と出会う前は孤独に慣れ親しんでいたものの、今になって結衣のいない生活は考えられない。
 あの頃の孤独を榎音も背負っていると考えると、同情さえ感じるところがある。
 そんなことを考えながら榎音のほうを見据えていると、ふとこちらに向き直った榎音と視線がぶつかる。
「ん……、どしたの遥ちゃん? あ、もしかして……、私の可愛さに見惚れちゃったとかぁ?」
 榎音はそれを冗談のつもりで言ったのだろう。しかし一方の遥は、一度大きく瞳を開くと、慌てたように視線を逸らしてしまう。
「え、え、えー……!! ど、どうしちゃったの遥ちゃん。今の冗談だからね? 何か言おうとしてたの? 茶化しちゃってごめんね……?」
「べ、別に……、なんでもない……」
 本当は、結衣の体調が治ったら一緒にカラオケでも行こうかと誘おうと思ったのだが……
 調子を狂わされてしまった遥は後でメールを送ればいいやと決め込み、視線を伏せてもそもそとポテトを食べ続けるのであった。

***

 小一時間ほどハンバーガーショップに居座ったふたりは、任務の指定時間に合わせて店を後にする。
「せ、先輩……」
「ん……? なぁに、遥ちゃん?」
「えっと……、ごちそう……さま……」
「こっちこそ、フェレスティアの話できる機会ってあまりないからさ、付き合ってくれてありがとうね」
 繁華街をしばし歩くふたり。人込みが途切れた合間で前を歩いていた榎音が何気なく路地裏に入り、遥もまたそれに続く。
「準備いい? いくよ、遥ちゃん」
「……どうぞ、いつでも……」
 煌びやかな照明を灯す繁華街はしかし、賑やかな建物の合間に光と闇の境界線を隠している。
 裏路地で淡い光を纏いフェレスティアへと変身したハルカとカノンは、華麗な身のこなしで闇夜に舞い上がる。
「このまま目的地まで一気に行くよ!! 遅れないでね、ハルカ!!」
「……わかってる」
 密集する建物の屋根を伝い、ふたりのフェレスティアは住宅街を一気に駆け抜ける。
 住宅街を抜けるとすぐに目的地となる山の麓が見えてきた。山に近づくにつれ足場となる屋根は疎らになってくるが、一方で街灯も少なくなるため闇に紛れて姿を隠しやすくなる。
 もちろん、それは魔族も同じだ。魔族にとって最高の糧は天使やフェレスティアの魔力であるが、しかしそれを得られなければ野生動物や残飯、時には人間を襲い食欲を満たす。
 人間の住む街と適度な距離にある山や廃墟は、魔族にとって非常に都合のいい隠れ蓑となる。
「先輩……、あの鉄塔……、目印の……」
 いよいよ山の麓にさしかかり、住宅はおろか人の気配もなくなってきたところで、ハルカが闇夜にそびえる鉄塔を指さした。指令に記されていた目印に間違いない。
 今回の任務は詳細な場所が指定されておらず、鉄塔の周囲1㎞程度を目安に索敵を行い、敵を発見するところから始まる。
 対象を目視で確認後、尾行による偵察、ないし可能であれば駆逐を行う。指令にはそう記されていた。
「どう、ハルカ。何か気配は感じる?」
 ピンと立てたネコミミをしきりに動かし、すんすんと鼻を利かせながら、ハルカは索敵を開始する。
 敵の気配を探るのはハルカの得意分野だ。アンテナ代わりのネコミミを活用し、魔族の放つ微かな負の気配を探り出す。
「……強い気配はない……、でも……、風上から、すこし"臭う"……」
 そう呟いたハルカは、数百メートルほどの距離にある不気味にそびえた鉄塔をジッと凝視した。
「もしかしたらあの辺りに潜んでるのかもね。行ってみよっか」
カノンがそう口にした途端、ハルカはすぐに鉄塔に向かって駈け出そうとする。
「あー、ちょっとまった!」
 カノンが慌てて呼び止めると、立ち止まったハルカは少し不服そうな様子で振り向いた。
「いい、今回の任務は必ずしも敵を倒す必要はないから。敵を発見したらまずは様子を見ること。倒すにしても敵の詳細がわからないうちは、迂闊に動いたりしちゃダメだよ?」
「……気配はある……、けど大きくない……。私ひとりでも十分……、ふたりなら……、確実……」
「だーとーしーてーも! ハルカちゃんになにかあったら結衣ちゃんに顔向けできなくなっちゃうんだから」
「………」
「私もやってはみるけど、ハルカほど索敵は上手くないと思うから。何か感じたら遠慮なく指示して」
 少し間を置いてから、ハルカは小さく頷いて返した。
「ハルカは私の目と鼻だから、指示を出してもらえればすぐに動く。だけど同じように、私が指示を出したらハルカも必ず従って。わかった?」
 些か気乗りしないところはあるが、しかしフェレスティア歴でも先輩であるカノンの正しさを理解できないハルカではない。
 小さく一言『了解した……』と返してから、ハルカは再び鉄塔を目指して駆け出すのであった。

***

 月明りを頼りに雑木林を進むふたり。
 鉄塔までかなり近づいたところで、ハルカの出したハンドシグナルを合図にふたりは足を止めた。
木陰に身を隠しながら、鉄塔付近の様子を伺う。
「確かに何かいるね……、気配よりも臭いがすごい……」
 そう呟いたカノンは、嫌悪感を催す臭気に思わず表情を曇らせた。
 鉄塔まで百メートルあるかどうかの距離。辺りには汗臭さと腐敗臭の混じったような異臭が漂い、フェレスティアの敏感な嗅覚を刺激してくる。
 鉄塔の周辺は整地がされており、雑草が生い茂っているものの視界は完全に開けていた。
 近くにはコンクリート製の小屋が併設されている。塔の管理を行うためのものだろうが、魔族にとっては格好の隠れ家と言えよう。
 小屋の扉は開放された状態で、何者かが出入りしていた痕跡が見られる。
 視線を合わせるふたり。そしてハルカが無言のまま頷く。姿は見えないが、この周辺に魔族が隠れているのは間違いないようだ。
 姿と気配を隠したまま、注意深く辺りの様子を伺う。こんな雑木林の真っ只中に街灯など存在しないが、しかし月明りが辺りの様子をしっかりと照らし出している。
 敵を目視できていない状態で迂闊に動いて先に発見されることだけは避けたい。ふたりは物陰の一つひとつに目を凝らし、どこかに魔物が潜んでいないか念入りに索敵を行う
「……小屋の中、気配が強い……。直接……、確認する……」
「まってハルカ……!! 何か聞こえない……? なんだろう、茂みを掻き分けるみたいな……」
 大きなネコミミをしきりに動かしすぐに物音を感知したハルカは、音のする方へと視線を向けた。
「何か……、来る……」
「待って、まだ動かないで……。敵の陽動かもしれないから、ハルカは周りの警戒を怠らないで。向こうは私が監視する……」
「……わかった」
 緊張した空気が張り詰める。  今回の指令、敵の詳細は判別していない。大抵の魔物は気配を消して人間界に溶けこんでいるが、天使たちはそれを地道に炙り出し、敵の詳細をある程度判別した上でフェレスティアに指令を出してくる。
 あくまでも気配は弱いとのことだが、しかし天使の探知を巧みに掻い潜るということは、それだけの知能の長けた敵かもしれない。こちらの迂闊な動きを誘い先手を取ろうとしてくる可能性も十分にあるだろう。
 ハルカに周囲の警戒を任せ、物音のほうをジッと注視するカノン。
 音の大きさからして、闇の向こうで蠢いているのはかなりの大物だろう。身体にぶつかる枝をボキボキと折りながら、大胆に移動している様子が伺える。
 もし野生動物であれば熊が現れてもおかしくない程の騒々しさであるが、しかし間もなくして月明りの満ちる広場に姿を現したのは、全く想定外の相手であった。
「あいつら……、オーク……!?」
 それはベテラン勢であるカノンでも初めて見る姿であった。大柄で筋肉質な巨体に醜い容姿……、話に聞いた程度ではあるが、その特徴から見て概ね間違いはないだろう。
 巨体で目立つオークは隠密性が求められる人間界において活動しづらいため、見かけることはそうそう無いだろうとも聞いていたが……
「あれが……、オーク……。二匹も……」
 茂みから現れた一匹に続いて、更にもう一匹がのそのそとした動きで姿を現す。
 しばし二匹のオークを観察するふたり……、一匹は腰を下ろして寛ぎはじめ、もう一匹は何かを食べているように見える。
 巨体の陰になってはっきりとは見えないが、なんらかの野生動物を貪っているようだ。
 最近、この近辺で食い荒らされた野生動物の死体が多数見つかっており、巨大なヒグマがいるのではとちょっとした騒ぎになっていたが……、その原因はオークだったようである。
 どうやらこちらには全く気付いていない様子で、知的な行動も見られない。観察する限り、その脅威度は軟体種やダークマターといった触手系の魔物と大差なく思えるが……
 とは言え未知の敵であることは確かで、下手に交戦すれば命取りになる可能性もある。
 敵は完全に油断して緩慢な動きをしているが、逆に言えば奴らが全力を出した場合にどれほどの身体能力を発揮するかは完全に未知数だ。
 ハルカもカノンも、近距離での力任せな戦闘を得意とするタイプではない。ショコラのような前衛タイプがいれば戦いやすそうだが、今はそれも叶わない。
 もちろん、一度撤収してショコラが動けるようになってから仕切りなおすという選択肢も存在する。
 しかしその間に敵が姿を消す可能性もあり、どう動けば良いか判断するには何かと情報が足りない状態であった。
 先輩としてこの場を指揮しなければいけない立場にあるカノンは難しい選択を迫られる
。するとその隣で、スッと立ち上がったハルカはかざした右手に錫杖を精製したではないか。
「ハルカ……!! ちょっと……!!」
「……こいつらを……、見逃すわけには、いかない……。戦えない……、ユイの為にも……!!」
 さすがのカノンも動揺を隠せなかった。なにせ、あの沈着冷静なハルカが感情的な行動に出るのは、いささか想定外だったのである。
「ちょ、ちょっと待って、ハルカもオークと戦ったことはないんだよね……?」
「……ない。けど……、大丈夫……」
 そこで少し間を置いてから……
「せ、先輩と……、ふたりなら……、問題、ない……」
 やたらボソボソとした声が、しかし確かにそう告げたのであった。
「……んもぅ、しょうがないなぁ……。じゃあ戦うけど、くれぐれも殴り合いの距離だけは避けるからね。あんなのに殴られたらひとたまりもないんだから」
「……わかってる。……そんなヘマは、しないから……」
「それじゃ、次に作戦を……、ってハルカ……!? ちょっと……!!」
……月明りに照らされた鉄塔の元で寛ぐ、二匹のオークたち。
 うち一匹がなにやら気配に気付いたか、慌てた様子で立ち上がった、その直後だった。
「ぶぎぃいいいいいッッ!!!」
 強烈な閃光と共に轟音が響き、立ち上がったばかりのオークは悲鳴をあげてひっくり返る。
 急襲を受けて飛び起きたもう一匹のオークが睨む先から、錫杖を携えたハルカが姿を現した。







「醜い魔物……、ここはあなた達の居場所じゃない……」
 錫杖に満ちる魔力……。ハルカの手にする杖は一時的に魔力を溜め込む器であり、溜め込んだ魔力を一気に解放することで強力な魔法を放つことができる。
「平穏を乱す……、悪しき存在に……、雷の裁きを……!!」
 聖なる祈りと共に放たれた雷撃は、目にも止まらぬ速さでオークを打ちつけ、その巨体をたちまち痺れさせた。
 勝負あったか……、そう思われた直後、オークを睨んでいたハルカは眉間に皺を寄せる。
 雷撃で感電状態にあるにも関わらず、オークが身動きを取り始めたのだ。
(魔力の装填が……、甘かった……?)
 急襲の一撃でかなりの大技を放ったため、続く二発目で杖に十分な魔力が装填できなかった。
 そんな些細なミスですら、魔族との戦いでは命取りとなる。
「グゥゥゥ……!! グォオオオオオオッッ!!」
 雄叫びをあげたオークは遂に雷撃を振り払い、ハルカめがけて猛烈な勢いで突進をかましてくる。
 咄嗟に身構えるハルカ。しかしオークとハルカの体格差はあまりに圧倒的で、オークもそれを理解しているのか魔法攻撃を恐れることなく猛然と距離を詰めてゆく。
「マジカル・オーダー!! 動くな!! この醜いオークめ!!」
 ハルカの目前までオークが迫ったその時、力強くも可憐な声が辺りに響き渡った。
「グォ……!? ググググッッッ………!!!」 「まったく、私の可愛いコーハイを傷つけようなんて、アンタ絶対に許さないんだから!!」
 今にもハルカに襲い掛かろうとしていたオークは、ピタリと身体の動きを止めている。
 筋骨隆々とした見上げるほどの巨体が、まるで銅像にでもなったかのように微動だにしなくなったのである。
 マジカル・オーダー……、声に宿らせた魔力で相手の精神をジャミングすることで、簡易的ではあるが行動を抑制する魔法である。
 言葉の通じない相手には効果がないが、一度成功すればこれだけの体格差があるオークすら掌握することが可能で、フェレスティア・カノンにとってのまさに切り札と言えよう。
「大丈夫だった、ハルカ? みんなのアイドル、フェレスティア・カノンちゃんが華麗に助けに来たよ! ってね♪」
「………」
 向けられた冷ややかな視線を受けて、カノンは思い出した。
 あれは初対面の日のこと……
『みんなのアイドル、フェレスティア・カノンちゃん!! 華麗に参上ぅ!!』
 前に一緒に戦った時も、いつものキメ台詞に対してこの冷ややかな視線を向けられたのだ。
 いっそ『恥ずかしくないのか』とでも言ってくれればネタにもできるが……、はぁ、と心の底から出たような溜息をついてから、何事も無かったかのようにハルカは話しはじめる。
「……止めるなら……、もっと早くても、よかった……」
「へ……、い、いやぁ、相手がデカいからね、確実に効くようになるべく引き付けてー、ってさ!!」
 ハルカから向けられる強烈な疑いの眼差しにいたたまれなくなったカノンは、オークのほうへ視線を移してあからさまに不機嫌そうな顔をしてみせる。
「それにしてもコイツくっさいねー。それにこいつ……、アレが丸出しじゃん……」
 最初は冗談めいていた口調のカノンも、オークの下半身にぶら下がる巨大なペニスを一目見た瞬間、本気の嫌悪感を滲ませる。
「ホント最悪……、恥ずかしくないのコイツ……、って動くなって言ってるでしょ!?」
 カノンの一喝が拘束を振り解こうとするオークを再び硬直させる。
「魔族に……、恥なんて感情は……、存在しない……」
「欲に塗れた醜い魔物、か……、それで、どうする? ハルカの雷撃でなんとかなりそう?」
 錫杖を携える手元に視線を移してから、ハルカは小さく首を横に振った。
「さっきの二度で……、かなり魔力を使った……。 すぐに大技は……、使えない……」
 そう呟いてから、錫杖の先端に備えられた刃をオークの胸元に向ける。
「これなら……、魔法はいらない……」
「……おっけー。それじゃ私、少し下がって援護するね。もしかしたら刺された途端に底力出してくるかもしれないし……」
「……了解」
 トドメをハルカに任せ、万が一オークが暴れても柔軟に援護できるよう距離を取るカノン。
 カノンが援護についたのを確認してから、錫杖を一度握りなおしたハルカは、唸り声を上げるばかりのオークを見上げてその胸元に刃を押し当てる。
 いよいよトドメをさそうとした、その時だった。

「……あら、私の可愛いオークを傷つけようなんて、許さないわよ?」

 背後からの声に咄嗟に振り向くカノン。その距離、十メートルほどだろうか。ひとりの女性……、いや、妖魔がそこに立っていた。
「マジカル・オーダー!!」
 ほぼ間髪入れず、カノンが叫ぶ。先手必勝……、相手は実力不明の妖魔だ、一言喋らすその間ですら命取りになりかねない。
 ギリギリと歯を軋ませるカノンに、先程までの余裕を窺わせる雰囲気は見られない。
 かといって、この状況に焦っているわけではない。その構え、その眼差し、その風格は、数百の魔物を屠ってきたまさに百戦錬磨のフェレスティアに相応しいものであった。
「……先輩!!」
「こっちは私が止めてる!! ハルカはそいつを片付けて!!」
 力強くハッキリした口調で飛ばされる指示が、動揺の生じたハルカの心中を奮い立たせる。
 そしてハルカもまた力強い眼差しで、眼前のオークを睨みつけた。
「やーねぇ、本当に動けないじゃないコレ。指先すら動かせないわ、あはははは!!」
 なにやら愉快そうな高笑いが闇夜にこだまする。しかしその余裕もいつまで続くか……、ハルカの手にする錫杖の刃がオークの胸に突き立てられようとした、その時だった。

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