(02)非日常
ホリイは悶々とした気分が晴れないまま、冒険者ギルドを兼ねる酒場に行った。
酒場は冒険者が集う場として、また旅人が情報を得る為に立ち寄る場でもあり、冒険者が仲間を集めたり仕事の依頼を探す場所を兼ねている。
ホリイもクレリックとして雇われるのはこの酒場で声をかけられた時だが、普段は食事を取りながら世間の様子を知る為に数日おきに立ち寄っていた。酒場として賑わう夜ではなく、客の少ない昼時に立ち寄る事が多かった。
「あらホリイちゃん、いらっしゃい。申し訳ないんだけどきょうは簡単なものしか出せないんだよ」
酒場の女主人が困り果てた様子である事に気付き事情を尋ねると、転んだ拍子に手首を捻挫してしまったとの事だった。
「だから仕込みが間にあわなくってねぇ。しかしギルドとしての役割もあるから酒場を休むわけにも行かないし」
「私の回復魔法で治しましょうか?」
「実は買い出しの時に転んで捻挫したもんだから、市場や近所の人達が知っているんだよ。医者にも見てもらったから、魔法で治してもらうのは色々と迷惑かけちまうからねぇ」
冒険者はみだりに街中でスキルを使ってはいけないという暗黙のルールがある。街中でソーサラーが炎を操れば騒動となるし、剣を抜いて喧嘩をすれば怪我では済まない。もちろんクレリックが魔法を使えば町医者は廃業だ。
冒険者の技能は魔物を倒すには不可欠だが、日常的には治安を乱す物騒なものだ。
なので一般人の住まう街ではみだりに剣を抜かず、魔法を使わない事がルールだった。
女主人の捻挫も世間が知らないのであればホリイがこっそり魔法で治す事が出来た。しかし医者に見てもらうほどの捻挫があっさり治っていては誰でも魔法で治したと気付く。そうなれば無能な自警団の設問を受ける事になるかもしれないし、町医者の不信を買う事にもなる。
「もし数日経っても痛みがひかないようだったら、その時にはこっそりお願いするよ」
冗談めかして女主人は言ったが、ホリイは女主人の役に立てない事が残念だった。
またホリイは数週間前のワーム騒動の時にこの酒場に迷惑をかけている。ホリイは被害者だったが身から出た錆でもあった。時が過ぎると共にうやむやとなって済んだが、この酒場の常連であるホリイが迷惑をかけっぱなしにしている事は後ろめたい気分があった。
「そうだ! わたし、酒場のお手伝いをします! そうすれば魔法で捻挫を治しても痛むフリをしていればわからないし、私もこの酒場のお役に立てて嬉しいです!」
「えっ? あ、あぁ……。でもホリイちゃんは男嫌いだろう? ガサツなオッサンばかりの酒場の手伝いなんて無理はさせられないねぇ」
「ちょうど私もニガテなところを直したいなって思っていたんです。急には無理かもだけど、少し慣れておかなきゃと思って」
女主人もホリイの手助けがあればありがたいし、酒場の切り盛りには女手が不可欠だ。
かくしてホリイは数日だけ酒場でアルバイトをする事となった。
「すまないが、それしか服が無くってねぇ。慣れないだろうが我慢してくれるかい?」
酒場の給仕をするのに普段着のままでは客か店員か見分けがつかない。
またホリイが手伝いをやめた後にも店員と勘違いする者が出てくるかもしれない。
故に普段着ではなく給仕服を着る事は必要不可欠な事だったが、長らく女主人ひとりで切り盛りしてきた酒場には丁度良い給仕服が無く、倉庫の奥にしまいい込まれていた酒場の先代オーナーが女中を雇っていた時の服しかなかった。
ホリイは着替えて女主人の手伝いをこなし、いよいよ夕食時の賑わう頃合となった。
「いらっしゃいませ」
「ほッ! ホリイちゃんが、メイド!?」
地元冒険者達はメイド服のホリイに迎えられるたびに石のように凝固し、促されるがまま席に案内された。
男嫌いで有名だった少女、稀代の天才僧侶ホリイ・ホーネットが、むさ苦しい酒場でメイドをしているのだ。ホリイを知る地元冒険者が驚くのも無理の無い事だった。
また地元冒険者の間ではホリイはこの酒場のマスコット的存在・看板娘のような存在だった。若い少女の冒険者は珍しかったし、「蘇生」魔法を扱える才能はこの世界でもごく僅かだった。若く可愛くクレリックとしても有能なホリイが通うこの酒場では、常連客の誰もがホリイに好意的だった。
しかしホリイは男性恐怖症で男嫌いとして有名でもあり、地元冒険者とは僅かに打ち解けてきた雰囲気はあったが、少し前には流れ者の冒険者に辱めを受けるトラブルがあった。なのでホリイ・ホーネットが男の客ばかりの酒場で接客をしているというのは何かのドッキリ企画ではないかとさえ思えるほど意外な事だった。
「きょうの料理は下ごしらえからホリイちゃんが手伝ってくれたんだ。滅多に無い事なんだから、ちょっとは酒場の売り上げに貢献してはどうだい」
女主人が常連客を茶化すと、常連客の全員が遠慮がちに手を挙げた。
せっかくホリイちゃんがメイドで接客しているのだから迷惑はかけたくないが、看板娘の手料理が食べられる機会はこれが最後かもしれないのだ。
「あわわ……いっぱいオーダーが入りました!」
「うちの常連は正直者ばかりだったんだねぇ」
いよいよホリイが手伝った料理が出され、常連の地元冒険者は次々と料理を口に入れた。
(……普通だ)
(普通だ)
(なんのスペシャル感も無い普通の味だ……)
ホリイの手伝った料理という事で期待に胸を膨らませていた地元冒険者達は、いつもと代わり映えのしない料理の味に仏のような顔になった。
可愛い看板娘の手料理を期待していたのに普段と同じ味だったのでリアクションの取りようが無かった。少しでも美味しければ大仰に褒める心の準備はしていたし、もし味が悪くても、いっそ食べられないほどの酷い味だったとしてもドジっ娘としてのスペシャルイベント感が堪能できた。しかし、なのに、普通だったのだ。
「あのぅ、お口に合いませんでしたか?」
「い、いや! すごく美味しいよ!」
期待しすぎたのが悪かったと地元冒険者達は内心ひっそり心を改めた。
男嫌いの看板娘ホリイ・ホーネットがメイド服で料理を運び、ぎこちない愛想笑いをしてくれるだけで十分満足に値する事なのだ。
その日、無駄に長居をする地元冒険者が多く酒が飛ぶように売れたが、泥酔したりトラブルを起こす者は一人もいなかった。たまたま立ち寄った流れ者の冒険者もその様子を不思議に思いながらも「これがこの酒場のマナーなのか?」と礼儀正しく酒を飲み、とても荒くれ者が集う酒場とは思えないおだやかな一夜が過ぎていった。
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